― みんなのアイドル桂さん ―
気に食わない、と思うのだ。このごろ特に気に食わない。
高杉晋作はイライラとしながら、目の前の状況を睨みつけていた。
「桂さん……桂さん。膝枕してほしいよぅ」
高杉のいちばん大切な幼馴染桂小五郎は、その人が良い笑顔と面倒見のよい性格から、
厄介なことに後輩たちに懐かれすぎる。
それは高杉から見ても「目に余る」ことで、今すぐにでも飛び出していって桂にあまえる連中たちを、足蹴にしたい気分なのだが、それはできないのだ。
つい先日、桂に言われた。
「晋作。後輩たちだからといって無闇に足蹴りを入れたり、打ちのめしたりしてはいけないよ」
高杉晋作。松下村塾の双璧、四天王。人呼んで長州の魔王。
その男が、この政治堂の一室の隅で歯ぎしりをしながら睨みつけている先は、
「桂さん」
猫なで声で、山田市之允がすりすりと桂の胸元に顔を埋めている。
(にくらしい~~市!)
村塾の同輩である山田は、なかなかに高杉のお気に入りである。
なによりも背丈が自分より小さいというのが最高のお気に入りの条件だ。
五尺二寸ほどの背丈しかない高杉である。ほとんどの人間に上より見下ろされることが実に気に食わない中、
この山田はその高杉りも背が低い。
まぁ山田にも背丈の話は禁句で、もし上から見下ろし頭をよしよしなどすると容赦なく殴りつけられる。
だが今回の件では、まさに山田は高杉の天敵にも等しいといえるのだ。
「かわいいね、市は」
桂の手が山田の頭に置かれ、山田の望みとおり膝枕をしてしまった。
良い子良い子、と普段の山田ならば断じて誰にも許さないことを、桂にならばいとも簡単に許してしまう。
桂もこの山田を弟のように可愛がっていたりするのだ。
されどされど、高杉は。
(うぎゃあ! あぁして頭を撫ぜてもらうのも、膝枕も、良い子良い子もぜぇんぶ自分だけのものじゃった)
山田に鋭い眼光を浴びせるばかりの高杉晋作。
その視線を分かってか。少しだけ顔をあげた山田が高杉を見て、
ニタリと笑った。
「可愛いね、市は、私は市のような弟が欲しかったのだよ」
桂の膝を枕にして、にこにこと笑う山田は、まわりにたむろする人間にニタリとした笑いを見せる。
面倒見のよい桂でも、こうして膝枕や頭を撫ぜてくれる相手はほとんどいない。
さぞや羨ましがっているだろう、と心地よい優越感の中、
中でも一段と剣呑な眼光に気付き、その視線の相手を探してみた。
やはりか、と予想通りの結果にご満悦である。
高杉晋作。この長州一国より「俺の命の方が高い」と豪語する一代の英雄は、
今、自分が憎くてならないだろう、と思うと、面白くてならない。
「桂さん」
と、ちょいと起き上がって桂の首に両腕をまわして抱きついてみると、
「市はかわいいね」
桂は微笑む。その目は慈しみに満ちている。やさしい目だ。
この桂とあの天上天下唯我独尊の高杉が幼馴染とは、なにかの間違いではないか、と思うくらいだ。
そして幼馴染で、互いに仲が良すぎるまさに「あまあま」というところを、羨ましがる人は多い。
山田もその一人だったが、桂は山田が甘えてみるととっても甘やかしてくれる。
高杉は歯軋りしている。
いい気味だ。今まで「桂さんは自分のものじゃ」と散々独占してあまあまを見せ付けてくれていた。
少しは「仕返し」を何倍にして返してもいいだろう。
「桂さん、大好き」
「ありがとう、市」
山田市之允は、この穏やかで、ほのかな月光が似合う静かで……けれで意志の強い目をしている桂が、
弟になってもいいほど大好きで、
だが同じくらいには高杉という男も気に入っている。
なので、そろそろ離れておこう。これ以上引っ付いていると魔王の逆鱗が落ちるから。
「おや、桂さん。今日は市を甘やかしているのですか」
そこに高杉の天敵がひょっこり顔を出した。
「秀。どうしたのだい」
現れた一人の長身の男に、桂は親しげに声をかけた。
男はふわりと笑う。人懐こい人を和ませるその笑みと、
「桂さんのご機嫌伺いに参りました」
その美声は人を陶酔させる力をも持つ。
それがこの男の魅力の一つともいえよう。
男の名は久坂玄瑞。幼名秀三郎。親しげな人間はいまだに「秀」と呼ぶ。
「それにしても、そこでまた一段と小さくなったように見えるのは高杉君かな」
「あん? なんていった? 今、なんと」
「あぁ。一段と小さくなっている高杉君。おや、見る影もない」
「こ、この久坂ぁ」
「なにかな。ここまでこないと小さくて見えないよ」
「久坂」
まさに足蹴を食らわせる勢いで突っ込んできた高杉を、
ひょいと避け、しかもご丁寧にも片足を出して転ばせると、久坂は艶然と微笑んだ。
「また小さくなったね、高杉」
これみよがしに転んだままの高杉の頭をポンポンと叩く久坂と、
拳を握り締めて、さも「この世の剣呑さ」をすべてを込めて睨みつける高杉。
この二人が道を説く「村塾」の双璧と呼ばれる人間たちとは……誰も思いたくないだろう。
「秀。いつものことだけど……晋作で遊ぶでないよ」
「心外ですね、桂さん。これが私と高杉の一種の交流というものです」
