今日もまたおこもり? ― 明治版天岩戸 ―

6章

 吉法師を「アイスクリーム」で見事に釣り上げた井上馨は上機嫌だった。

「まぁ井上さま。今日はとてもご機嫌のようですね」

 飯田町より神田に馬車を向けた井上は、そこに一人の女を訪ねた。
 現在、その名は東京中にとどろく恐山のイタコ。稀代の巫女「志津」
 時折、木戸に守護霊やかつての仲間の言霊を届けるために廟堂を訪れ、長州閥とはすでに馴染みとなっていた。

「上機嫌か。お嬢ちゃんにも分かるか」

「えぇ。陽気さが手に取るように」

 ふわりとした微笑を見せる志津は、弱視である。目の前にあるものがうっすらと見える程度の視力しかない。
 だが目に見えぬ分、人の気や音を読む感覚が発達したようで、よく足音だけで「井上さま」と笑いかけてくる。

「俺様は今すこぶる機嫌がよろしい。なにせあの魑魅魍魎たちをアイスで釣り上げたのさ」

「魑魅魍魎? 飯田町のお二方ですか」

「そうさ」

 志津は手にしていた亡き母の形見の勾玉をそっと置き、

「東吾さまも……吉法師さまもお元気で」

「あぁ。全く百鬼夜行より恐ろしい風情を放っていたさ」

「まぁ」

 と、くすりと笑った顔の……頬に朱がわずかに差したのを井上は見逃さない。

(なんでだろうな)

 あんな魑魅魍魎すら恐れ逃げ帰る甘いもの大好きな子どもなど好きになったのか。
 一生をかけても報われないだろうに。
 吉法師の目にはいついかなる時も、東吾しか目に入っていないのは一目瞭然だった。

「井上さま。今回の私への依頼は飯田町のお二方と共同作業でございますの」

「あたりだ、嬢ちゃん」

 思わず片目を瞑って茶目っ気を演出したのだが、それは志津には気付かれなかったようだ。

「……お引き受けいたします」

「依頼も聞かずに安請け合いしていたら、見事な商人にはなれないぞ」

「私はただのイタコにございます」

「奇跡の巫女がな」

「はい、殿様」

 にこりと志津は笑った。時折井上のことを「殿様」とからかう様にいう。井上は密かに気に入っていた。

「俺様はな、今。天岩戸計画を立てている」

「殿様らしい盛大なご計画で」

「桂さんが館にこもってしまったんだ」

「……木戸さまが。お体でも」

「いつもの通り……廟堂でだんなとやりあったらしい。こんなこといったら桂さんは怒るからな内緒だぞ」

 明治政府の「夫婦」とも「父母」とも言われる木戸と大久保だ。
 誰もがしっくりとくる言葉だというのに、当の木戸は嫌悪感丸出しで「夫婦」という言葉を聞くたびに温厚なる木戸が牙を剥く。

「大久保と言い合ってな。随分と腹に据えかねたのかおこもりさ。俊輔がどんなに叫んでも顔も見せはしない。これは……危ないんだな」

「あぶない?」

「こういうときの桂さんの行動は……決まっている。家出が始まったら、少し長州としては困るからな。さっさと……そうさっさとだ。引きずり出さんと」

「スサノオの暴挙に苦心したアマテラスが、岩戸に隠れたといいます。そのアマテラスを岩戸より引きずり出すために……」

「そうだ。アメノコヤネが祝詞を唱え、アメノウズメが踊る。興味を引かれたアマテラスが顔を出すと、フトダマが鏡を差し出すんだよな」

「殿様は記紀にもお詳しいのですね」

「俺様も列記とした長州藩士さ。こういうことはそれなりに詳しい。高杉などは始めから朗々とそらんじられたんだな」

 その特技というか暗証を、あの四カ国連合艦隊との講和会議において延々と二日語り続けたというのだから、あの高杉はたいした男だった。

「……殿様」

「お嬢ちゃんはな。祝詞はお手の物だろうけどよ。今回のことに祝詞なんてあげてもらったら恐れ多い」

「……私になにができましょうか」

「歌ってくれ」

「………」

「そのきれいな声で歌ってくれ。朗々ときれいな声を響かせてくれ。俺と俊輔がその歌にあわせて踊る。市あたりが鼓を打つだろうし、山縣はアレで風流な男だ。笛も吹ける」

「まぁ。これではまるで宴へのご招待みたい」

「招待さ。お嬢ちゃんも、あの飯田町の魑魅魍魎も。みぃんなこれからの明治版天岩戸への招待。最期は円満にみんなで酒でも飲もうぜ」

「殿様」

「おう」

「謹んでお受けいたしますが……。私、歌など」

「そんなのなんでもよいさ。カゴメカゴメで十分」

「あの歌は好きません」

「じゃあよぅ」

「……殿様。小唄も都々逸も私は歌えません。祝詞でもよろしいのですか」

「できれば楽しげに明るく歌ってくれよ。祝詞はさすがに眠いからよ」

 明治版岩戸伝説に向けて準備は着々と整い始めた。
 ただ一人、仲間の長州閥の人間にも顔を合わそうとしない木戸孝允を引きずり出すためにも、
 政府の長州閥の安穏のためにも、木戸孝允には廟堂に立ってもらわないとならない。

「いつまでも夫婦喧嘩ばかりをしてもらっていては困るしな」

 頭をポリポリとかきつつ、政府を去った俺様がなんでこんなに一生懸命に立ち回っているのだろうな、と井上は苦笑を滲ました。

今日もまたおこもり? 6章

【備考】更新 2008年4月23日 || 登場人物紹介