拍手101弾:二人のお正月

― 桂さんと高杉 ―

「桂さん……あけましてじゃ」
 近所に住まう高杉晋作が、片手に凧を持って現れた。
 ニタニタと笑うその顔は、凧上げをしよう、と見るからに言っている。
「あけましておめでとう、晋作。それはお手製の凧かい」
「そうなんじゃ。自分、徹夜で作った」
「晋作は本当に器用だね」
 と、よしよしと頭を撫ぜると、二カっと満面の笑顔を見せてくれる。
 高杉は赤子のころからその笑顔は変わらない。
 自分に向けて変わらずのその無邪気な笑顔に、幾ばかり桂は救われているか知れなかった。
「挨拶まわりは終わったのかい」
 すると途端に顔を曇らせ、ギュっと凧を抱きしめる。
「晋作?」
「自分、親戚たちが集まるのは嫌じゃ」
 生来の人見知りの性格なためか、高杉は人の中入るのを好みはしない。
 親戚が多い高杉家の総領息子である。おそらく生家には多くの親戚が挨拶に参っているだろう。また父に連れられ、方々にあいさつ回りに赴いているに違いない。
 桂は少し屈んで、コツンと高杉の額を叩く。
「晋作、ちゃんと来て下さる人に、新年の挨拶をしないといけないよ」
「よく顔を合わせる人間ばかりじゃないか。正月だからといってなんで挨拶ばかりをせんとならんのじゃ」
「正月は特別だからだよ」
「そんなの嫌じゃな」
「ほら我がままを言わない。五日を過ぎたら、もう挨拶まわりとかはなくなるから……そうしたらいっぱい凧上げをしよう」
「……桂さん」
 ちょんと晋作が桂の袖を握る。
 今日の桂は一張羅の羽織袴を着込んでいる。
 十一歳とは言え桂は、馬廻り桂家の当主である立場だ。養子とは言え、桂家の一族にはあいさつ回りに赴かねばならない。
「私も五日までは少し用があるからね」
「……うん」
「終わったら、いっぱい遊ぼう」
「………桂さんがそういうなら」
「晋作」
「堅苦しくて嫌じゃけど……我慢する」
 地面を睨みつけるようにして見つめる高杉に、
 桂はもう一度、よしよしと頭を撫ぜる。
「終わったら一緒に凧上げがして欲しい」
「いいよ」
「約束じゃよ」
「うん」
 小指を絡めて「指きりげんまん」の約束。
 高杉は二カっとようやく笑い、大きく手を振って名残惜しげに帰って行った。
 桂はそっと足を桂家の方に向ける。
 法事や盆、正月に関しては、桂家当主として桂は隣家の方に住まう。
 家族がいる訳でもない。ほとんど一人で住まうこの空間に、なぜかホッとしてしまう自分。
 静寂な時は、この心を痛めることはない。
 桂は正月は好きだ。
 実家の義兄に気兼ねなく、この桂家で悠々と自由であれるこの時間が……とても愛しい。

