ガタ閣下を素敵に見せよう企画

お題3 忘れない

 明治保育園に働く保育士は四人である。
 園長で年長の四歳児より上の年齢担当の桜組の担任木戸孝允。
 副園長兼保護者担当、三歳児の蓮組担任山県狂介。
 そして二歳児より下の年齢を預かる桃組担任は大隈八太郎と、乳児担当の高田早苗。
 今日もこの四人は子どもとして手はかからないが、いたって頭痛のもとの子どもたちの世話を必死に勤めている。

「カッカ先生。たろうもだっこ」
 三歳児の桂太郎は、毎日山県に引っ付いている。
「清浦ばっかりだっこはずるい」
 桜組の年長と比較すると、蓮組の園児たちは取り分け大人しい。ほとんど山県の傍から離れることなく、また人が驚く突飛な行動に出るものも少ない。
 取り分け冷静な平田東助が、蓮組の園児の同行を注意深く見ているので、山県としてはいたって楽だ。
「たろう。きようらは、カッカ先生がだっこしていないとけがばっかりしゅるから、しゃあないんだよ」
 児玉が抱っこをしてもらえない太郎の頭をよしよしと撫ぜる。
「カッカ先生は、清浦がかわいいんだ。たろうがころんでも、だっこしてくれないのに、清浦だとだっこして頭をなでなでするぅ」
 えんえん、と太郎が泣き出したので、山県は片腕で清浦を抱いたまま、太郎の頭をそっと撫ぜた。
「カッカ先生。たろうがきらい?」
「十六方美人は治ったか」
 その一言に太郎はうわぁぁぁぁんと泣き喚いて、そのまま教室を出て行ってしまった。
「児玉。アレを連れ戻して、トランポリンにでも乗せろ。それで機嫌もなおる」
「わかった」
 児玉がトテトテ太郎の後を追いはじめ、その後をポテポテと乃木が着いていく。
「カッカ。いまはこどものかちゅらしゃんには、あの言葉はいたいでしゅよ」
 平田が傍により、指をしゃぶっている田健治郎をギュッと抱き寄せた。
「ただの子どもではない。アレはアレで記憶もある」
「みんなきおくはあるのでしゅ。ただ……すこしこんがらがって……」
「記憶などあろうとなかろうと構わぬが、記憶に振り回されるのはごめんだな」
 この明治保育園に入園すると、木戸に一人一人の園児はコツコツと言い聞かされる。
『例えかつての記憶があっても、今はこの現代に生きる一人の子どもなのだからね。かつての恨みも悲しみにも振り回されないで、今を生きるのだよ。 ここは明治の世を学ぶところではなく、みんなで今の世を生きるために創ったのだから』
 それを一人一人納得しているため、さして「かつて」を言葉にして振りかざすことはない。
 今の自分としての、今のあり方をきちんと一人一人が学び、創っていっているのだが。
「おいで、東助」
 かつても今も人一倍しっかりもので、冷静沈着。
 三歳児なのに他の園児にばかりかかりきりで遊ぶこともせず、また人に甘えることもしない平田東助。
 人一倍手がかかる清浦奎吾より、何一つ手がかからない平田の方が山県は気にかかってならない。
「カッカ……」
「子どものおりは甘えておきなさい」
 田を抱きとめたまま、山県の片方の膝にちょこんと座った平田の頭をなでる。
 山県がおもに預かる三歳児は、ほとんどがかつての「山縣閥」の側近や部下。または陸軍や政界の後輩たちばかりである。
 そのためほとんどが山県を「カッカ」と呼び、かつてのおもいままに懐いてくれているが、その思いが時には悲しいこともある。
 平田のように総ての記憶がある者もいれば、太郎や児玉のように感情的なものは覚えている断片的な記憶しかないものもいる。
 山県もこの子どもたちと同じくらいのころ、かつての記憶と今という世に混乱し、同時に苦しいまでに「かつて」にこだわった。一人であったならば「かつて」に苛まれただろう。
 横にはいつも木戸がいたから。互いに互いを分かり合って、抱きとめて、生きてこれたから、今が在る。
「カッカ。カッカ先生。木戸先生が呼んでいるよ」
 白根専一が、走って飛び込んできた。
「いいなぁ、ケイゴもトウスケも。センもカッカにだっこされない」
 と、ポテッと背中に抱きついてくる白根の頭をポンと叩き、山県は平田と清浦を下に下ろし立ち上がった。
「東助。悪いが奎吾の面倒も見ていてくれ」
「りょうしょうしました」
 田と清浦をギュッと抱きしめて後、平田は三人でチェスを始めた。


