拍手001弾:

― (ブラック)高杉と(二重人格)桂 ―

 とある雨の強い日のことだった。
 なにか腹立たしいことがあったらしく、高杉晋作は浴びるように酒を飲んでいる。
「体に悪いから、そろそろやめようね」
 と、桂がその杯を奪おうとしても、珍しく高杉は抗い、
「まだ飲むんじゃ」
 また酒を飲む。水を飲むようにして飲み、桂がジーッと見ている前で、何杯飲んだだろう。
 昔から豪快な酒飲みだった高杉ではある。一樽分は放っておけば飲んでしまう勢いだが、このままでは、やはり体に悪い。
「晋作!」
 少しばかり声を荒立てようとも、高杉は一向に手酌で飲むのをやめない。
 睨み付けてもフンと視線を避け、
「桂さんが唇にチュッとしてくれるなら、やめてもいいが」
「馬鹿。そんなこと……できるはずがない」
「なら止めるな。自分は飲みたいんじゃ。浴びるほど飲むんじゃ」
 そのまま、もはや誰も止められぬ勢いで、高杉は飲むに飲みほし、
 台所より係りの者が止めに来たときには、目が宙を泳ぎ、ばたりと倒れた。
「仕方ないのだから」
 こちらは酒は大好きだが三杯も飲めば目が回る桂が、ついに三杯と半分を飲み干した時だ。
「桂さん、いかがしたんですか」
 高杉に酒運びを命じられたらしい伊藤俊輔が、下から見上げてくる心配げな目。
 肩をピクリとさせ、ゆっくりと顔をあげた時の桂は、
 誰が見ても一歩、二歩思わず引いてしまうほどに、雰囲気が転換された。
 そして、こちらも酔いより目が覚めた高杉は、
「ここはどこじゃ。自分は誰じゃ」
 などと言い出し、伊藤はおもむろにため息をつく。
「高杉さん、その酒を飲むと一瞬だけ記憶なくす癖、いいかげんにしたらどうですか」
「うるさい。黙れ、おまえ、誰に向っていっているんじゃ」
「天下の高杉晋作さまにですよ」
「その皮肉がたっぷりと込められた声が気に食わん。その賢しそうな小憎らしい顔が気に食わん。 すべてが気に食わん」
「はいはい」
「なんじゃ、その言い方は」
 と、酒を飲みすぎると一瞬だけ記憶がすべて飛ぶ高杉晋作の癖に慣れた伊藤は、体よく相槌を打っていたりしたが、
「騒々しい」
 誰もを震撼させる冷めた声音が振り落とされた。
「静かに話すこともできないのか、高杉晋作」
 桂が普段の穏やかさを一変させた、無感動な冷酷さを込めた表情で、高杉を見下ろした。
(か……桂さん……?)
「おまえ、誰じゃ」
 高杉が不機嫌丸出しの声を投げつける。
「私に誰と聞くか。もうろくしたものよ。私は桂小五郎。ちなみに言うが、私はこの世で一番おまえが嫌いだ」
「意見があうようじゃ。自分もこの世で五指に入るくらいにアンタが嫌いみたいじゃ」
 剣呑と殺気すらを込めてにらみ合う二人の光景は、
 普段のあまあまを知っている人間には、まさに天地がひっくり返ったような衝撃で、
 伊藤は腰を抜かし、つい人差し指を桂にさしてしまっている。
「……か……桂……さん……高杉……さん」
 青天の霹靂。未曾有の衝撃。
 ありえない組み合わせのにらみ合いに、伊藤は助けを呼ぶために叫び声をあげたいのに、
 あまりの恐怖で声を出すこともできずにいた。

