明治記念館にいこう




 小春日和の日差しが降り注ぐ。
 本日、明治保育園の桜組と蓮組は秋の遠足。
 桜組担当の木戸孝允は、右手に山田顕義、左手に鳥尾小弥太と手をつなぎ、その後ろには井上聞多と伊藤俊輔が二人手を繋いで続いてくる。
 木戸の前には三浦梧楼が、山県に押し付けられた犬養毅と、なぜか遠足に紛れ込んだ二歳の原敬と手を繋いで歩いている。
 場所は明治神宮外苑。本日の遠足の目的地は、明治記念館となっている。外苑まではミニバスで来た。
「……カッカ。なぜ明治記念館なの」
 蓮組担当の山県狂介は、背に清浦奎吾を背負い、右足の衣を桂太郎が握り締め、左足の方は田健治郎が掴んでいる。
 前方には児玉源太郎が乃木希典と手をつなぎスキップして進み、
 山県の後ろからは平田東助と白根専一がピッタリとついてきて、白根の後を大浦兼武が追う。
 コチラの蓮組はほぼかつての山県閥で占められており、「カッカ先生」こと山県に対する独占欲は凄まじい。
「伊藤のリクエストだ。かつて憲法制定がなされた金鶏の間をどうしても見たいとな」
「イトウカッカでしゅか」
 太郎がいかにもいゃあな顔をした。
「けんぽうなんて俺らぜんぜんかかわってないしよ」
 児玉が振り向いて言う。
「イトウカッカは近くのあの聖徳記念絵画館もいきたいっていったそうですよ」
 白根が冷たく言い捨てた。
「陛下の一生を絵画で記されている記念館だ。実に良い場所だが、騒がしい子どもたちをあの格調高い場所に連れて行くわけにはいかん」
 その記念館は異国の情緒に満ち、一種独特な風情がある。ドーム状の荘厳な建物は、内も外も思わず人が息を飲むほどだ。
 ここならばたいていの明治の人間には思い出深い場所となる。木戸や伊藤、山県もだが何枚もの絵に登場するのだ。
 だが他にも訪問者がいる中、園児が明治の時代をこと細かく語れば奇異な目で見られよう。
 昔は記念館の前はプールだったが、今ではその面影はない。プールならば子どもたちも喜んだだろうにと思った。
「でもカッカ。きねんかんも僕たちこどもたちには場違いではありませんか」
 平田東助が三歳の子どもとは思えない最もな言い方をする。
「せめて格式高い場所に合うよう、皆に正装をさせてきたが……」
 子どもたちは全員がお子様用に新調された背広制服である。蝶ネクタイにハーフパンツというところが幼さを全面に出し可愛らしさを演出している。桜組が茶色で、蓮組が黒となっている。
 先ほどからすれ違う人は皆「かわいい」と絶賛のおそろいの制服は、山県の妻友子の仕立てである。
 友子はこれに猫耳をつけたいといったが、山県が即答で却下した。
 本日の訪問先である明治記念館とは、大正の御世には憲法記念館といわれていた外苑内にある建造物のことだ。伊藤博文を中心とした憲法草案の審議の場となり、後に伊藤に下賜され、恩賜館として伊藤邸に移築されている。その後、伊藤家より寄贈。現在の明治記念館となった。
 今も明治記念館本館はかつてのまま保存され、結婚式場として親しまれている。
 憲法制定の御前会議が開かれた金鶏の間は、今は喫茶が楽しめ、誰もが出入りができるようになっている。
 十分ほど歩くと、目前に明治記念館が見えてきた。
「どう見てもカッカ、場違いだぞ」
 児玉がため息をし、乃木などは「大丈夫?」という視線を山県に向けてくる。
 できるのならば山県とて、園児を引きつれ、明治記念館などに遠足には来たくはなかった。敷居が高い。ましてや今まで遠足で明治記念館を訪れた保育園などなかろう。
