生きていやがるか



「ねぇねぇ。聞いてよ、ゆーさん」
 三田の福澤の邸宅に顔を出す時、いつもいつも大鳥はこう言って館に上がり込む。
「トリよ。いつもと代わり映えしねぇ言葉だな」
 この頃、天下の福澤もこの大鳥の愚痴に少々嫌気がさしていた。また愚痴に何時間も付き合わされるかと思えば、評論の一つや二つ、書き上げた方が有意義である。
「今日はとっても有意義な話を持ってきたよ」
 エヘンと大鳥は胸を張るが、これっぽっちも福澤は期待していない。
「外務卿井上馨の話だよ」
「またか」
 嫌気がさすどころかうんざりな話を持ってきたようだ。
 福澤は重い吐息を漏らし、やはり評論を仕上げようかと文机をチラリとみた。締め切りは明日だ。出来上がらねば福地に煩く急かされることになるだろう。
「またってなに? 俺は、あのどこの骨とも知れん男がだいっきらいなんだ」
 その理由は耳にタコができるほど福澤は知っている。
 この大鳥が幕臣であったころ、仏蘭西式軍隊伝習隊を率いていた。まぁこの大鳥が考案したものだからろくでもないもので、庶民から公募し火消しもいれば博打打ちもいる。
 だがそう言ったあぶれ者が実は正規の幕臣より「強い」ときており、江戸っ子は「泣く子も黙る伝習隊」とはやし立てたものだ。
 その大鳥の補佐をさせられていた哀れな男が一人。名は本多幸七郎といって大鳥より一回り年が下の男だ。
 福澤もよく知っているが、これぞ副官の鑑というような男で、沈着冷静で頭の回転もよい。馬もまともに操れない大鳥とは違い馬上の姿は錦絵にでもなりそうな格好良い男であった。
 その本多、箱館戦争の後はしばらくは陸軍で教官の任にあったが、昨年ひょんなことから井上外務卿の私設秘書になった。
 大鳥は自分の補佐役として誘いに誘っていただけに、井上の秘書というのは晴天の霹靂であり、まぁはっきりと言えば気にくわない。毎日毎日呪いの言葉を吐いては「うわあぁぁぁん」と泣く始末で、福澤も手に負えなくなってきている。
「どちらかと言うと馬の骨はてめぇだろうが。赤穂の町医者の倅が」
 顔に無数の傷があり、歩く姿はどこぞの渡世人の大親分と間違いかねない風体ではあるが、井上はあれでも列記とした長州藩士である。
「医者は人にはとっっっても役に立つものだよ。馬の骨じゃない」
「井上外務卿は長州藩の列記とした石取りの・・・大組士の家柄っていうじゃないか」
「そんなの知らない」
「・・・てめぇ・・・」
 大鳥の襟元を掴み、庭にポイッと放り投げようかと思ったが、ここで福澤は我慢した。
 縁側には幼い子供たちがジッとこちらを見ている。この子どもたちは大鳥が大好きだ。前に大鳥を足蹴にした際に末の娘が「ちちうえ、きらい」とそっぽを向いたので、少々福澤は傷ついた。
 この人畜無害ののへらぁとした顔は子どもを和ませる効果がある。
 娘の視線を受け、福澤は手を震わせながらも大鳥の襟から手を離した。
「どしたの、ゆーさん」
 当然、いつも通りに放り投げられると思っていた大鳥はポカンとしている。その間抜け顔が家の庭にいる雀に似ていると気づき、吹きだしそうになった。
「ポィッじゃないの。俺、この頃、とっても受け身は上手になったんだけど」
「そんなことで胸を張るな」
「ちちうえ」
 そこに末の娘阿光が走ってきた。福澤の前に立ち、大きく両手を広げる。
「トリのおじちゃんをいじめちゃダメ」
 娘は唇を噛んで半泣き状態で福澤を睨んだ。
「光。父はこのトリを苛めたりしていない。これはつまりは・・・父とトリのコミュニケーションであって・・・・」
「えぇぇぇぇ! ゆーさんの足蹴やポイッってコミュニケーションだったの」
「てめぇは黙っていやがれ」
