時空の彼方から 外伝7 時の巫女

2章

「おじじ。おじじの家神」
 藤原四家のひとつ京家の庭には、五角形の社が立つ。
 そこには何人たりとも家神の許しなく入ることは許されず、そのため八束は扉を叩くしかない。
 その背にはちょこんと少女がおぶらされている。なぜか八束から離れないのだ。
「八束。そのように叩いては扉が壊れるのではないかい」
 兄永手は少し心配そうな顔をする。
「……そのような悠長なこと……。あっ叔父上」
 母屋よりゆっくり歩いてくるのは京家主人藤原麻呂。八束の叔父である。
 その穏やかな風情は貴公子然として優雅。美麗な顔面は藤原四兄弟一と称され、若い時より付文が山となるほど送られてきたという逸話がある優男だ。その顔貌は未だ衰えず、年を重ねた渋さも身につけ、多くの女性を惚れ惚れとさせている。
 藤原四兄弟の末子で、現在は京職大夫の地位にある。四兄弟の中で一番に温厚な性格をしており、争いごとを求めはしないたおやかな叔父だ。幼いころから八束は可愛がってもらっている。
「やぁ永手に八束。ここに来るのは久方ぶりだね。どうしたのかな」
「おじじに用があるんです、叔父上。どうにかしてこの社からおじじを」
「……八束。家神どのをおじじなどと言ってはいけないね。その呼ばれ方は、好まないのだよ、あの家神どのは」
 それでも八束は扉を叩き「おじじぃ~」と叫ぶ。
 すると乱暴に扉が開き、そこから一匹の黒猫がトテトテと歩いてきた。
「やかましいぞ、八束。私は今、鏡の統御の最中である」
 クロネコはいかにも鬱陶しげな声を発し、不機嫌極まりない顔で見上げてくる。黒く染まりきった眼光に、一瞬八束はたじろいだが、
「おじじ。おじじの家神。お願いだ。とりあえず俺の話を聞いてください」
 八束はくるりと身をひるがえし、背にしがみつく少女をおじじこと藤原家の家神たる黒猫に見せた。
「空から降ってきたんです、この女の子が」
 少女はその黒猫と目が合うと、すぐさまに八束の背より飛び降り、黒猫の前に膝を折る。そして良く響き渡る声を発した。
「命(ミコト)さま。このようなところに……なにゆえに黒猫などの身に」
 黒猫は少女を視、フッと笑いを刻む。
「私はミコトではない。だが、このような場所にようお出でになった……時の巫女殿よ」