「私には……遊んでいるようにしか見えないけど」
「桂さん、この二人はこう見えて仲がいいから大丈夫ですよ。ほらケンカして蔑みあうほど仲がいいっていうじゃないですかぁ」
山田はにっこりと笑った。が、桂はそんな山田をよしよしと頭をなで、
「それは少しばかり違うと思うのだけど」
「違うの? 僕にはとっても仲が良く見えるうんだけどなぁ」
「天敵だ。こら市。いつまで桂さんにあまえているんじゃ。そろそろ離れろ」
「高杉さん、妬いているのか」
ピトッとさらに山田は桂に抱きついてみる。
「この」
「いつまでも親離れできないのでは、桂さんも大変ですね」
気の毒に……と吐息をつく久坂は、また高杉の顔を見てふわりと笑った。
「子どもだね、高杉」
久坂の登場で、さらに険悪となったこの場に吐息をこぼして、
桂は立ち上がった。
「市、私はそろそろ退出するよ。おそらく一時はくだらないほど話し合っているからね、この二人は」
にっこりと笑って高杉をおちょくる久坂と、
手も出し足も出し、この久坂と堂々と口げんかを繰り広げる高杉。
聞きようによっては実は漫才なのではないかと思わせる楽しさがあるのだが、
この二人が少年のころからこの口げんかを聞いてきている桂だ。もう聞き飽きた。
「市、終わるころに晋作を迎えに来るよ」
と、手を振ってその部屋から抜け出したはいいものの、
一日中、久坂と高杉のケンカが気になり、何度も部屋を覗こうとした。
それを思い留まったのは、いつまでも「過保護」にするほど、二人は子どもではないと言い聞かせたからだ。
そして月が顔を出す薄暗闇の時刻。
桂が足を忍ばせて近寄ったその一室は、静寂の音だけを刻んでいた。
足を踏み入れると、いつのまにか折り重なるように眠っている二人の姿がある。
(変らないね)
高杉は久坂を眠りの中においても足蹴にしており、久坂のその手は高杉の頭に置かれていた。
ケンカをしすぎて疲れたのだろう。
困った、と桂は思った。
ケンカを全力でやりあい疲れきって眠っている高杉を、背負って連れて帰ろうと考えた桂である。
まさか久坂も同じく眠り込むとは思わなかった。
それにしても……寝顔は子供のころのままだ。よくこうしてケンカをして二人して眠っていた。
そっと久坂の頬に触れてみる。
「秀」
やさしく名を呼ぶと、目をこすってその美麗な瞳がゆっくりと開いていく。
「桂さん」
にこりと笑った久坂はそのまま起き上がり、折り重なっていた高杉をポイッと横に転がした。
「相変わらず高杉には容赦がないね」
「この男がこれだけで懲りるとも思えませんが」
「楽しそうだよ」
「これが私とこの男のあり方でもあります」
照れを隠すように苦笑し、久坂はそのまま部屋を去っていった。
決して仲が悪いのではない。良いともいえはしないが、こういう仲もあってもよいのかもしれない。
わざわざケンカをしにくるのだ。顔をみに来た、と思わせたくないから、あえてケンカをして。
そんな久坂が今眠っている高杉同様に可愛いと思う桂は、
とりあえずヒョイと高杉を背に背負い、帰路についたのだった。
あたたかいなぁ……。
それが目覚める前の「夢現」の中での、感覚と言えた。
あまりにも心地よくて、さらにギュッと抱きつく。なんだかゆれているなぁ。しかも寝心地はあまりよくない。
でもあたたかくて、とても懐かしい。目を開けたくないなぁ、と思ったが、
おかしな浮遊感が気になり、嫌々ながら目を開けると、
目に映ったのは、馴染んだ人の白い首筋とサラリとした美しい暗闇の髪。
「桂さん……」
名を呼んだ。
「お目覚めかい」
「桂さん」
「もうすぐ家には着くよ。おりるかい」
「こうしちょる」
「そうか」
桂はゆっくりと歩いていく。
力を込めてギュッとすがりつくと、少しだけ横を向いて、
「どうしたんだい」
「こうしたかったんじゃ」
「うん?」
「市にこうしていたじゃろう? 頭を撫ぜるのもギュッとされるのも自分だけじゃつたのに。生意気じゃ」
「いつまでもそんな子どものようなことをいって」
「桂さんは人が好きすぎるうんじゃ。みんな好きじゃ面白くないぞ」
「それは困った」
「全然困っていんのがよぉく分かった」
「……晋作。けれど私が共に歩むと誓ったのはおまえだけだよ。おまえのかわりはいない」
そこで歩みを止めて、桂は言い聞かせるように綴った。
「おまえだけだよ」
やさしいやさしい言の葉。慈しみと愛おしさを込めて、
「好きじゃよ、桂さん」
「知っているよ」
「毎日でも何万回でもいっちゃる」
「では死ぬまでいってもらうかな。晋作」
片腕をはずして、桂はポンポンと高杉の頭を叩いた。
「……約束する。自分が死ぬまで桂さんにいっちゃる。ずっとこうして……だきついちゃる。だから自分以上に誰かを可愛がるのはだめじゃ」
桂は微かに笑って、歩を進めていく。
これが高杉と桂のあり方のひとつ……でもあるようだ。
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