 光は福澤をジッと見ていたが、プィッとそっぽを向いて大鳥にギュっと抱きついた。
「みつ、トリのおじちゃん、しゅき。ちちうえ、きらい」
 福澤はその瞬間、カクリとその場に打ちひしがれた。
 こう見えて福澤は子煩悩である。ましてや末娘は目の中にも入れても痛くないほど可愛がっており「光は嫁にはやらん」と今から豪語しているほどだ。
「みつちゃん。父上に嫌いっていったらいけないよ。それにトリのおじさんと父上は仲良しだから大丈夫。仲が悪かったらこうして会いにきたり話したりはしないのだよ」
 光は大鳥をジッと見つめる。
「大丈夫、大丈夫」
 と、大鳥はにへらぁと笑った。これに娘は安心したらしくにこっと笑ってそのまま部屋を出て行った。
「なぜだ、トリ」
 福澤は未だに衝撃から立ち直ることができずにいる。
「なぜに子どもらはそんなにもてめぇに懐く」
「決まっているじゃないか、ゆーさん」
 大鳥はにんまりと笑いつつ、
「それは毎日ニコニコと明るい表情をしているからだよ。笑顔は基本。これは人に好かれる根本」
「てめぇは無駄に笑い過ぎだ。そのしまらん顔。戦で負けても笑っていただと。笑う前に勝て」
「ひ、ひどいよ、ゆーさん」
「俺様はてめぇのそのしまりのない顔を見ていると無性にイライラしてくるんだ。今も足蹴にしたいのを娘に免じて耐えてやっている」
「ふぅん。天下のゆーさんも娘の目が怖いってことかな」
「トリ・・・・」
「足蹴反対。みつちゃんにもっと嫌われるよ」
 福澤はふるふると震えつつもどうにか堪える。それを見て大鳥はさらにボケッとした。
「ゆーさんにも弱味があるんだね。ふーん。天下のゆーさんね愛娘には弱いんだ」
「トリ!」
 福澤の限界は当に超えていた。末娘のために我慢に我慢を重ねていたが、もはやその我慢もきれいに消え去り、
「てめぇなどポイッだ」
 福澤は自らの感情を込めて大鳥を庭にポイッと放り投げた。
「うわあぁぁん、ゆーさん」
 見事な受け身を取った大鳥に衝撃はほとんどなかった。が、寒風の庭に放置されるのは寒いようですぐまさ縁側に這い上がろうとする。それを福澤は蹴飛ばした。
「ひどいよ、ゆーさん」
「なにが酷いだ。酷いというのはてめぇの存在そのものだ」
「なにそれ」
 大鳥は少しうるっと目に涙をためたが、それを福澤は思いっきり無視して、無言のまま小半時が過ぎた。
「お邪魔いたします」
 そこに現れたのは大鳥の元部下である本多幸七郎である。
「おう。本多、そこにいる元上司のトリを連れて帰ってくれ」
「・・・大鳥さん。また福澤先生のご迷惑になったのですか」
「それってひどいよ、本多。俺は何も迷惑なんかかけてないって」
 本多は少し胡乱な顔をして、
「大鳥さんですからね」
 と、ため息まじりの声で呟くと、大鳥はその場で頬を膨らませていじけ始めた。
 庭先に下りて木枝で地面に文字を書きながら「俺なんて俺なんて」と子供じみた態度に、本多は苦笑を漏らす。が、この男。大鳥の扱い方にかけては天下一の腕前を誇る。
 本多は微笑みを浮かべながら、大鳥の傍に寄り、ちょいと屈んだ。
「大鳥さん」
 ぷーっとさらに頬を膨らませた大鳥は、ぷいっとそっぽを向いた。
 ここで顔色を変えては長年の大鳥の副官はつとまらない。さらに笑顔を濃くして、大鳥の肩をポンポンと叩き、
「大鳥さん」
 先ほどより優しい声でその名を呼ぶと、少しだけ大鳥の機嫌がなおり、チラリと本多の顔を横目でうかがう。
 ここまでくればしめたものだろう。本多は穏やかな微笑みを刻みつつ、大鳥の耳元にこう甘い言葉を告げる。
「あまり福澤先生のところばかりでは・・・私は寂しいです」
 瞬間、大鳥は目を大きく見開いた。
「本多?」
 本多は少しだけ首を傾げ、そして首を横に振ってみる。
