拍手007弾:

― 山県陸軍卿の不運な一日 ―

 時刻は夕暮れ時。
 明治新政府の政の地点たる廟堂の一室。そろそろ官は退庁の時刻なのだが、この一室はこれから宴会が始まるのではないか、というほどに賑やかである。
「ほら、桂さんも飲みな。これは異国の珍しい酒だぞ。みんなで飲もうと思ってわざわざもってきてやったんだ」
 すでに一瓶はあけてのみに飲んでいる井上馨の言葉である。
「聞多。仕事は終わっているけど廟堂で酒はいけないって」
「景気付けってやつさ。それになにをいまさらいっているんだ。前々から今日はここで飲みに飲むぞって前触れを出しておいたはず」
 現在ここ参議木戸孝允の私室には「長州閥会議中」という井上の手による紙が張り出されている。
 この神聖なる廟堂で「宴会」をしようと井上が言い出したのは十日前のことだった。
 廟堂でなどとんでもない、と木戸は反対したが、いつのまにやら井上の音頭のもと人が集まりに集まり、今では木戸の私室にはおおまかな長州の大物が顔をそろえているという状態だ。
 誰もが酒やつまみを片手に持ってきている。
「ここは神聖な仕事場なのだから」
「酒は神聖な場には不可欠なものだろう。ほら飲むぞ。久々だ。明日のことは考えずにおおいに飲もうぜ」
 昔よりお祭り好きの一面がある長州勢は、首魁の木戸の言葉など横に置いてワイワイがやがや騒ぎだし、
 そして飲みに飲み、いつのまにか絨毯の上に丸まって寝たり、ソファーの上は山田顕義が独占している。
「もんたぁ、ぼく、もうのめない」
 伊藤博文は酒には弱い。すでに目の前ふらふら。呂律も回っていない。
「俊輔、まだ飲むぞ。なんのこれしき。まだまだ残っているんだぞ」
 井上はまだおおいに飲むつもりらしい。
 そしてみなに酌をされ、仕方なく飲むはめになっていた木戸もいつのまにか椅子に座って船をこいでいた。
「なんだぁ。もうみな、ダメか。しゃあないな。いいや、俺様も寝る」
 酒臭い一室にてみんな仲良く酒に飲まれてスヤスヤ。心地よさげに眠り始めた。


 そして陸軍省の仕事があまりに多く、遅れて現れた陸軍卿山県有朋は、
 部屋に入った瞬間、わが目をまずは疑った。
 宴会というのだから酒の匂いはこの点横に置こう。いつもは清らかな風が流れるこの一室が悪臭にまみれているのも見逃そう。
 だが思わず一歩も二歩も後ずさりたくなるこの目の前の現象には覚えが……ある。
「ちびちび化」
 何年ぶりに見ただろうか。幕末の一時期、宴に集まった人間たちが山県を抜かし七寸ほどの小ささに縮んでしまうといった現象があった。
 それがこの明治の世でもう一度ぼっ発しようとは。
(見なかったことにしようか)
 と心底より思ったときにはすでにときおそし。目をこすって縮んだ伊藤がおきだした。
「もう、ぼくはしゃけはいいよ。のみしゅぎて頭がガンガンしゅる。あれ? しゃけのせいかな。口がうまくまわらにゃいなぁ」
 その声が耳をかすめたらしく井上も飛び起きた。
「おれさまはまだ飲むぞ。飲む~~~ あれ? 杯ってこんなに大きなものだったか」
「もんたぁ……なんだかお目目がかわいいね。顔もちいちゃく……あれ?」
「しゅんすけ。おまえこそなんだか……ちいちゃく……おい! これってまさか」
「ましゃか」
「ちびちび化だ」
 起き出した二人をつまみあげて山県はため息をついた。
「やまがた! またおまえだけちびちびしていないの?」
「ふたりとも縮めて嬉しかろう。縮んでいた方がよいことが多いと思うが」
「わぁい……久々だ。きれいなおねえしゃんの膝に甘えられる。かわいがられる」
「しゅんすけはそればかりだな」
 いつのまにか姿がないと思っていたらこんなところにいた鳥尾と三浦も目を覚まし、う~んと山田も目を開けた。
「わっ! これってあのなつかしいげんしょう。ちびちびだぁ」
 山田は手を見て甲高い声で叫んだ。
「お、おれのじゅうとう(銃刀)がもてない。なんだ、このちいちゃな手は」
 鳥尾が銃刀を前に愕然となり、
「またけんじゅう(拳銃)がもてない」
 三浦はなんとか相棒を持ち上げようと必死である。
 そしていつのまにか机の上にヒョイと乗って眠っている木戸は、その叫び声によりパチリと目を開けた。


