序章
母上様、父上様、お許しください。
尚高さま、私をお許しくださいませ。
悠子、母さまを許してください。
許されぬと知りつつも、その許されぬ道に流されて……私は今、この断崖に立っております。
なにひとつご不自由なくお育てくださり、
人が羨む伯爵夫人となり、日々優雅に過ごすことを与えられ、
このまま時が映りゆくことに、私はなにひとつ疑問を思ったことはありませぬ。
気位高き侯爵家の息女として、人に敬われるこの身。
父上様、母上様のように静かに、されどお互いを思いあい慈しみあって尚高さまと生きていくことが当然と、私は幼き時より思ってまいりました。
幼馴染にして許婚。幼い時より私の兄同様でもあり、愛しき人であった尚高さまと結ばれ、私はなにひとつ自分の生き方に不平を抱いたことがございませぬ。尚高さまは、優しく、私はとてもいとおしく思っておりました。
尚高さまを私は愛していると思っておりました。
愛という目に見えぬ感情を、私は生涯抱いていく所存にございました。
どこでなにが崩れたのでしょうや。
されど私は不思議と悔いていませぬ。
この方に出会わなければ、私は「恋」を、日日の充実さを、生きることの難しさを、この世の理不尽さを知らずに生きたことと存じます。
あの日、はじめてこの方に出会い、
私の時はその日に止まり、新たに動き出したと思っております。
*
明治三十九年、葉月上旬。
深草侯爵家長女薫子と、野々宮伯爵家長男尚高の華燭の典がとり行われた。
薫子十六歳、尚高二十一歳。幼くして許婚同士であり、仲睦まじい幼馴染の婚礼は神宮にて華々しくとり行われている。
おりしも日露の戦争にて旅順陥落の戦勝ムードが高揚とした時期も一変。賠償金がなにひとつ手にできず東京が大騒動になった一件も落ち着きを見せ、時の西園寺内閣は満鉄設立に動いているそんな時期。
白無垢に包まれた娘の姿に涙する母董子と、傍らでそっと董子を抱きとめる高道の姿に、薫子は両親のような夫婦になりたいと思ったものだ。
『十六年の間、慈しみ、またなにひとつご不自由なくお育てくださり感謝の言葉もありませぬ。御父様、御母様、ありがとうございました』
昨夜、深草家の娘としての最期の晩。両親に向って感謝の辞を口にした薫子に、
『十六年……なんと短い時でありましたか。母は……おまえが生まれた時のことを昨日のように覚えております。……薫子、しあわせにおなり。自分の思うように生きて……尚高さんと歩いていってください』
涙して薫子の手を握り締める董子は、もしやすると同じ白無垢を着て深草家に輿入れした我が身の姿を重ねていたのかもしれない。
寡黙な父はさして物を語らず。ただ小さく、
『隣同士だ。頻繁に顔を出すように』
そういって縁の方にいってしまった。
そんな父が薫子は大好きだった。幼い頃から父はいちばんの憧れの人であり、今なお夫となる尚高よりも好きといえるかもしれない。
『薫子は御父様も御母様もいつまでも大好きでございます』
なにかありましたらすぐに実家に戻ってまいります。薫子はご承知と思いますが、我慢はとても苦手なのです。
そう笑顔で薫子は「深草家」の娘の最期の夜を締めくくった。
そして今白無垢に身を包まれて「野々宮家」の人間となる薫子を、感慨深げに見つめる父母。誰もに祝福を受けながら「華燭の典」をあげられる我が身を幸せと思いながらも、ふとつい先月に亡くなった薫子をかわいがってくれた人の面差しが脳裏に浮かび、消えていった。
「児玉の小父さまにも見ていただきたかった」
傍らの尚高が「そうですね」と小さく呟くのが聞こえた。
児玉源太郎大将。かの日露戦争のおりの満州軍総参謀……旅順陥落の功労者と言わしめる男は、深草家と親交があり幼い薫子を実の孫のように可愛がってくれたものだ。
南満州鉄道株式会社設立委員会が設置されその委員長に就任して間もなく、児玉は病死した。陸軍を長らく背負ってきた人間に対する哀惜は未だに強いが、薫子としては長年可愛がってくれた『児玉の小父さま』の快活な笑顔が見れなくなったそのことに胸を痛めた。
「空の上から薫子さんの雅な姿をきっとご覧になっておりますよ」
柔らかに穏やかに笑む尚高。この人は昔から変わらない。
隣家の伯爵家の御曹司。五歳違いで、いつも薫子の遊び相手になってくれた幼馴染。どんな無理難題もいつも笑って……尚高が怒った顔を未だに一度も見たことがない。
やさしいやさしい……好青年の尚高が大好きで、いつも袖を握って後についてばかりいた。尚高が出かける時はいつも窓から尚高が帰るのをひたすら待ったものだ。