「本多も俺とゆーさんの関係に妬くことなんかあるの」
 そこで微笑めば本多の「大鳥の機嫌を治す」方法は完結する。
 しかも今日はおまけとばかりに、少し照れた笑みを漏らしたので、効果はてきめんだったようだ。
 大鳥はにっこりと笑った。
「分かったよ、本多。俺はこれからゆーさんのところに遊びに来るのを控えるよ」
「あまりお忙しい福澤先生のご迷惑になってはいけませんからね」
 大鳥はコクコクと頷き、その後にすぐに本多に連れられて福澤宅を後にしたのだが、なぜか福澤は釈然としない。
 と言うよりもむしゃくしゃとする。
(あのトリは本多の言うことならばなんでも頷くのか)
 さすがは阿呆鳥。飼い主の言葉には絶対服従だ。鳥頭だから仕方ないかと思い声をあげて笑ったが、なんだか気分が明るくならない。
「ちちうえ。とりのおじちゃんは」
 光が大鳥の好物であるぼたもちを持ってきた。キョロキョロと周囲を見回し、大鳥の姿がないことに見るからにしょぼんとなる。
「トリは帰った。光よ。そのぼたもちは父が食おう」
 すると光は首を振って涙をぽたぽたと落とした。
「光?」
「トリのおじちゃんに・・・トリのおじちゃんに」
「光。まさか父よりもトリの方が好きというのではないな」
「・・・ちちうえ、トリのおじちゃんをいじめるからキライ」
 福澤は衝撃のあまりにその場にぐったりと凹んだ。
(なぜにあのへなちょこトリとこの天下の福澤が)
 考えれば考えるほどにあの大鳥圭介が憎くてならなくなってくる。
 もっともっと蹴飛ばしてやるのだった。そう思うと後悔ばかりが浮かび、大鳥の顔を思い浮かべては毒づくばかりとなったが、
「お~い、福澤さん。明日の締め切りの評論はできたか」
 そこに現れた福地をあわやこの感情の高まりのままに蹴飛ばそうとしてしまうのを必死にこらえた。
「どうしたんだ。その憎々しげな目は」
 長年の付き合いの福地ですらギョッとする目をしていたらしい。
「お~ ぼたもちじゃねぇか。俺は甘いものが好きなんだ」
「その高尚なぼたもちはおまえが口にしてはならんものだ」
「ってなんだよ。機嫌が悪いな。・・・その様子じゃあ評論はできてないなぁ」
「福地」
 福地は飄々と笑って光に近づき、光の頭を撫ぜ撫ぜして見事にぼたもちを一つ手にした。
「トリはなぜ・・・子供に好かれるのだ。俺には分からん。あのトリ頭のどこがいい」
「それゃあいつもニコニコ愛想がいいからだろう。子供はニコニコしている人間には警戒感がなくなるからな」
「・・・それだけか」
「あとは人間性なのか。子供好きは子供に好かれるっていうなぁ。あの山縣陸軍卿。あんな無愛想で無口だって言うのに子供には妙に好かれているぞ」
「あの・・・あの山縣が!」
「そうそう。それに世話好きだからあの人・・・子供とこまめに遊ぶし面倒も見る。ついでに本人は認めはしないが大の子ども好きらしい」
 とてもではないが根暗で無愛想にしか見えない山縣が、どう考えても子供に好かれている場面を想像することは福澤にはできない。
「それで天下の福澤。総評!」
「・・・福地。天下の福澤は今・・・打ちひしがれている」
「そんなことは見れば分かる。それと仕事は別だぞ」
 ぼたもちを持ったままその場に立ちつくしている光をそっと福澤は引きよせた。
「光よ。そんなにトリが好きか」
 幼い娘は無情にもコクリと頷く。
「どこがそんなにいいのだ」
「やさしい。いつもにこにこしているところ」
「そ・・・そうか」
 確かに大鳥は子供には優しいし、無駄にニコニコしている男だ。
「なぁ福澤さんよ。またトリとなにかあったんじゃないのか」
「光が・・・俺の可愛い光が父よりもトリの方が好きだというのだ」
「あっ・・・そう」