 井上聞多に頼まれ、様子を見に来た山県狂介は、その一室の凍りついた状況に、思わず身を翻して引き返そうしたのだが、
「ま……待て……山県。逃がさないからね」
 毛虫さながらの動きで扉元によってきた伊藤が、山県の袴の裾を掴んだ。
「あ……あの二人……どうにかしろ」
「見るからに酒の飲みすぎのため記憶が飛んだ高杉さんと、酒の量が限界を超え人格が入れ替わった桂さんか」
「な、なに? その人格いれかわりって」
「知らないのか。桂さんは酒の微妙な調整で、もう一つの人格になる。普段の桂さんとは正反対の冷酷な人格にな。 来原さんが二重人格と言っていたが」
 伊藤はまじまじと桂の顔を見て、思わずうんうんと頷いてしまった。
「そうか。、二重人格だから……。でも、とてもただ事には思えないよ。桂さんと高杉さんがにらみ合っているのだよ。 天変地異の前触れかもしれない」
 大げさな、と思った山県だが、
「なんだその女のように端麗な顔に細い体。それで武士がよく勤まるものじゃ」
「オトナになろうと背が伸びぬ高杉晋作がよく言う。縮んだか」
「おまえ~」
「桂にいっておこう。高杉晋作が桂をおまえ扱いにしたとな」
 確かに天変地異の前触れかもしれない、と山県は思ったりした。
 触らぬ神に祟りなし。さわらぬ高杉と桂に被害なし。
 伊藤に視線を向け、身を翻そうとした。
「逃がさないって言っているだろうが」
 伊藤が山県の裾を掴んで離しはしないのだ。
「おまえなど……おまえのようなひ弱男。学者風情。自分は大嫌いじゃ」
「そうか。それはありがたい限りだ」
 ニヤリと冷酷に笑った桂には寒気が走る。
「ならば高杉晋作。おまえは誰が好きなのか」
 桂はふと疑問に思ったらしく、そんなことを尋ねた。
「そうじゃな。自分は……どんな……そうじゃ」
 どうやら大部分の記憶が戻ったらしい高杉は、
 ニタリと笑い、人差し指をスッと左に向け、
「僕としては最高だ、伊藤俊輔」
 世にもおぞましい魔王の顔でそう宣言したのだった。

 指名を受けた伊藤は、衝撃のあまり山県に「ひーっ」と叫んで足元に縋った。
 山県は邪魔だ、と突き飛ばそうとしたが、伊藤の必死さがまさり足に縋りついたままだ。
(そうか……僕がよろしいか)
 などと他人事の山県としては、この異常な状況を観察したりしている。
「伊藤、おまえはこれから自分の手となり足となり働くんじゃ。生涯しもべ」
「いやだぁぁぁぁ~~。ぼ、ぼくより、こ、こここここの山県にしてくださいよ」
「だめじゃ。山県は愛想がない。つかえん。人を騙すに適当じゃない。人を欺くのにてきさん。使いパシリにするには重い」
「な、なんですか。その言い分は」
 その通りだ、と山県は納得していたりする。
「気が合うな、高杉晋作」
 こちらも口元に世にもおぞましい冷酷無比の色合いを浮かべた桂は、
「ちょうど下僕が欲しかったところだ。可愛がってやろう、伊藤俊輔」
「は、はい?」
 もはや思考能力が真っ白。伊藤はなにを宣告されたか考える力すらなくなり、
 これも正常な伊藤ではありえないことに、山県に抱きついておいおい泣き始めたのである。
「伊藤」
「……みんなして僕を苛める。僕を僕を……うわぁぁぁぁん~~」
 涙で裾を汚されるは、鼻をかまれるやらで、山県はまさに冷ややかな目で伊藤を見据えたが、
 自分に被害が来るのを恐れて、伊藤をポイッと高杉と桂のもとに放り投げた。
「ご随意に」
「ふぎゃあぁぁ! なにするんじゃ、山県。僕になにをする~」
 だがその睨みは何一つ山県には効力はなく、
 伊藤の左右には、左に魔王、右に冷酷無比の美麗な鬼を迎え、
 またしても呼吸困難に陥ることになる。
「伊藤俊輔。私と高杉晋作、どちらの下僕がよい?」