 前方を歩く蓮組の児童が門前で「わあぁぁ」と声をあげた。
 先を駆ける伊藤は感慨深げだ。
「なつかしいよ、もんちゃん。ここでいろいろとあったね。ごぜんかいぎもしたし」
「ぜんぶ残っているらしいぞ」
「はやくはいりたいよ」
 伊藤、井上ははしゃいでいる。
「おもしろくない。いとうさんの思い出のところばっかり」
 市、と木戸は山田の頭をよしよしと撫ぜ、
「みんなに狂介が美味しい苺のケーキを食べさせてくれるって」
 すると全員が全員、パッと山県の顔を見る。苺のケーキに目を輝かせているのだ。
「……この記念館のケーキセットを全員に……と仰るのか。貴兄は」
 山県は頭が痛くなってきた。こういう記念館のケーキはそれなりに高額だ。
 元山県の庭たる目白台にある椿山荘も、今では結婚式場として著名な場所となっており、ここのケーキセットも中々に値が張る。
「さすがに見物だけでは……ね。みんなで金鶏の間でケーキを食べよう」
 山県は早足で木戸の横に追いつく。途中、太郎はついていけず置いてけぼりだ。
「どうにか市の認可を取り付けたが、保育園は財政難だ」
「狂介は苺のケーキを食べたくはないのかい」
「俺は甘いものは好きではない」
「私は食べたいのだけど……」
 必殺……木戸の上目遣い。目もわずかに潤ませる。
 そしてこの攻撃に山県は一度として勝てた試しはない。
「……苺のショートケーキだけにしていただく」
「山県、ケチなおまえにしてはふとっぱらだな」
 井上がニタリとし、
「ガタ、紅茶くらいは飲ませてよ」
 山田がニヤリとする。
「やっぱりセットがいいよ。金鶏の間で食事できるなんて……かんがいひとしお」
 伊藤はルンルンとスキップをして、明治記念館の門を潜った。
「カッカ、憲法といえば、いとうカッカは神奈川の別邸でしあん中に、ぬすまれましたよね」
 白根専一が腕を組んで、切り出してきた。
「そうだそうだ。いとうさま、横浜に遊びにいっているときに、ぬすまれた」
 太郎がケラケラと笑い出す。
「すごいさわぎだったよな。でも泥棒はぜんぜんたいせつなものとはわからず、畑にかばんごとすてたって」
 児玉が振り向きざま、続ける。
 すると伊藤が猛然と走ってきて、児玉と太郎の頭をペシッと叩いた。
「そんなむかしのこと、おもいださなくてよろしい」
「だっておおさわぎだったよ、いとうさま。だいしったいだって」
 太郎はニタニタ。
「人のかこの傷をえぐらないでよ」
 伊藤はフンと仏頂面だ。
 事実、憲法草案の審議は、夏島(神奈川県横須賀)にある伊藤博文の別邸が本拠地とされた。
 だがこの別邸が手狭であることから、近くの料亭を事務所として借受、当初はここで審議が行われていたが、明治二〇年八月六日。伊藤が横浜に出向いたいる際、この料亭に泥棒が入り、憲法草案が入った鞄が盗まれる事件が起きる。
 不幸中の幸いで、泥棒がこの憲法草案の重大性に気付かず、近くの畑に鞄ごと投げ捨てられており事なきを得ているが、以降は伊藤の別邸で審議に入っている。
「………ごくろうさま」
 本館の前に立つ警備の人間たちに、伊藤はそう声をかける。
 本館の前に立つボーイも「お子様たち?」と目を点にしているが、
 正装をしていることもあり、今日の結婚式に出席するのか、とでも思ったのだろう。笑顔で通してくれた。
 記念館は本館が元憲法記念館であり明治の趣きそのままで、新館は和洋折衷を織り込まれ後に設えられている。
 明治の香りがふわりと馨った気がした。
 伊藤は一本一本の柱が懐かしいらしく、柱に手を当て、立ち止まる。
「しゅん……」