「これは父として許し難い。しばらくトリは・・・」
 この家の敷居は潜らせん。と言おうとしたのだが、娘の手前、グッと飲みこみ、福澤は光の頭を撫ぜて文机の前に移動した。
「やる気になったか、福澤さん」
「世の子どもに好かれる理由というものを書く気になった」
「はあぁぁぁぁぁ? 俺が依頼したのは地租改正において全国に広がりつつある反乱についての意見だ」
「そのようなもの俺でなくても書けるだろう。だがこれは俺にしか書けん」
「ちがぁう。あんたしか書かんだろう、そんな内容は。いいか天下の福澤。頼むからそろそろ正気に戻ってくれ」
「書くといったら書く」
「おぉぉい」
 そこで光はトテトテと歩いて部屋を去っていったので、万年筆を握りつぶしかねんほどにきつく握り、原稿に「憎きトリ」と大きく書いてしまった。
 無性にむしゃくしゃする。
 そうあの大鳥が本多に連れられて帰っていったときから、全てに対して面白くないのだ。
(そう言えばあのトリ。本日の本題をついに言っていかなかったな)
 さすがはトリ頭。訪問の本題も忘れるなど実にあのトリらしい間抜けさだ。
「福地。三歩で忘れる鳥頭の由来について調べてしたためる」
「だぁかぁら俺の依頼は違うって。鳥頭などどうでもいい! 頼むよ。あんたも天下の福澤と言われた男だ。依頼通りの総評をパパっと仕上げてくれよ」
「鳥頭について考える方が何百倍も高尚である」
「おいって」
 ふん、と鼻を鳴らし、福澤は一つ吐息をついた。
 大鳥の井上馨についての要件は何であったのかが今となっては気にならんこともない。
 まぁ明日、また不意に現れ、ぐたぐた要件を並べるだろうから、その時に問いただせばよいことだ。
「世の人に問う。なぜ根暗な男でも子供が懐くのか。また無駄にニコニコしているオトナを好くのか。その理由を読者にようよう問うという企画はどうだ、福地」
「そんなので新聞が売れるか」
「・・・頭が固い男だ」
「あんたの頭がおかしいぞ」
「問題は鳥頭と子供にある」
「なぁい! 頼む、福澤先生。出来上がったら美味いものをごちそうする。頼むから、明日まで仕上げてくれ」
「鳥頭と子供についての理由が知れたならば書こう」
「地租改正が先! ぜったいに先だ」
 だが興味があるものは寝ずに取り組む福澤という男は、気の進まない時は一文字たりとも書けん男だったりする。
 寝ずに子供と鳥頭について考えに考え、その考えを何度も紙に書き、それが少しは形になったのは朝。少し寝て、義塾で講義をし、さてそろそろかと大鳥を待ったがその日は大鳥は姿を見せなかった。
 子供と鳥頭についての意見を聞きたかったが、来ないものは仕方ない。
 まぁ形にはなったので大急ぎで福地の要件を済ませた福澤だったが、時間が経つにつれまた腹がたってくる。
「なぜきやがらん」
 用事がないときにはちょいちょい顔を出すと言うのに、要件があるときは一向に顔を出さん。
「できたのか、福澤先生」
 原稿を渡してやると福地は大喜びで、その場で阿波踊りでも踊りかねん様相で帰っていった。
 翌日もその翌日も大鳥は顔を見せず、子供たちは「トリのおじちゃん」とさびしがり、ついには福澤もイライラしてきた。
 大鳥が姿を現したのはそれから五日後だ。
 子供たちに熱烈なる大歓迎を受け、ほくほく顔でぼたもちを食べ、
「本多に毎日毎日通うと迷惑になるから、ほどほどにって言われたからさぁ」
 ここ数日、顔を出さなかった理由を大鳥は語る。
(本多が言うから来ないというその理由! まるで親に言われた子供のようではないか)
「みつ・・・トリのおじちゃんにあえなくてさびしかった」
「おじさんも光ちゃんに会えなくてさびしかったよ」
 大鳥に頭を撫ぜ撫ぜされて光はご満悦だ。
(トリめ!)