「明日、視察があるみたいなのだよ」
 今日は桜組はほとんどの者が騒がず、シーンとしている。
「そこでいいのかよ、シュン」
 井上が対局している伊藤をジトッと見た。
「いいんだよ、ここ」
「そうか。ならこれで俺しゃまはここに打って、三石もらい」
「うわぁもんちゃん。まった」
「まったはなしだ、シュン」
 桜組の今日のお遊びは囲碁。皆が一対一で真剣勝負をしている。
「アッガタだ。ガタ、ひさしぃぶりに僕と碁をうとう」
 山田がトテトテと走ってきて、山県の足下に引っ付いた。
「イチ、今はオレとうっているのです」
「ゴロウちゃん。わすれっぽいから、あきた」
「イチぃ」
 くぅぅと拳を握る三浦梧楼を、よしよしと傍らで見物している鳥尾小弥太が頭を撫でている。
 ここに来るたびに山県は一瞬だけ思わず動揺する。
 この園児たちは、ただ縮んだだけで、今此処は本当はあの長州の政治堂ではないのか、と。
 万に一つもない考えは、山県をして「あの日に戻りたい」という思いにつながってもいる。
「三浦、鳥尾。この前、この山田の家に遊びにいっただろう」
「いった」
「母君が駆け込んできた。なぜイチと呼ばれているのか。なぜイチなのか、と母君が頭を悩ませておられた」
「イチはイチだ。イチ以外にオレは呼び名を知らん」
 鳥尾はプイッとそっぽを向く。
「それでいい。山田もそれがいいと思っておろう。だが他の人間にはそれは不思議に映る。呼ぶならば、呼ぶ理由もきちんと考えて知らぬ人間の前でも呼べ」
「狂介。そう怒らないで」
「木戸さん。あなたにも問題がある。この井上さんは未だにあなたを桂さんと呼ぶ。親御殿から先生はなぜうちの子に桂さんと呼ばれているのか、と疑問が入った」
「………えっ……」
 この木戸には保護者の陳情窓口はとても任せておけず、山県が一切受け持つことになった。
「この世界に生きていく上で、かつてを表に出すならば理由がいる。それを貴兄も嫌というほど学ばれているはずだ」
 そして個性を大切にし、よほどのことがなければ子どもたちを叱らない木戸にかわって、山県がほとんど説教をしている。その説教が木戸に及ぶことも多々在るほどだ。
「ガタ。木戸さんを苛めるな」
 山田が木戸の前に立ち、両腕を広げる。
「市。狂介は私を苛めているわけではないのだから……。私が……しっかりしていないから」
「山県。木戸さんを……」
 かつては銃刀を片時も話さなかった鳥尾は、今ではおもちゃの「刀」を絶えず抱えている。
「ヤマガタ!」
 そして三浦が放った水鉄砲攻撃をヒョイと避け、山県は一息ついた。
「ここにいるものは誰も忘れてはいない。誰もがかつてを心の中に飼っている。だがそれでは成り立たないということを意識しろ」
「あまり声を張り上げるんじゃないよ、山県さん」
 そこへ這い這いをしている江藤新平を追いかけるようにして、桃組担任の大隈八太郎が現れた。
「あぶ…あうあうあう(木戸さんを怒るな)」
 江藤がおしゃぶりを外し、赤ちゃん言葉で山県に呟く。
「こらこら新平。あまり怒るでないよ。それから一人でうろちょろしたらいけないからね。おまえさんは方向音痴なんだから」
 グサッとなったらしく、江藤はおしゃぶりをしゃぶってトコトコと木戸の膝に乗る。
「それで木戸さん。白根から聞いたのですが、明日視察会があるんであるとか」
「そうなのだよ、大隈君。認可の件とかで市の担当職員や子ども研究会とかの人が大勢こられるようで」
「ということはあの男が来るということなのですね」
 ふぅーと一息つき、大隈は伊藤と井上の碁を見据える。
「相変わらず下手だね、伊藤」
「うるしゃい。八太郎はだまっていてよ」
「そして相変わらず押しの一手かい、井上」
「……これには百円がかかっているんだよ、大隈。じゃまはするな」
 ふふん、と大隈は笑い、
「とても視察会にこの情景は見せられないね」
「どうしよう、狂介。認可が外されたら……とてもやっていけないよ」
「その場合はお父君にまた慈善事業にしていただければことは済む」
「それは嫌だ。ここは私の力でやっていきたいのだよ」
 山県は周りを見渡し、軽く深呼吸して後、
「よいか。明日一日。子どもらしくしていろ。トランポリンで遊べ。ブランコに乗れ、ままごとをしろ。小難しい新聞やビデオを見るのはやめろ」
 えぇぇぇーーー、とその場からあがる非難をギロリと睨みすえ、
「この保育園がつぶれてもよいのか」