― 井上と伊藤 ―

「聞多。あけましておめでとう」
 枢相伊藤博文が自ら正月のあいさつ回りに出向くのは、長年の親友の井上馨と天敵だが古い付き合いの山県有朋のところくらいである。
「おぅ、あけましておめでとうよ、俊輔。まぁあがれよ」
「いや……今日は挨拶だけで。これから山県のところに行かないとさ」
「そんなこと言うな。俺様、特性のしるこを食べて行けよ」
「ほら、山県のところってさ。いつも昼前に訪れているからさ。あまり遅くなると……」
「そんなのいいから、ほら」
 と、井上に手を引っ張られ、ズルズルと館の中に引き込まれる。
 そうだ、去年はこの「おしるこ」を何杯も食し、三途の川を見た伊藤だった。
 忘れもしない。昨年はここで大隈重信とバッタリとはち合わせとなり、
 どちらが多く「おしるこ」を食すか、暗黙のうちに競い、二人して倒れた。
 いわゆる「井上料理」は、熱烈なファンも多いのだが、兎角普通の味覚には「ゲテモノ料理」でしかなく、味付けは強烈で意識が軽く飛ばす代物だ。
「ちょうど八太郎がきているんだぞ」
 ピキリ、と伊藤の目が光る。
「なんだ、俊輔。ここは公の場じゃないんだからさ。昔の仲良かった頃に戻ろうぜ」
 現在、外相の大隈重信は、井上の鹿鳴館外交を散々に批判し、ついには井上を辞職に追い込んだ一番手である。
 だが公務を離れれば「友だち」という井上の方針で、私的の場では井上は大隈とよく酒を飲む仲ではあるが、
 伊藤にはいろいろな意味で「政敵」でしかない。
 一度は追い落としたと言うのに、しぶといことこの上なし。また這い上がってくるとは。大人しく学校の経営をしていれば良いものを。
 通された居間には、大隈が我が物顔で座している。
「やぁ大隈。あけましておめでとう」
 声はできるだけ和やかにしておいたが、睨みつけるその目の険呑さは隠しようもない。
「おめでとうである」
 受ける大隈は飄々としているが、わずかに顔を険しくした。
「二人そろったところで、今年のしるこ、だ。土佐のめでたい料理を参考にしてな。鯛のしるこだぞ」
 世の中、しるこに「魚」を入れるなど、土佐の郷土料理しかないのではないか。
 しかも甘さと生臭さの共演など、それを最初に考えた人間は、きっとこの井上と同じ舌の味覚を持つ人間に違いない。
「いっぱい作ったからな、たらふく食べてくれよ」
 どんと鍋ごと目の前に差し出され、伊藤の背筋には冷や汗が浮かぶ。
「うまそうである。いただくよ」
 と、大隈が不敵に笑ったのを見て、俄然、伊藤はやる気になった。
 まさに昨年の再現である。
 これは「どちらが井上を愛しているか」という気持ちを現わす場。決して相手には負けたくはない。
 相当の覚悟を込めて、箸をつけようとした時、
「そのおしるこには、この添え物をどうぞ」
 井上の秘書の本多幸七郎が、漬物を仰山持ってきた。
「あっ本多くん、あけましておめでとう」
「おめでとうございます、伊藤さん、大隈さん」
 井上料理を中和できる万能な秘書官の登場により、「三途の川」を見ずに済む事態となり、
 我知れず、大隈も伊藤もホッと吐息をついて後、
 二人ともがいっせいに先を争うように、ガバガバとしるこを食べ始めた。
 今年もまた「井上馨」の心情を良くするために、この二人は「井上料理」を食す。
「おい、八太郎。近いうちに早稲田の奴らも連れてこいよ。たらふく食べさせてやるからな」
 早稲田御一行は、この井上馨と舌を同じくする「井上料理」の熱烈なファンである。
「もちろんである」
 井上は自分の料理をたらふく喜んで食してくれる人が、いちばん好きなのだ。
「あいつらなんて呼ばなくていいよ。僕がいっぱい食べるからね」
 漬物で随分と中和しているが、胃の中に入った鯛が、存在を主張するかのように湧き上がってくる。
 伊藤も大隈も真っ青になりながら、それでも食べ続けるのだった。