 なんとも憎らしくあるが、子供たちの手前、足蹴はできはしない。
「おまえは本多が言えば、なんでも聞きやがるのか」
「うん。たいていのことはね」
 大鳥はにっこりと笑う。
「おまえには自分の考えや意志はないのか、このトリ頭が」
「そうは言うけど、なんていうか・・・本多が少し妬いているみたいだからさぁ。俺としては嬉しいと言うか」
「トリ頭がついにのぼせたか」
 足がピクリと動くが、それを福澤は拳を握りしめて耐えた、
「・・・トリのおじちゃん。まいにち、あそびにきて。みつはさびしい。ちちうえ、おもしろくなさそう」
「光! 父はなんとも思ってはいないぞ」
「ちちうえ、つくえのまえで・・・ずっとかんがえごとばかり。・・・だから・・・とりのおじちゃん」
「光ちゃんに会えないのはさびしいし、ゆーさんに話しを聞いてもらえないのは、おじさんも辛いなぁ」
「じゃあ、いままでどおりきて。みつ、まっている。ずっとずっとまっている」
「・・・それは・・えと・・じゃあ時間があるときは顔を出すようにするよ」
 その言葉を聞いて少しは納得したのか光は兄や姉に手を引かれて座敷を出て行った。
「・・・おもしろくなさそうだね、ゆーさん」
「末娘が父よりも別の男が好きと言うのだ。面白いはずがなかろうが」
 引き出しより取り出した子供についての総評を渡すと、読みながら大鳥はケラケラと笑う。
「そんなに光ちゃんにキライと言われたのが衝撃だったんだぁ」
「だまりやがれ」
「心配しなくても、あの年頃の女の子のいちばんは、当然、父親だよ」
「・・・」
「ちゃんと光ちゃん言っていたよね。父上、面白くなさそうって。見ているんだよ」
「人畜無害のへらへら顔で、本多ばかりか幼子までたぶらかすトリめ」
「・・・ゆーさんも本当に人の親だと思うよ、そういうところ」
 読み終わった、と総評を置き、ゴロゴロと横になった大鳥は、
「けどやっぱり何日も顔を出さないと、俺は愚痴がたまりそうだよ。あらんことばかりを考えてしまうんだ。大砲を作って井上馨をぶっ飛ばすとか、完全殺人をどう決行するかってさ」
「井上が死亡した際は、新聞にでかでかとトリの犯行設を載せるとしよう」
「それでゆーさん。一度も聞いたことがなかったけど、俺がこうちょくちょく顔を出すのって迷惑だった?」
「決まっているだろうが」
「・・・そっか」
 大鳥は少し落ち込んだ顔をするので、内心で福澤は少し慌てた。
「だ、だが・・・子供たちには手習いが必要だ。俺や一太郎は時間が取れんから、トリが見る分に関しては・・・」
「手習いをきちんと教えるなら、足しげく通ってもいいってこと?」
「・・・」
「でもゆーさんが迷惑なら頻繁には来ないようにするよ」
「・・・」
 性格上「迷惑ではない」と言うことはできず、内心でどう言葉にすへきか考えていると、その顔を覗いてきた大鳥はにんまりとする。
「ねぇゆーさん? 迷惑?」
 この男は福澤の性格をよく心得ている。心得た上で、今、ひとつの言葉を言わそうとしているのだ。
「トリの分際が!」
 いつもの癖で足を繰り出したが、それをヒョイと大鳥は避けた。
「迷惑じゃないって言わないとしばらく来ないけど」
「てめぇなど内湾に石をつけて沈められてしまえ。二度とここにはくるな」
「ひ、ひどいよ、ゆーさん」
「恥かしいことを言わそうというてめぇが・・・てめぇが・・・なんて破廉恥な奴だ」
 次の足蹴は見事に命中し、大鳥はその場にドテッと倒れてしまった。
「い・・いちゃい。ゆーさんなんか大っきらいだ」
「大嫌いでけっこうだ。おとといきやがれ」
 大鳥は痛い痛いと尻を撫ぜつつ、「一昨日にどうやったら来れるんだろうね」という一言を残し、とぼとぼと座敷を出て行くものだから、やりすぎたと福澤は思った。
「と・・・トリ」
 間の抜けた呼び声に大鳥は一度だけ足を止めたが、そのまま玄関に向かってしまった。
 光が「トリのおじちゃま」か駆けて行く足音が響く。
(言いすぎたか・・・)
 少し反省はしてみる。
(なにが迷惑?、だ。あんな聞き方をするトリが悪いに決まっておる)
 そう言えば、本日もまた来訪の要件がなかった。
 考えれば、大鳥はいつも「愚痴」を言いに来るのであって、それが要件なような気もする。
(そのうちまた顔を出す・・・いつもそうだった)
 気に留めることもないだろう、と笑ってみたが、口から漏れるため息は嘘を付けない。
「・・光がさびしがる・・・だろうな」
 そして大鳥はそれから十日も顔を出さず、ついには光に「ちちうえ、きらい。きらい・・・だいっきらい」と宣告された福澤は、大いに打ちのめされ、
 さらに十日が経ち、それでも顔を出さない大鳥に対して適塾で顔を合わせて以来はじめて、手紙を書いた。
 一筆、
 ・・・生きていやがるか。
 これが頑固で偏屈な天下の福澤の精いっぱいの妥協であった。

生きていやがるか

生きていやがるか

  • 適塾コンビ
  • 全1幕
  • 【初出】 2015年2月23日
  • 【備考】裏の短編「最低なオトナ」共々三年前に書いて、書き書けのまま放置したものを修正してアップしました。