「もんちゃん。なつかしい……ね。御前会議」
 いつもは大騒ぎの元気な園児たちが、記念館に入ると同時に、シーンと静寂となり声も出しはしない。原と犬養という始終喧嘩を繰り広げる二人が、懐かしげに見回しているほどだ。
 伊藤と井上が柱を見回し、山田がそんな二人を後ろから見ている。
 鳥尾と三浦は二人手をつなぎ、何か重圧に耐えるかのように唇を噛んでいた。
 その中で、山県閥の園児たちは、なぜか一同緊張しているのか萎縮しているのか。皆、山県にしがみついて離れようとはしない。
 震える清浦を抱っこすると、「カッカ」と言って涙を流す。
 明治という時代を如実に物語る場所に来たのは、この子たちにとっては初めてであったか。
「次官」
 懐かしい呼び名で、山県は太郎を呼ぶ。
 確かにこの明治記念館で憲法審議がされたその時、太郎は陸軍次官である。そして山県が太郎を呼ぶのに一番に多く使ったのはこの次官という呼び方だ。
 振り返った太郎は妙に暗い顔をする。山県はその頭を撫ぜた。
「そろそろ苺のショートケーキを食べにいこうか」
 すると重苦しさに耐えていた子どもたちは、パッと笑顔になった。
「木戸さん」
 なぜか乃木を抱っこしている木戸が、一番不思議な顔をしている。
 この中において憲法の審議がされたこの記念館に、かつて一度も踏み入れてもおらず、姿すら見ていないのは木戸だけだろう。
「明治の香がする場所だね、狂介」
「私はさして感慨もないが」
「そうなの?」
「ここは伊藤の聖地だ。やはり私は自らが設えた椿山荘の方がよい」
 ほとんどが空襲で焼け、かつての面影はないが、それでもわずかに残る面影が、心に感傷を思わせる。
「……私に気を使わなくても良いよ」
「本音なのだが」
 木戸より乃木を引き取ると、乃木もやはり何か思うところがあるのか天井を見たり、キョロキョロ視線を動かしている。
 まず伊藤と井上が手を繋いで金鶏の間に入っていった。
 すぐに目に入る金屏風。あの時のままに保存されている。後に張り替えたかもしれないが、壁紙も、天井の木目もそのままだ。
 伊藤は立ち止った。井上はそんな伊藤の肩をポンポンと叩く。
 当時司法大臣であった山田が横を向きながらも、その目から涙がポロポロと落ちた。
 山県は蓮組の児童たちをとりあえずは全員引き寄せる。
 何かの記憶を辿るように落ち着かない子どもたちだが、木戸がよしよしと頭を撫ぜると、フッと息を吸った。
 人数分のケーキセットを頼みにいく山県は、そこで乃木を下に降ろし児玉に任せた。
 金屏風の前に立ったままの伊藤をそのままにし、大浦が断ってパシャパシャ写真を撮り始める。
 人数分の席が用意された。
 子どもたちはやはり言葉を発しない。
 苺のショートケーキが目の前に並んでも、フォークを持ったまま、全く食べようともしないのだ。
 ようやく伊藤も席につき、神妙な顔からニッと笑顔を刻み、
「今、かんがえるとね。このてんじょうってワッフルみたいにデコボコでおいしそうだね」
 と、伊藤らしい一言を告げる。
 庭を見ていた井上などは、
「見ろよ。はなよめさんがいる。きれいだぞ」
 緊張が一瞬にして解けた。


 苺のショートケーキに満足した一同は、庭に出て、それぞれ駆け巡っている。
 やはり幼子は幼子らしく遊んでいる方が山県としてはホッとした。
 あの明治という時代の重圧に押しつぶされそうな顔をされるのは、妙に心が痛む。
 伊藤と井上はすっかりいつもの顔をして、記念写真をとっている白無垢の花嫁をジッと観察していた。