 伊藤はこれは夢だと思うことにした。ひどい最悪な悪夢にうなされていると思った。
 なんという夢なんだ。
 温厚な桂が、あのやさしい桂が、美麗さは変わらずだが、世にも恐ろしい冷酷さを称えて、
 いちばんに可愛がっているはずの高杉を睨みつけているのだ。
 あぁきっと夢だ。おぞましすぎる夢。目が覚めたら高杉と桂両者ともいつもと変わらぬあまあまさで、 人目を憚らず、いちゃいちゃしているのに違わない。
 ほら目を開けて、しっかりとみてみよう。
「自分の僕になるんじゃ。否やは言わんな。あとでどんな目にあうか分かりきっているよな」
 魔王の猫なで声が、伊藤の産毛をすべて立たせ。
「私の下僕になるといい。毎日、愛でてくれよう」
 こちらの桂は全身悪寒を走らせる低い声を囁く。
「め、愛でるって」
「今、どのようなことを想像した? 顔が赤いが」
「あの……あの……」
「想像通りにしてくれてもよいが」
 桂の指が伊藤の顎にあてられる。
 ツッと上を向かせ、桂の無感動の瞳が伊藤の顔を凝視する。
「口付けがよいか」
「えっえぇぇぇぇぇぇぇっ」
「私が口付けを与えようと言っている。光栄至極であろう。目を閉じておるといい」
「……か、桂さん」
「私が好かぬとでもいうのか」
「とんでもないです。でも……あの……高杉さんに殺される。絶対に殺される。足蹴ではすまない。僕、死にたくない~」
「心配するな。殺すなら、高杉晋作なら一思いにしてくれよう」
「殺生な」
「伊藤、口付けでよいなら、自分もしてやってもよいのじゃ」
 悪夢どころの騒ぎじゃない。伊藤はむくりと立ち上がると、
「もう山県でいい。タスケテ~~」
 と、山県のもとに突撃していったのである。

 伊藤が唐突に飛び込んできたため、山県は避けることができなかった。
 受け止め、高杉、桂の冷酷な視線を一身に浴び、
 山県は今すぐにも、もう一度二人のもとに伊藤を放り投げたくなったが。
「見捨てたら、呪う。一生、呪う。絶対に呪う。必ず呪う」
 尋常でない伊藤の様子に、少しは同情の予知があったが、
 構わずに、ポイッとしようとした。
「あのことをいう。おまえの一生の不覚を言う。ここでいう。山県~~僕を放り投げてみろ。 僕はおまえのいちばん嫌がることをするぞ」
 するといえばどれだけの年月をかけても伊藤はする。必ずやる。
 困ったのは山県だ。
 あの左右の鬼と魔王の冷めた視線を受けるのも、そろそろ限界だ。
 とりあえずは伊藤を横に抱え、高杉と桂を見据える。
 ちらりと目に入った杯に、残りの酒を注ぎ、
「飲まれよ」
 と、まずは高杉に差し出した。
 酒の勢いで記憶が飛び、人格も変わっている高杉だが、酒には目がない。
 おもむろに一杯一気飲みをし、満足そうに杯を放そうとした途端に、
「目が回る~~ 星がちかちかだ。なんじゃあ~世界がまわる~~」
「そのまま寝てください」
 ばたりと倒れた高杉に、山県は近くにあった羽織をそっとかけ、
「貴兄も酒を飲んでください。騒ぎはごめん被る」
「山県が私にそのようなことを言うか」
「伊藤で遊ぶのはよい。からかうのもよい。だが悪ふざけすぎだ」
「可愛いゆえだが」
「それがお戯れというのだ」
 杯を突き出すと、桂の方も遊びに満足したのか手に取り、飲み干し、
「桂のこと頼む」
 といって意識を失っていった。
 これにて一件落着。山県はこの二人の扱いをよくよく心得ていたことが幸いした。
 ばたりと倒れた桂を抱き上げ、まだ衝撃が立ち直らない伊藤を見下すと、
「伊藤、高杉さんの方は頼む」
「えっ……僕が。イヤだよ。また……」
「目が覚めればきれいに忘れている」
「でも……僕は」
 ちらりと伊藤は桂の方を見た。顔が真赤だ。先ほどの桂の戯れが伊藤には影響した。
「もう一度コチラの人格の人の方に、戯れて欲しいか、伊藤」
「な、なにをいう。僕は」
「滅多にあえぬ。偶然の産物だ。思い焦がれても無駄というものだ」
「なにをいう。山県の分際で」
「…………」
「僕は……ただ驚いただけさ。桂さんがあんな……素敵な一面があるなんて」
 山県は思わず頭を抱えたが、まぁ普段の桂とは正反対のためその珍しさに驚いただけ、と結論しておくことにした。
 山県は隣室に桂を寝かせ、そのまま寝顔を見ていることにした。

