― 小さいものに弱い山県陸軍卿? ―
「ねぇガタ! あまいものが食べたい~。くっきーがいいなぁ」
佐賀の乱の功労にて司法大輔の地位に就任することが決まっている山田顕義は、今日もまた陸軍卿室のソファーでゴロゴロしている。
現在の地位は陸軍少将。前職清国駐在公使は着任することなく佐賀の乱ぼっ発により任を解かれている。
「………」
眉間に皺を刻むものの、山県は沈黙を守り、書類に目を通す。
「くっきーと牛乳がいい。副官く~ん。牛乳もういっぱい」
「……山田」
この陸軍卿室をお昼寝の場所とでも思っているのか……山田は毎日毎日ゴロゴロしている。
何度いおうが、首根っこを掴みポイッと捨てようが、めげずにこうしてここでゴロゴロ。
いつしか山県も諦めた。
陸軍少将の地位のまま、司法に行くこの男に、今陸軍には居場所というものがないのだろう。
「知っているか。クッキーという甘いものは、背の伸びの効果を阻むらしい」
「なっなんだって」
「井上さんが言っていたことだ。さしてあてにはなるまい」
井上馨が聞いていたならば、「おいおい」と苦笑するだろうが、
山田に言わせれば、井上のことはあてにはならぬと思い込んでいるので「ふむふむ」と頷く。
「だが西洋の砂糖というのは、体の生育にはよろしくないとはいう。食べすぎれば縦ではなく横に広がる」
瞬間、山田は素早く立ち上がり、
「ガタ。いっぱいいっぱい僕にクッキーを食べさせて、この僕を太らせるつもりだったのか」
と、憤慨したのか、山田はその場でバタバタと地団駄を始める。
「……おまえを太らせてどうなる」
ジロリと山田の姿を足から頭まで一望し、山県は投げやりなため息をつく。
「山田、だるまになりたいわけではあるまい」
山田はだるまの姿を思い出し、何かがぷつりと切れた。
「ガタァァァ」
と、山県の前にズカズカと歩き、そのネクタイを掴む。
「だるまだるまだって。あの小さな……うわぁぁぁ」
「横に広がれば、おまえの姿はそのままだるまだ」
「よくぞいった。この僕に向かってよくもしゃあしゃあといったな。ガタの分際で」
「縦に伸びたいのだろう。私も横に広がった人間は遠慮したい。……今のままが一番に均衡が取れてよいと思うのだがな」
ちんまりとした姿の方が似合っているしな、とは山県はあえて言わない。
「僕はおまえなぁんか見下ろせるくらい大きくなって、見下してやるさ」
「楽しみに待っている」
「そうやっていつもいつも馬鹿にしやがって」
「山田」
「なにさ」
「副官が牛乳を持ったまま待っている」
あっ、とようやくそこで軍人としては線の細い陸軍卿副官の姿を目に入れ、
山田はばつが悪そうに笑い、牛乳を手にした。
この頃は原液のままの牛乳が飲みにくくなったらしい山田は、
小瓶に入れてある黒砂糖をちまちまかけて、牛乳を飲む。涙ぐましい努力だ。
「山田、農場か牧場でも経営したらどうだ」
そうすれば毎日好きなだけ牛乳が手に入るだろう。
「あのさ、ガタ。何年来の付き合いさ、僕と。僕は軍事的な才能があることは疑いなしだけど、商才はさ……まったくだよ。
悔しいけど、こういう点はあの伊藤、井上の御大には適わないさ」
「金を稼ぐことに異常なまでの執念を燃やす井上さんと、金は稼ぐが湯水の如しつかう伊藤。アレは一応は才か」
「そうさ。才は才。そういうのは認める。……僕はこういう商いは全然でさ。僕よりおまえの方が向いていると思うし」
「……私に商才があると思うか」
「たんにさ、博打もやらんし石橋を叩いて渡る性格だから、堅実な経営をするんじゃないの」
からかっているわけでもなく、嫌味を言っているわけでもない。
山田は普段どおり寛いだ顔で、意図も簡単にサラリといっただけだ。
こういう素直さが山田のよい所であり、今の今まで小憎らしいと思いながらも付かず離れずの関係でいる理由でもある。
「……農場か」
昨今、流行になりつつある農場経営というものに、この時、山県は初めて興味を持った。
「そうそう。それで僕に毎日牛乳届けてよ」
山田はにたりと笑い、ゴクゴクと牛乳を飲む。
黒砂糖入りのため、甘くて若干飲みやすいようだ。
「農場よりもまずは庭だがな」
一息つき、ネクタイを掴んだままの山田を、