例え三歳の幼子でも「恋」をするのである。
大好きな隣家の幼馴染に、薫子は物心つく前から夢中だった。
『かおるこは尚さんのおよめさんになるの』
そう最初に口にしたのはいつだったろうか。
尚高は少しばかり困った顔をして薫子の頭を撫ぜるだけだったが、
『十六の年を迎えたら、薫子さん。尚高のお嫁にいらっしゃい』
そう尚高の父東摩が柔和な笑顔で軽く告げたのだ。
七歳の時簡単な婚約の儀がとり行われた。大好きな幼馴染とずっと一緒にいられることが嬉しくてはしゃいだのを覚えている。
深草侯爵の息女の婚約。それは「なりあがり物」と蔑まれる野々宮家にとっては願ったり適ったりものだったろう。
今となっては尚高の気持ちを確かめるようがなく、不安で「尚さまは私を好いてくださりますか」と尋ねてしまうと、尚高は穏やかに「好きですよ」と答えるばかり。
おそらく伯爵である父東摩に十二歳の時に命じられた婚約。華族にとっては縁談は自分で選択する権利がなく、主上の許可をも必要とされるが、この時代親の命令は絶対であり、それは縁談になると「否」を口にする権利もないといわれている。
尚高はおそらく薫子を好いてくれている。
けれどそこには「穏やかさ」が漂い、恋も愛もなく、時に流されるだけの「当然」の義務から発生する思いであることを、今ごろ薫子は……少しだけ気付いてしまった。
大好きな初恋の人である尚高の心が……どこか遠くにあるようで、
華燭の典の最中、薫子は嬉しさではない涙が一滴落ちる。
(時が解決する……)
母と父のように連れ添うことで「夫婦」として確たる形をつくることもできる。
薫子はちらりと尚高の横顔を見た。大好きな大好きな幼馴染と「夫婦」という形で一緒にいられることに喜び、
それが幼い独占欲という感情を「恋」に転嫁しただけであることを、薫子は知ろうともしなかった。
野々宮家の時期伯爵の尚高に嫁しても、鹿鳴館では未だ薫子は「深草侯爵の長女」という肩書きの方で扱われる。それが華族社会の礼儀と堅苦しいと思いつつも、薫子は精一杯尚高のために傍らで微笑み続けた。
一連の結婚報告も終えてはじめて野々宮家の本宅に足を踏み入れは薫子は、馴染んだ勝手知ったる隣家といえどもひどく緊張し、ドキドキと胸を高鳴らせたものだが、使用人の顔をすべて覚えている薫子である。すべての使用人が「薫子さま」となにひとつ変わらぬ態度で迎えてくれたので、それが嬉しくて泣きたいのをこらえて微笑んだ。
侯爵家の令嬢として育った薫子は、幼いころから人前で涙を流すことをしない女の子だった。
母や父や弟妹の前では泣き虫な薫子だというのに、家族以外の前で涙を流すことは誇りが許さない。
侯爵家一気位が高い……誇り高いとまで言われてきたが、どうしても他の前で涙を流す心情が薫子には分からないのだった。
「薫子さんはまだ幼い。もう少し私は待ちたいと思います」
尚高はそういって初夜の心得を教え込まれてきた薫子にふんわりと笑った。
十三で嫁いで十五には子がある友人が多い中、今、薫子は十六の年を数えている。
(尚さまには私は女として魅力がないのかしら)
こういう時にどう反応すればよいのか分からず、ただ唇を噛んでいた薫子の頭を尚高はよしよしと撫ぜつつ、
「私と薫子さんは兄妹のように育ってきましたから、私はまだ貴方を妻として意識することはできません。しばらく時をかけて夫婦になっていけばよいとおもいます。なので……しばらくは寝室を同じくしても、貴方の体に触れることはしません」
それをいつものように尚高の優しさと受け止めればよかったのか。
ただすべての覚悟を決め、尚高の傍にあがったというのに、初夜ではぐらかされた形となった薫子の胸は痛く熱かった。侮辱と一瞬頭によぎる言葉は、尚高が優しく腕に抱いて眠ってくれたので消えかかったが、また頭の片隅に閉じ込めていた不安が表に出てくる。
「尚さま」
穏やかさは寝顔も変わらない尚高を見つめながら、嗚咽をこらえて薫子は泣く。
(尚さまにとって薫子は女ではないのですね)
『かおるこはなおさまがだいしゅき。なおさまのおよめさんになる』
まだお嫁さんの意味も知れず、尚高の傍に居たいと思う心が強いあまりに口にした言の葉は、もしかすると尚高の心を縛り続けたのではないか、と薫子は不安でいたたまれない。尚高の妻となったはずの今この時、この身を包む警鐘に似た不安はなんなのか。この居たたまれない思いは……。
なによりも、
(きっと尚さまは薫子を愛してはくれない)