「健治郎。ゆっくりと食べればいい」
 庭に出た園児たちは木戸に任せ、山県は未だにショートケーキを食べずジッと見ている田健治郎の横にいる。
 平田と白根も紅茶を飲みつつ、外には出ずにいた。
「カッカ。けーき、きれい」
「そうか」
 よしよしと頭を撫ぜると、健治郎はニコッとする。
 きれいなものが好きな健治郎は、ケーキを食べるのがもったいない、と観察しているのだ。
「伊藤カッカは、むりをしています」
 平田が庭を見ながら呟く。
「かなり無理をしておられます」
 白根も同意した。
「ここは一度伊藤に下賜された間だ。思い出が強い分、感傷にも流される」
 当時枢密院議長として御前会議にあった伊藤だ。
「だが伊藤ゆえ、明日になれば思い出は思い出にして笑うだろう」
 それでも井上の手をしっかりと握り締めている姿は、山県をわずかに不安にさせる。
 健治郎はようやく覚悟がついたのかケーキを食べ、紅茶を飲み終えた。
 そろそろ頃合だろう。
 外苑内を散歩し、少し遅いお昼のお弁当を食べるのもちょうどいい。
 庭で遊ぶ子どもたちに集合と号令をかけ、未だに花嫁をデレッと見ている伊藤と井上を両脇に山県は抱えた。
「ヤマガタ、なにをする」
 伊藤が頬を膨らますが、山県はそのままにした。
「伊藤」
「なにさ」
「あまり過去に捕らわれるな」
「……僕はなんともない」
「……そうか」
「けど……もう少し経ったら泣くかもしれない。そのときは、ちゃんとめんどうをみてよ」
「分かった」
 誰もが名残惜しげに記念館をじっくりと見て、外に出た。
 大きく息を吸う。日差しが眩しいが、なんだか妙にホッとした。
「次は……けんせいきねんかんに遠足にいきたいぞ」
 とは犬養の言葉だ。
「議事堂けんがくもいいね」
 白根が続く。
「こだま神社もなかなかの場所だ」
 児玉源太郎らしい。
「……誰もさして縁がない浅草の方がいい」
 犬養と原の手を握っている三浦がそう言い放つ。
「次は次で考えよう。さぁ早くお昼を食べる場所を見つけないと」
 木戸が話しを打ち切ると、みんなで「はぁい」といって歩き始めた。
「カッカ、カッカ。ぼくは椿山荘がいいな。ぼくとカッカのおもいでのばしょ」
「それをいうなら、かちゅらさんよりもわたしやしらねさんや清浦のほうがおもいでがありましゅ」
 平田が後に続く。
「うるしゃい平田。おまえはいちゅも僕とカッカのじゃまばっかり」
 園児たちは賑やかさを取り戻し、いつもの煩さが戻ってきた。
 山県はトボトボと歩く清浦を抱っこし、そうだ、と思う。
「次の遠足は小石川後楽園とする」
 園児は無料で入れる。
 お弁当を食べる場所もある。目の保養にもなる。最高の場所だ。
 ちなみに山県は年間パスポートを所持していた。
「イヤだよ、ぼく。あのこうらくえんって一周するのにすごい時間がかかる」
 山田がイヤだイヤだと喚くが、
「本日のケーキセットにより保育園の財政が厳しい」
 全員が押し黙り、小石川後楽園で渋々納得する。
「みんなで後楽園を見るのもまた楽しいね」
 木戸が笑った。
 冬の遠足は後楽園でみんなで騒ごう。


 後日、大浦兼武はデジカメで映した写真をみんなに配った。
 伊藤はそれを宝物のように見つめて、思い出のアルバムに閉じた。
 以来、伊藤は悲しき顔はしない。


明治記念館にいこう

明治記念館にいこう

  • 全1幕
  • 倉庫保管
  • 【初出】 2009年10月12日
  • 【修正版】 2012年12月15日(日)
  • 【備考】2009年神宮外苑「明治記念館」訪問記念