 藤原家の黒猫は「九十九神」になるのに、あと三十七年ほど時が足りない「九十九神もどき」と言われている。
 といってもその尾はすでに四つに裂けており、猫又という妖怪を名乗る資格は有しているらしい。だが「猫又」という呼び名は黒猫にとってはお気に召さないらしく、からかい口調であってもそう呼んだら、間違いなく必殺の「引っ掻き」を食らうので用心が必要である。
 その九十九神もどきの黒猫には、父祖たる藤原鎌足が憑いている。もとより藤原家には祖とも言える鎌足は祖神にも等しく敬い奉る存在ではある。だが、こうも小さな黒猫として具現している現実を見ると、どうも崇拝の情がわかず、身近な親近感が色濃くなってしまうのだ。
 幼少の折、この黒猫に礼を尽くす父房前が不思議でならなかった。
『我が藤原家の家神であらせられる。決して無礼は許さぬ』
 と、父より厳しく言われているが、例え祖藤原鎌足が憑いているといえども、目に映るのは小さな黒猫だ。
 畏敬の感情よりも、身近な親しみが沸いた猫好きの八束だった。
 藤原家の子どもは物心つく前より、この黒猫に接し、父祖の化身「家神」と教えられ、先祖代々祀り崇めて行くことを言いつけられる。
 はじめて黒猫に出会ったのは八束は二歳のとき。「家神」や「祖神」を理解するには幼すぎた。目の前にいる小さな黒猫が可愛くてならず、ギュっと抱きしめて嫌がられたものだ。
 八束はあまりに黒猫の側にいすぎた。「家神」という特別な存在とは意識せず、物心つくまでは、単なる人の言葉を介すちょっと変わった猫と思いこんでいたほどだ。
 藤原家の常識は世間の非常識というものを知ったのも、外に出るようになってからである。
(よく笑われたものだよ)
 猫や犬を見ると、あの黒猫のようにもしかたしたら人の言葉で話し合えるのではないか、とついつい話しかけてしまったこともあった。ついでに目に映る妖にも気軽く語りかけたため、同じ年の子どもなどには「おかしな奴」と邪険にされたものだ。
 随分と悩んだものである。幼き時から気軽に接し、仲良くしてきたお狐や鬼などが他の人の目には全く映らないという事実。八束の場合、兄の永手が視えていたため、視えるのはそう不思議ではないものだと思っていたのだ。 他の従兄姉たちが七歳を境に視えなくなっていこうとも、世間にはこういう視える人間は多数いるものだ、と信じて疑ってもいなかった。
 今では随分と処世術は身についたが、未だにはっきりと「人ならざるモノ」を目にすることができる八束は、時に人との区別がつかずに頭を抱えること一頻りと言えた。
「おじじ。時の巫女とはどういうことなんです」
 ようやく社の中に招かれた八束は、とりあえず聞きなれない「時の巫女」という言葉を黒猫に尋ねると、
「それは今から話すが、永手よ。いつから視えなくなった」
 黒猫はヒョイと永手の肩もとに伝え登った。
「……おわかりになりますか」
「分からぬと思ってか」
 黒猫のその闇よりも深き漆黒の瞳は、この世のあらゆる事象を見透かす。
 永手はわずかに下を向いたが、肩に乗る黒猫の背に自らの左手を乗せ、
「……妻帯したその時より、この目には何も映らなくなりました」
 兄は正直に語ると、黒猫は「ほぉ」と呟いた。
「そのような話は初めてだ。たいていは七歳を境にして別れるが、妻帯して後とは。よほどその力と奥方の力が合わなかったか」
「よくは分かりません。けれど家神殿。視えなくとも気は感じるのです」
 そこに雑鬼や小鬼がいることは、その気で分かる。神々の気をも悟れる。ただ、視えないのだ、と兄の顔が苦痛に歪んだ。
 黒猫はよしよしとその猫手で永手の頬を撫ぜる。爪で軽く引っかかれている気がして、わずかにこそばゆく、つい永手は微笑む。
「家神殿が猫殿でよろしかった。私の目に力がなくとも視ることが適いますから」
「人ならざるモノなど視えなければ視えずとも良いのだ、永手。気にすることはない」
 その言葉に兄の顔がようやく苦痛より解放される。
 黒猫を見つめ、何かを振り切るように、兄は「はい」と答えた。
「その通りですよ、永手。四兄弟の内、私を残して皆が七歳で視えなくなったのです。それでも何も不都合はないようですから」
 藤原家の四息子と三娘の中で、未だに人ならざるモノを視ることができるのは麻呂だけである。
 四家の中で麻呂の京家が、いちばんに御力は強いと言われている。
 麻呂自身の受け継ぐ血は、ある意味特殊であった。中でも藤原の前身である「中臣家」の血を色濃く継いであり、その血が「御力」を発していると言われている。 人ならざるモノを視、その声を聴き、時には「夢」に未来や過去をも映すこともできるが、麻呂はあえてその力をほとんど封じているらしい。
 家神の黒猫を預かるのは麻呂の京家と定められていた。
「じゃあ俺も妻帯したら視えなくなるんですかね」
 八束は小さくつぶやいた。
 現在の藤原家で視えるのは、麻呂と八束、麻呂の嫡子の浜成くらいなものとなっていた。
 代々、最たる能力を有するものが「藤原」を背負うという自負があり、その力あるものは「国家」を担い、家刀自の形代である「上宮家」を守ると義務付けられていた。
「八束の力はなくならん。藤原の中で、麻呂の次におまえの血がいちばんに濃い」
 面白いものだ、と黒猫は笑う。
 八束の父房前は、その母が蘇我家の血を引いていたため、その血が濃く受け継がれ、中臣の「御力」は薄らいだ。
 だが房前は皇族である三努王の息女牟漏女王を妻とし、その間に永手、八束が誕生した。
 房前の代では眠っていた「中臣」の血が、牟漏女王を介したことで交わって表に噴出し、八束に色濃く受け継がれたようである。
「今生は武智麻呂の家系は蘇我の帝王の血が濃い。武智麻呂は能吏であったが、その子の仲麻呂は帝王の星が視える。隔世遺伝かのう。昔の蘇我の輝かしき星だ」
