ガタ閣下を素敵に見せよう企画

お題1 心からの

 お昼寝の時間、よく太郎は夢を見る。それはそれはとても恐ろしい夢。
 戦場に一人馬に乗って前に進むは自分。
 鉄砲の弾が無数に左右に飛び交う。大砲の爆撃音にかき消される人の悲鳴。
「おかあさん」
 目の前で母を呼びながら、大砲により死んでいった若き兵士。
 これは夢であることを太郎は知っている。
 身が凍るほどの思い。すでに震えることすらできぬ恐怖の現実。
 馬を進ませながら、自分は笑っている。乾いた笑い声を立て、どうにかこの現実より逃避しようと必死で。
 狂わなければ戦場になどいられない。戦が人の精神を徐々に蝕み、壊す。
 弾が自分の左右を過ぎ去っていった。
 それは、まるでやむことはない雨のように降り続ける鉄砲の弾。
 かすっただけで命が消え去る現状においても、鉄砲の弾が当たる現実感はない。
 あぁこれは夢だから。今は夢だから。
 けれど遠き昔、自分は夢と同じ場所にいた。
 身を覆う恐怖が通り過ぎて、狂いながら笑ってわらって……泣いていた。
『なにをしておる。死にたいか』
 司令官たるその人の言葉が、鉄砲の音をも消し去る。
『この異国の地で死にたいか』
 第一軍司令長官という地位にあり、病躯の身でもありながらも隙なく馬上で前を見続けるその人が、
 自分の身にある狂気を少しだけ和らげてくれるただ一つの現実だった。


「カッカ先生。太郎がまた泣いている」
 白根専一が玄関先で大声で叫んでいる。
「……またか」
 吐息を落としつつ、山県の視線は木の上に悠然とある児玉源太郎から離れることはない。
「下りて来い、児玉」
「ここからのけしきはじぇっけいなんだ」
「下りてきなさい」
「………」
「奎吾はもうなんともない。おまえが池に突き落としたのではないことくらい知っている」
 つい二時間ほど前、園内にある鴨の親子が住まう小さな池に清浦奎吾が落ちた。
 池はさして深くはないのだが、泳げない清浦は異常なまでに池の中でぱしゃぱしゃと暴れ、ついには沈み水を大量に飲んだ。
 傍にいた児玉は一瞬放心状態になったが、すぐさま池に入り、なんとか清浦を救ったのだが……。
「おれじゃない」
 と、一言残して木の上の住人になったのである。
「おまえは奎吾が池になど近寄っては危ない、と判じたのだろう。奎吾のことだ。そこに石がなくとも転ぶ。そこに木の枝がなくとも躓く。 池に近寄らぬように止めようと手を取った瞬間、驚いた奎吾が池の方に駆け出し石に脚を引っ掛けたというのが現状ではないか」
「なんで……わかるんだ」
「奎吾のパターンだ」
 そこで木の幹を伝い児玉はするすると降りてきた。
「俺様はいたじゅらをするのがだいしゅきだ。いつもいつもいっぱいしゅる」
「分かっている」
「けど……きようらにはせん。きようらにするといたじゅらじゃなくなることをしっちょる」
「……そのとおりだ」
 生活破綻男の清浦奎吾は歩く凶器に等しい。
 この男が一歩歩けば何かが破壊され、また一歩歩けば自らが災いを呼び出す。
 イタズラをこよなく愛する児玉といえども、清浦にかかれば「災難」を呼び出す元凶になりかねないのだ。
「ほんとうにきようらは大丈夫か」
「あぁ。児玉にあやまりたい、と言っている」
「しょうか」
 ようやく児玉は普段のニヤリとした表情に戻り、ひょいと抱き上げた山県にギュッとしがみついた。
「カッカ先生よ」
「なんだ」
「かちゅら……またいくしゃの夢か」
「……おそらくな」
 これは三日に一度のペースで起きることだ、と山県は慣れきっている。
 昼寝時間になると必ずといっていいほど桂太郎は泣き喚くのだ。
 ようやく児玉を連れ戻った山県は、
 玄関先に立つ白根の頭をポンと叩き、
「専一。アレの状況は」
「いつもよりひどいでしゅ。今、とうすけが頭をなぜなぜしている」
「そうか」
 児玉をその場に下ろし、園児たちのお休み室に入った山県は、そこで一人泣き喚いている太郎を見る。
 平田が太郎の頭を必死になぜ、ハンカチで涙を拭こうとも。
「とうしゅけにはわからない。カッカにいちばんかわいがられたとうすけにはわからない」
 と、平田の手を振り払い、慰める大浦兼武の声などいっさい聞いてはいない。
 こうなった太郎は園児たちの手に負えないのだ。
「夢を見たか」
 山県はそう声をかけ、そっと太郎の体を引き寄せる。
「カッカ……カッカ」
 うわぁぁん、と胸の中で泣く太郎の背中をさすりつつ、この時だけは山県は太郎をギュッと抱いてやる。
 痙攣のように震える体を優しく包み込み、恐怖を消し去らせるかのように時折頭を撫ぜ、
「こわい、カッカ。太郎、こわい。カッカ、カッカ」
 乃木も児玉も、この太郎以上に戦場に出、多くの壮絶な場に立ち会っているが、あの二人は驚くほどに達観している。
 戦争の夢を何一つ見ず、頭の中の引き出しに記憶はしまいこんで出さないようにしているらしい。
 乃木の場合は不意に引き出しが開き、極度に沈んで鬱状態になることもあるが、児玉は「かつての自分」を「かつて」と割り切っているために 決して現実と混乱させない、という見事な分離ができていた。
 長州の将軍たちの中でも、山田顕義は多分に昔の記憶に引きずられ、時折山県のもとに来ては膝に座ってわんわん泣いていく。
 三浦や鳥尾は決して弱味を見せないが、木戸の穏やかな表情を見ては、昔を思い出すらしくやはり涙を流す。
「夢だ。すべては夢だ」
 こうして「夢」と語りかけていると、そのうち太郎は安心してか眠りに入っていく。
 頭をなぜ、蒲団に下ろし毛布をかけながら、その目にかかる髪をそっと振り払い、
「……昔と今は違うのだ」
 もう一度頭を撫ぜてやると、太郎はニコッと笑った。


 怖い夢を見る。何度も怖い夢を見る。
 けれどそれは怖い夢であることを知っているから、少しだけ怖さは緩む。
 銃撃の最中、息が止まるほどの恐怖の中で、
 そっと髪を撫でる優しい感触に太郎は「夢」と強く認識する。
 わずか一メートル先に落ちた大砲をその目で見ながらも、
 おそらく眠っている自分が受けているのだろう山県の優しい心遣いに、
 涙するほど自分は喜んでいる。
 ……カッカ先生。
 太郎は今も、夢の中も、前世の自分も……すべてあなたが好きです。
 心からの思いが、いつも太郎の胸の中には、ある。

ガタ閣下を素敵に見せよう お題1「心からの」

【備考】更新 2008年2月29日
執筆者 : 【宵待草】 萩原深夜
作品 : お題1 明治保育園シリーズ「心からの」