尚高にとっては先の初夜の拒絶の言葉とおりに、薫子は隣家の自分に付きまとう妹のような女の子でしかないのだ。
それが真に思えて哀しくて泣き、だが今この自分を抱きとめてくれているのは尚高の腕であり、ぬくもりであることが、張り裂けんばかりに嬉しい。
せめて良妻であるように、野々宮伯爵家の名を傷つけない妻であるように心がけよう。
そうすればいつか尚高の心が自分に向いてくれるはず。
そう言い聞かせなければ薫子の心は……正気を保てないほどに揺れ動いている。
妻という地位は華族の中では、夫の名を高めるためにあるのが第一である。
夫に恥をかかせない妻であること。誰もが模範となす妻であること。そして華族の社交の中でそつなく優雅に立ち振舞うこと。
貿易商を営む野々宮伯爵家において、跡継ぎの尚高は父東摩にしたがって何日も館を空けることが多く、薫子も薫子で時期伯爵夫人としてお茶会などのご招待や華やかな舞踏会に出ることが多い。夫婦の時間はまったく訪れる気配すらない。
これでは結婚する前の生活となにひとつ変わりはないではないか。ただ住まいが変わっただけで、時間が空けば薫子は実家の自分の部屋に戻ることもしばしばだ。
野々宮家ではすでに義母となる二三子が五年前に亡くなっており、尚高は一人っ子のため、広大な伯爵家に薫子一人取り残されると寂しさのあまり実家のあたたかさをもとめてしまうのだ。
はじめのころは「野々宮家の人間なのですから」と母董子が戒めてきたが、今では何もいわずに尚高が留守の時の里帰りを許してくれている。
といってもやはり体面はあるので、実家にあるのはお茶の時間くらいで、寂しくても夜は野々宮の寝室で眠ることにしている。
いつ尚高が戻るか分からないのだ。
戻った時には笑顔で迎えて差し上げねば、と。
華族の中の社交場は薫子にはなれたものだし、深草家の息女に無礼をするものも居なかった。むしろいつも社交の場の主役であり花であった薫子である。
この冬には完成予定の皇太子殿下がお住まいになる東宮御所のご完成間近の噂ばかりが広がる中、薫子にとってはあくまでも退屈であわせて微笑んではいるが、心ここにあらずの日日だった。
時折尚高に手紙を書くことにしている。今年の流行語ともいえる「親愛なる」からはじまる手紙は……日常のこと……そして尚高への遠まわしの恋歌を添えて送ろうとも、返事は一通も薫子の手元に届きはしない。
「尚さま」
新婚早々に仕事にて薫子には行き先も告げずに出て行ってしまった尚高。
待つことが華族の妻の礼儀。夫がどこでなにをしているのかは聞かぬがたしなみ。それを身をもって知っていようとも、この広大な野々宮家に一人取り残された気がして、やるせなさの涙が絶えず流れて……枕を濡らす。
不意に尚高がもどってきて、嬉しさのあまり満面の笑顔で迎えようとも、「もどりました」と微笑むばかりで、尚高はすぐに書斎にこもり、仕事なので、とまた出て行ってしまう。
そんな日常が繰り返されるだけで新たな年を迎えた。
明治四十年、正月。この時ばかりは夫婦そろい新年の賀を祝し、またあいさつ回りに出る。
正月ゆえ雅な着物に身を包んだ薫子は、夫より三歩下がって後ろを歩くが、そんな薫子に尚高は振り向きはしない。
人には「もったいない妻です」と柔和に笑むというのに、薫子に振り向いて笑んではくれない。
不安は確信を持って胸を貫いた。
(尚さまがほしかったのは私ではなく、深草侯爵家の息女なのですね)
深草侯爵の娘を……正式には旧家で格調高き深草家の名を、その婿という立場を欲したのだ。
分かってはいた。野々宮家にたりないものは「格調」と「名家」という二字だということを。
正月は一家そろって写真をとることが流儀らしく、尚高の傍らの椅子に座した薫子は、カメラに視線を向けながら泣きたいのをこらえる。
輿入れして、一度か私は心から笑ったかしら。
嬉しくて笑んだかしら。幸せと思って笑んだかしら。
父母の幸せいっぱいの華族とは思えないほのぼのとした団欒の中で育った薫子にとって、これが華族の当然の生活だとすれば、とても耐え切れない、とカメラを見ながら唇を噛むしかない。
「若奥様、もう少し笑ってください」
という声にハッと我に帰り、薫子はもう慣れた作り笑いを刻む。
私、しあわせそうに写真に写れるかしら。
御父さま、御母さま。
いつも一緒の寄り添う両親の姿が当然に育った薫子には、
新婚早々の生活が、どこまでもわびしく、涙を流す日日が続いていく。
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