 それは困る、と全員が不承不承「はぁい」といった。
 担当する蓮組の人間たちは、平田の号令のもと「トランポリン」と「トランプ」をさせればいい、と心の中で呟いた時、
「木戸さん。山県さん。また入園希望です」
 エプロン姿が全く似合わない高田早苗が、駆け込んでくる。
 木戸が立ち上がり、山県もそれに続いて応接室に向かった。
 ここの園児は放っておいても、他の保育園みたいな「危険」はないので、こういう時は楽である。
 応接室には一人の年若い女が、傍らに三歳ほどの園児を片腕に抱きしめていた。
「ここは明治のことを話す子どもを受け入れてくださるとのことで、藁にも縋る思いできました」
 この子をお願いします、と差し出す男の子を見て、木戸は首を傾げる。
「では質問です。私かコチラの男の人を覚えていますか」
 伊達めがねの下からジッと見つめてくる瞳に、一瞬山県は嫌な予感に苛まれる。
 ニッとその子どもは笑った。
「あなたはしりましぇんが、そちらの方はしっていましゅ。ヤマガタカッカでしゅな。自分、イヌカイでしゅ」
 議会において、山県を攻撃する一番手だった男が、今目の前にある。
「この子は小難しい新聞ばかりを読んで。政治のニュースを聞きながら、今の政治はあてにならないやら、なってないやら言うのです。そして物心つく前から、話せば分かる、と口癖ばかりで。 ここはそのようなお子様が大勢おられるとかで。どうかお願いします。近所の子どもたちにはとても入っていけません」
 母親としては当然の思いだろう。ここに預けにこられる園児はほとんどが「政界のニュース」に反応し、新聞をわずか一歳半ごろで読み始めている。
「お預かりします」
 木戸はその場で入園許可の書類を全て渡し、明日より入園となったその子の名は犬養毅。
「三歳児の担任はコチラの山県狂介です」
「……大隈か高田に預けた方が良いのではないか」
「蓮組はおまえが預かっているのだから……」
「オオクマしぇんしぇいがいるのか? オオクマしゃん……」
 元立憲改新党の一員だった犬養には、大隈という人間はやはり特別らしく目を輝かせた。
 明日は視察会だというのに、また厄介な人間が入園してきたものだ。
 木戸はにこにこと犬養の頭を撫ぜているが、山県は頭が痛くなってくる。
 こういう時、かつての記憶がすべてなければ、とつくづく思い、
 だが、傍らの木戸を見るたびに「忘れない」でよかったとホッと一息吐く。
 己同様、もし木戸もこの年まで記憶を共有する人間がいなければ、記憶に苛まれ苦しみ、今この時笑っていたか知れない。
「狂介。明日の視察会だけど」
「園児たちには私が全て言い渡す。幼児たちは寝かせておけばいい。あの男が……来るのだろう」
「うん」
「……どうにかするだろう。あの男も貴兄を悲しめることはしないはずだ」
 山県としてはいたって面白くないが、あの男……市の衛生課の課長にして、認可保育園見直し担当大久保一蔵は、木戸の敵にはなるまい。
 問題は視察会の時間内において、あの園児たちが子どもらしくしていられるかどうか、だ。
(伊藤におかしな遊び道具を持ってこぬように釘を刺さねば)
 昨今、保育園のビデオ鑑賞会に伊藤が用意してきたのはいわゆる「エロビデオ」で、その場で山県は踏み潰し、伊藤の頭をポカッと殴ったものだ。
 また井上が持ってきた日露戦争関係のビデオで、乃木が「しぬ~」と叫んだこともあった。
 そればかりではない。伊藤と井上が「明治探検ツアー」など企画をし、乃木神社や児玉神社を詣でた際、阿鼻叫喚の悲鳴が乃木から放たれ、
 山県は一日中泣き喚く乃木をあやすのに疲れたものだ。
 あの元お神酒徳利コンビ+山田は気をつけねばならない。
 また桂太郎も要注意だ。鞄には「カッカ先生コレクション」という写真アルバムが入っており、それを見てはデレーと鼻の下を伸ばしている。
 児玉が鞄の中に持っているのは「悪戯百科事典」で、これも山県としては頭痛の種だ。
 犬養をそっと腕に引き取り、決してかつては交えなかった相手の頭を撫でてみる。
 不思議そうな顔をした犬養だが、ニコッと笑い、山県のネクタイを引っ張った。
「めんどうみのいいカッカ。これからよろしくたのもう」

ガタ閣下を素敵に見せよう お題3「忘れない」

【備考】更新 2008年2月12日
執筆者 : 【宵待草】 萩原深夜
作品 : 明治保育園シリーズお題1~6まで続き形式