これは山県に言わせれば丁寧に、振り払った。
また山田はソファーでゴロゴロしている。
時折、ムクッと起き上がって、副官に牛乳を頼み、ゴクゴク飲む。
はにゃあだの、ふにゃあだの意味不明な言葉を叫び、猫のように頭などをかき、ぐたぁと寝る。
「山県……。よく市を放り出さないね」
山田の惨状を耳にした伊藤博文が様子を伺いにきた。
「さすがのこの寛大な僕でも、人の仕事場でこうもぐたぐたされれば、怒り狂うよ」
「世の中、なれと言うものは怖いものだ」
愛用の万年筆をコトリと置き、立ち上がった山県は、にたぁとよい夢を見ている山田に近づき、
「こうしている山田は可愛いゆえ許せる」
瞬間、伊藤はその場で見事に凍りつき、五分ほどどこか遠い世界に意識は飛んだ。
その五分の間、またしてもなにを思ったのか山田の頭を撫ぜると、
寝ているのが仏。山田はにへらぁと笑い、その撫ぜ撫ぜを喜んでいる。
ハッと我に戻った伊藤は、この光景に息が止まるほどの衝撃と悪寒が走りまくった。
「ま……前から知ってはいたけど、山県。おまえ……市が可愛いんだね」
「………」
「知っているんだからね、僕は。おまえは本当は背の小さい可愛い子が好きなんだよね。実は目に入れても痛くないほど市が可愛いんだよね」
はははは……と笑いつつ、伊藤は心の中では「きっぱり否定して」と思ってもいる。
「好きではない。人に言わせれば、私は小さなものに弱いらしい」
「はい?」
「考えても見ろ。あの高杉さんとて小さかった」
今ゆえにいえる一言である。この言葉をもし高杉の前で口にしたならば、銃殺の刑になっているだろう。
だが伊藤、ここで早い頭の回転はどこか違うところにいく。
「じゃあ僕も背がそんなに高くないから、山県は弱いの?」
木戸がその場を訪れたとき、
「どうしたのだい、俊輔」
伊藤は陸軍卿室の前で、見事なまでに打ちのめされていた。
「木戸さん。市は可愛くて僕は可愛くないのって不公平だと思いませんか」
「えっ……」
「確かに市の方が背は小さいし、童顔だし、凶暴だし。けれど、この扱いの差。なんだか腹がたちますよ」
壁に寄りかかってグタァと疲れきっていた伊藤は、
そこで奮起したらしくピョンと立ち上がり、陸軍卿室の扉を乱暴に開けた。
「この扱いの差、僕は納得ができないよ」
「世にも恐ろしい言葉を吐くゆえだ」
山県は愛用の万年筆を、今にも伊藤に向けて放り投げようとしている。
「なに? それを僕に投げて額にでも当たって僕が死んだら、化けて出てやるよ」
「おまえの幽霊などへなちょこでしかない。すぐに祓ってやる」
「山県!」
「どこぞに消えろ、伊藤博文」
木戸は背後よりこの言葉の押収に驚いている。
伊藤が山県によく言葉で皮肉やら嫌味を言うのは聞き慣れているが、
長州人にしては珍しいとまで言われる無口、無表情の山県が、今、伊藤と面と向かってやり合っている。
明日は雨か雪か……いや、槍が降りかねない、と思っていると、
「市には弱くて、僕には弱くないのは納得できないよ」
「山田とお前では人種が違う」
「同じ日本人、長州出身。どこの人種さ」
「私が言いたいのは、小さいものの人種という奴だ。百歩譲ろうが、おまえを可愛いなどという物好きには私はならん」
「じゃあおまえは市がいっちばん可愛いのか」
「………山田は小さいのがよい」
「山県が市が可愛いなんて……もう笑えて笑えて……みょうに面白くないんだけど」
どうやら可愛さでなにやら言葉の押収をしているらしい。
前々よりふとした仕草に、山県は山田を気遣うところを見せたりすることもあったが……。
何かが木戸の心に芽生え、これはふとした好奇心であり、遊びの一種の出来心ともいえる。
「狂介。私は可愛くないのかい」
ヒョイと進み出た木戸の一言に、今度は山県有朋が凍りついた。
「背は低くないね。童顔とは……とてもいえないけど……」
万年筆を握りなおし、山県は何もかも見ぬ振りをするかのように書類に目を戻した。
「狂介……」
「……貴兄がなによりも可愛い」
その小さな声が、木戸をにっこりと微笑ませるほど満足させた。
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