「きどしゃん、たいへんでちゅ。またまたちびちびになってちまいまちた」
 よちよち、と歩きどうにか木戸の傍に寄った山田は、木戸が自分の手を見て、フッと寒気を催すほどに冷たく笑ったのをたしかに見た。
「きどしゃん?」
「あきよし。お子様言葉も意外とかわいいものだ」
 その声が下がった言い回しに、山田はビクリと肩を震わせたが、
「わぁい、ケイしゃんだ。ケイしゃん」
 と、すぐに察して満面の笑みで木戸に抱きつこうとしたが、その身体をヒョイと木戸は避けた。
「ケイしゃんだって」
 さらに驚愕に震えたのは伊藤である。
 木戸には酒の調合や飲む速度により、もう一つの人格が表に出てくることがある。その人格を「ケイ」と呼んでいるのだが、伊藤はその「ケイ」の人格を身の毛がよだつほど苦手にしているのだ。
「ひろぶみ、どうした? わたしとあえてうれしいか」
「あっえっ……と。うわぁぁぁん……しちゅれいします」
 と、部屋から出て行こうとした伊藤だが山県につままれたままだ。
「はなしぇ、やまがた」
「はなしてもよいが。この姿で廟堂を走り回れば人形と間違われようが、それでもよいか」
「………くぅ」
 そこで伊藤には脳裏に怒涛のように「人形」として扱われる自分が浮かんだらしく、うな垂れて山県の指に吊るされるがままになっている。
 山県に言わせれれば、また、である。また己だけがちびちび化せず、この人間たちの面倒を見ねばならないのか。
 しかも、だ。この廟堂でちびちび化されては始末に困る。
「こまりがおだな、やまがたよ」
 そしてなによりも扱いに困るのは木戸だ。
 よりにもよって「ケイ」の人格でちびちび化しなくてもよいではないか。
 ため息をついたその時、背後の扉がトントントンと叩かれた。
 全員が息を呑んだ。


 返事がないがとりあえず中に入ってみようと思ったのだろう。
「長州閥会議中」と張り紙がはってある以上、中に人はいると確信したのか。
 内務卿大久保利通は、ドアを開け、部屋の中の惨状に視線をやった。
 その場の時間が確実に止まっている。
 そして瞬きする間もなくクルリと身を翻し、ドアを閉めたのである。
「大久保さん」
 山県が大久保を追う様に部屋を出ると、なにやら考えこんでいる大久保の姿があった。そして懐から紙を取り出し、持ち歩いている筆でサラサラとこうしたためてバンと「長州閥会議中」の上に貼り付けた。
 ……悪の巣窟。心あるものは立ち寄らぬように。
 と、一言したためられている。
 山県に視線をやることなく規則正しい足音を立てて去っていく男も、「なにかが間違っている」と山県は思った。
 さすがはこの廟堂の住人だ。この「ちびちび化」した現象になにも口を出さないとは。
 おかしなところに感心した山県は、いつ誰が訪れるか知れない。ましてやこのちびちび化、いつ戻るか知れないのである。
 長州の人間ならばよい。免疫がつきすぎている。だが他藩のものたちにはこのちびちび化。どう受け入れられるか分からない。
 部屋に入った山県は、窓から月に願いをかけているちびちびの様子を見て、しごくさっさと戻ってくれ、と願った。
「そんなことしても、もどらんぞ」
 それはよく聞き馴染んだ、だが二度とは聞けないと考えていた声が、場を支配する。