 四子長子たる武智麻呂の南家において、その子たる豊成も仲麻呂も生まれながらして「視る」力を有さず、そのためか非現実を信じず、現実主義に徹するようになった。
 現在、四子の妹たる皇后光明子に一番に近いと言われるは南家であり、政をその手に握ろうと画策している。
 それを抑えているのが四子二男にして参議房前であった。藤原の四家の均衡を持って互いに協調しあい、皇后光明子を助けて政権を握る。
 社の中央に黒猫が座すと、囲むようにしてそれぞれ座した。
「時の巫女殿」
「奏と申します、ミコト」
 少女の名は奏と言い、当年で十歳ほどだろう。
「私はミコトではないのだが」
「その抱かれし気はミコトさま以外は持ち合わせません。この奏は、ミコトが命じるがままに真津神鏡をこの地におもち致したのです」
 奏は胸元に抱えてきた鏡を、布を解いて黒猫に差し出す。
 それは上宮家が守護せしめる「真津神鏡」に瓜二つの聖鏡に視えた。
「おじじ。これが真津神鏡ということは、あの上宮家の鏡はなんなんですか」
「アレも真実真津神鏡。これも同じく」
 思わず茫然と八束は鏡を見据えた。
 黒猫は苦笑しつつ、少女が差し出した鏡を凝視する。
「家神どの。それでは、この世に真津神鏡は二鏡あるということですか」
 麻呂の問いかけに、黒猫は声を挙げて笑う。
「今、手にある真津神鏡が本物だ。もうひとつの鏡は時のいたずらでしかあるまい」
 誰もが沈黙で先を促すので、黒猫は簡単に真津神鏡についての説明を施した。
 アマテラスの姿を映した八咫鏡はその後、ニニギ命に伝えられ、現在の皇室に三種の神器の一種として伝わった。
 もう一鏡、心を映した真津神鏡は、その後、時の巫女の手によって後の世に伝わったとされ、その鏡を代々「上宮家」が至宝として守護し続ける。
「この奏は、かの神代においてアマテラスの世話をしていた巫女だ。時の巫女と呼ばれている」
 黒猫以外の全員の目が少女……奏に注がれる。
「そして伝説通り、アマテラスの心を映した陰の鏡は、今、後の世に伝わった」
 つまりは真津神鏡がアマテラスの神代より時空を超えて、今はじめて人の世に登場したことになる。
 だが、だ。当世には既に真津神鏡が存在する。それはどういうことなのか。
「単純に言えばこうだろう」
 今、鏡は二鏡となってしまった。
「同じ鏡が時間枠を超えたことによって、二鏡存在することになった」
 真津神鏡というものは、神代において存在し、それ以降は「今」から存在が明記される。そのまま千年の後まで続く。だが千年の後の、後の子が鏡を一対所持して、厩戸皇太子の時代に渡った。
 ゆえに真津神鏡は今より百年も前より存在することになり、その鏡がそのまま受け継がれて「今」に至ってしまった。
 今、同じ鏡が二つ存在することとなり、それは千年の後にまで受け継がれていくと思われる。
「千年の後、上宮時雨が時を渡った時点で、ようやく真津神鏡は一鏡に戻るという時間枠の面白さだ」
 黒猫の説明について、八束は首をかしげ、永手はなんとなく理解したという顔をしている。
 ただ二鏡存在するという説明に、何よりも驚いたのは時の巫女たる奏であった。
「同時期に同じ鏡が存在しては、世にいかなる影響を与えるか知れませぬ」
「心配にはおよびはしない」
 そこは黒猫は抜け目はない。差し出された鏡に自らの血を垂らし「封」と記した。
「この鏡は今より千年以上の後、上宮時雨が触れるまでは力は封じられる」
 奏はホッとしたらしく、そのまま黒猫に向かって頭を下げた。
「ミコトさまのお力を持てば、千年の先まで封はきれませぬ」
「巫女殿。私は単なるこの家の家神。ミコトではない」
「いいえ。あなたはミコトさまです。誰が見違えようとも、この奏が間違うはずがありませぬ」
 どこまでも黒猫に丁重な態度を取る奏は、「命」と黒猫を呼び続ける。命とは神々のことを意味する尊称なのだが、この俗っぽい黒猫が「命」とは到底八束には思えない。 どこまでも八束には黒猫は「おじじ」であり、祖父鎌足の化身でしかないのだ。
「この時の巫女殿は、神代に御世において神々に仕えしお人なり。今、大命をもってこの時に渡られた」
 時の巫女は大いなる神々の力で時空を超えたが、もとの神代に戻る力は有してはいない。  ゆえに、と黒猫はおごそかに告げる。
「この後は一族をもってよくよくお世話をするように」
 その一言が終わると、言うことは言った。やることはやったとばかりに、怠惰なこの黒猫はふにゃあと欠伸をして、その場にゴロリとなった。
「ま、待って下さいよ、おじじ。この時の巫女殿は神代の御世からおいでになったのだろう。なら、どうやったら戻せるのか。戻る方法はあるのか」
「戻る方法はない」
「なんだって」
「私には時戻しの力は付与されていない。私自身は渡れるが、運ぶことは不可能」
「なら……この奏殿はどうなるんだ。おじじは時の家刀自ではないですか。どうにかできないのか」
「できんな」
「……おじじ」
「できぬものはできぬ。時の巫女殿。それは貴方の言うミコトに告げられてきていると思うが」
「……はい」
 小さく奏は呟き、その場に目を落とした。
「我が藤原家は天児屋命の子孫にあたる。御身は一族がお守りしよう。この御世にて健やかに過ごしていただきたい」
「ミコトさまのお言葉のままに」
 その場に平伏した奏は、顔をあげると泣きそうな顔をしていた。思わず八束はドキリとする。
「世話は我が孫の子、藤原八束をもって当たるがよい」


→時の巫女 3章 へ続く

時空の彼方らか 時の巫女1-2

時空外伝7-時の巫女 2-

  • 【初出】 2011年12月04日
  • 【備考】 時代は下がり藤原四子・八束時代。上宮村の初代巫女の話