 目が覚めたときに、不思議がらぬように。
 だが山県の予想に反して、桂はことの成り行きを少しは知っていた。
「晋作が……私を大嫌いといった」
「桂さん。それはもう一人の貴兄に対してなのだが」
「けれど言った。私は……」
 今にも泣きそうな顔をする桂に、ついいつもの保護欲を擽られた山県は、
「泣かれるな」
 と、両腕で桂を抱きしめて、よしよしと背中をさすることにした。
 山県としては高杉が桂を「大嫌い」でも構いはしない。
 だが、この人が泣くのは……少しばかり困りものだ。
「頭が痛い。胃も痛い。体の節々も痛い。気持ち悪い」
 目が覚めた高杉は、
「なんでこうなるまで飲ませ続けたんじゃ。おまえが悪い。伊藤」
 と、目の前にぼけーとしている伊藤に悪口雑言を思い浮かぶ限り告げたが、
「すてきだ……格好いい……あんな桂さん……」
 伊藤はなにか違うことを考えているらしく、ニヤニヤしてまさに気持ちが悪い。
「伊藤。なんじゃ、その不気味な笑顔は」
「あっ高杉さん、おはようございます。僕、今日ほど高杉さんに感謝した日はありません。きっともう二度とないでしょう。 どうぞこれからも酒をいっぱいお飲みください。桂さんとお飲みください。僕、給仕しますから」
 にっこりと満面の笑みをたたえる伊藤が、高杉には世にも不気味に映ったが、
「そうか桂さんと飲んでいたか。自分、桂さんに失礼なことしなかったろうな」
「あぁ、大嫌いといってましたよ」
「自分が?」
「はい、高杉さんが」
「桂さんに」
「えぇ、桂さんに」
「こんにゃろう~伊藤。なんでとめん」
「僕が止められるわけないでしょう。でも桂さん素敵だった。心配しなくてもいいですよ。桂さんも高杉さんが一番大嫌いだっていってましたから」
「なっ……なんじゃと」
「よかったじゃないですか。これでお相子です」
 伊藤俊輔、後の博文。愛想の良いにこにこ顔で人を和ませるが、
 この男、いつも一言「余計なことを」言うのだ。
 こうして伊藤は、これより一月、散々に魔王とかした高杉に甚振られ、使い走りにされる日日を送るが、
 本人はさしてこたえていなかったりするらしい。
 そんな高杉と目があうと、桂が哀しい顔をして瞳をそらす。
 高杉は奈落の底に落ちた顔をして、「桂さん」と毎日泣きついて、
「好きじゃ、大好きじゃ。嫌いなんて思っていないんじゃ。お願いじゃ、こっちを見て」
 と、しばらくは絶対に酒を飲まぬ、と誓いを立てたのだった。
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WEB拍手一覧 001 「(ブラック)高杉と(二重人格)桂」

WEB拍手 (ブラック)高杉と(二重人格)桂

  • 【初出】 2006年11月08日
  • 【終了】 2006年11月15日
  • 【備考】 拍手第一弾・小説五区切りで御礼SSとしています。