 山県の目の前にぷかぷかと浮かぶのは、これまた七寸ほどに縮んだ「ちびちび」ではあるが、ここにあってはならない顔である。
(今日はなんでもありか)
 と思いもする。
「たかしゅぎしゃん」
 山田が嬉しそうに宙に浮く男に近寄った。
「よっ、いち。げんきそうじゃな。でもよ、おまえ。また背がちぢんだんじゃないか」
「ぼく、あれから伸びましたよ。ほらみてくだしゃい」
「自分よりはたしかにちいさか」
「ぼくのほうがぜったいにおおきくなりました」
 まるで時が逆行し幕末の一時代にもどった気分ではある。
 数年前に維新を見ずして死した長州の魔王高杉晋作が、宙に浮いているのである。昔と代わらぬ小憎らしい顔でだ。
 山県は自分だけこの場から遠ざかろうかと、またしても本気で思ったとき、
 なにかが頭にトンと乗った感触があった。
 なんだとそれをとってみると、これまた七寸ほどの背丈となっているぼけぇとした男。
「おまえもか、時山」
 つい声を荒げてしまった。
 かの戊辰の戦で亡くした親友の時山が山県の頭にのっているのである。
「あっ時山な。いつのまにかおまえの守護霊やっていたんじゃ」
 高杉がニヤリと笑ってそんなことを言う。
「おまえが守護霊?」
(おそらく守護もせず、そればかりか働きもせず、己の頭の上に乗ってぼんやりとしかしない守護霊だ)
 ときおり頭が重くなったり、肩が重いのは、時山がのっていたからか、と山県は納得した。
「で、たかすぎよ。このちびちび化、つきにねがってもだめなのか」
 井上が空の杯の中に腕を組んで座りつつ、尋ねた。


「これはな。ひごろなかがよすぎる長州の面々へ、聖夜のおくりものってやつさ。神さんってやつもけっこう茶目っ気あるじゃろう」
 高杉はニヤリと笑う。
「ほぉ、その神とやらが茶目っ気があるのならば、私らではなく他藩のものにこの現象をくらわせればよいものを」
「おっ、めずらしや。かつらしゃんがブラックになっちょる」
「かなしいか、高杉晋作。せっかく姿が見えるというのに逢えたのは私の方で」
「そうじゃ、残念じゃ。さっさとかつらしゃん出せ」
「無理だな」
 冷たく笑った木戸は、自分の守護霊をつまんで空にポイッと放り捨てた。
「なにをするんじゃ」
「おや、私は桂だよ。そんな口を聞いてよいのか」
 知る人が知る。長州無敵の男が今、冷酷な顔をして周囲を睨み据えていた。
「聖夜の贈り物というならば、聖夜がすぎれば終わろう。聖夜まであと三日もこの姿のままか。長州の恥さらしを他藩のものに見せるわけにはいかないな」
 全員がゴクリと息を呑んだ。
「ここを退出せねばならない。山県有朋、なにをしている? わたしたちを連れて廟堂をさっさと出ないか」
「………」
「おまえの奥方は小さいものが大好きだろう。三日の間、山県邸に全員が世話になる。守護霊も付だ。ついでに我々が出仕しない理由もおまえから 各官庁に伝えてもらいたい。病気でよいはずだ」
「先ほど大久保に見られている」
「まさか、あの大久保でも我々のこのちびちびに働けとは言うまい」
 そこで木戸は、机の引き出しより風呂敷を取り出し、そこに三浦、鳥尾、山田、伊藤、井上を放り投げるようにして入れた。
「かつらさん、なにをするんじゃ」
「黙ってはいっていろ、馨。声もだすな。山県、さっさと縛れ」
「うわぁぁぁ、僕たちをこの中に押し込めるのですか」
「ぼく、いやだよぅ。ケイさん」
「騒々しい」
 一言で全員の喚きを封じた木戸の指図のままに風呂敷のように縛り、山県は抱えた。


「貴兄はいかがする」
「決まっているではないか」
 木戸は冷笑を浮かばし、よちよちと山県の胸元にのぼってその背広のポケットにはいった。
「致し方ない。しばしの間、おまえのマスコットになっていてやろう」
 その木戸の前にはぷかぷかと高杉が浮かんでついている。
「なぁ寝たら、かつらしゃんが出てくるか」
「さぁな」
 普段の木戸とは思えないほどに高杉に冷たい。
 いっそこの風呂敷をすべてどこかに捨てていこうか、と山県は思った。

 この後、三日の間、長州閥の大物は流行り風邪にあたったというこで廟堂に出仕せず、
 さすがに六人いっぺんに同じ日に欠勤は疑われたが、
「原因不明の恐ろしき病だ。近寄るのもおぞましい」
 という大久保の一言により、その騒ぎもおさまった。
 今の大久保の悩みはただ一つだ。
「大久保。他のもののはいい。この私の仕事はすべておまえが片付けておくのだ」
 と、ちびちび化した木戸が内務卿室に居座り、あの木戸とは思えない傲慢な命令口調で指図する。ただその一点だった。
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WEB拍手一覧 007 「山県陸軍卿の不運な一日」

WEB拍手 山県陸軍卿の不運な一日

  • 【初出】 2006年12月21日
  • 【終了】 2007年01月14日
  • 【備考】 拍手第七弾・小説五区切りで御礼SSとしています。