― 山県と木戸さん ―

「あけましておめでとうございます、木戸さん」
 ご近所の山県は、元旦早々に挨拶に来る。いつも一番手だ。
「あけましておめでとう、狂介」
 木戸はにこりと微笑んで、山県を中にと招くが、ゆっくりと首を振られた。
「珍しく雪が積もったゆえ、後楽園の雪景色を見に行こうと思っている」
「元旦早々に?」
「富士が美しい見えよう」
 昨夜はめずらしく吹雪となり、雪も四寸ほど積もっている。
 朝目覚めると、雪はやみ、空は晴れ渡っていた。さぞや初日の出は美しかっただろう。
「……後楽園は逃げないよ。おせちと雑煮を食したら、一緒に行こう」
「貴兄は本日は此処にいた方がいい。皆が挨拶に来よう」
「私もね、狂介」
 山県の羽織の袖を引っ張り、中に招き入れながら、木戸は小さく囁く。
「雪景色の後楽園を見てみたい、と思ったのだよ、今」
 くすくすと笑うと、山県はわずかに目を見張ったが、小さくうなずいた。
「貴兄は人が良い。私などに付き合わなくともよろしいのに」
「………元旦に雪が積もるのも、これほどに晴れ渡るのも珍しいから。きっと後楽園からは美しき富士が見えるだろうし」
 二人でそんな風情に浸るのも、風流で良いのではないか。
 木戸に引っ張られるまま通された居間では、数多くの居候と養子たちが、打ち揃って木戸を待っていた。
「あけましておめでとうございます」
 あいも変わらずの、賑やかな木戸家である。
 この場を抜け出して後楽園などとても赴けけそうにない、と山県は吐息をつくと、
 またしても呼び鈴が鳴った。
 朝から木戸家は大忙し。
 早々に失敬して、ひとり後楽園を見に行こう、と山県は決める。

― 木戸さんと大久保さん ―

「あけましておめでとうございます」
 大久保が新年のあいさつに木戸家を訪ねたとき、すでに大勢の客でごった返し状態となっていた。
「おめでとうございます。どうぞ中に」
「いえ……」
 賑やかさが玄関先にも聞こえてくる。
 その中に入りたい、とは大久保は露として思わない。
「まだ回らねばならないところもあるので、失礼します」
「……そうですか。それは残念です。貴殿とはいろいろと語り合いたいことがあるのですが」
「元旦早々、小難しい話をしなくても良いのでは」
「いいえ、小難しいことではありません。それに気になってならないものが」
「気になる?」
 珍しく引きとめようとする木戸を見て、大久保は怪訝な思いを抱く。
「年末に貴殿と囲碁を打ちました。その勝負がまだついていませんので」
「あぁ……あの」
 仕事の合間に木戸と囲碁を打ったのだが、途中で所用が持ち上がり、あの勝負は中途半端に終わっている。
「手は記録していますし、廟堂で打ってもかまいません」
「できれば、早いうちが良いのですが」
「なぜでしょうか」
 すると木戸はニコニコと笑った。
「私は萩にしばらく戻るつもりでいますので……早い方がいいのです」
 大久保はガクリと頭を垂らす。正月早々、やはりこの話題なのか。
 せめて元旦くらいは心穏やかに木戸と話したいものだが、この男はそれも許さないらしい。
 いや、これはきっと己の気を惹きたいがための、木戸流の手腕なのかもしれない。
 スッと大久保は一歩進み、木戸の間近に寄る。
「そう私を試さなくとも、私の心は貴公でいっぱいですよ」
「はぁ?」
 きょとんとする木戸のあどけない顔が可愛いと思い、大久保はわずかに笑った。
「貴公はいつも美しい。できればこのまま貴公を浚い、出会い茶屋にでも赴きたいほどです」
 瞬間、木戸が右手を振りあげたが、毎度の「定番」なので慣れきった大久保が、その手をとり、
「愛しい木戸さん」
 と、耳元で低くつぶやいてみる。
「追いかけっこは、どうぞ廟堂でお願いします」
 木戸はもう片方の手を振り上げ、大久保の頬に容赦なく振り下ろす。
 盛大なパチンとした乾いた音が、周囲にこだまして、消えていった。

― 本多くんと大鳥さん ―

 元日は秘書の仕事も休みなのだが、本多はいつも通りの時刻に井上家の門を潜る。
 裏口より入ると、居間には井上の家族がそろっているのが分かった。
 跡取り養子の勝之助と、その妻末子が、目をうるまして本多を見た。
「本多さん、本多さん」
 二人ともに駆けよってきて、開口一番がこれだ。
「父上が摩訶不思議なしるこを作っています。お願いします」
 家族全員、正月早々「三途の川」を見るはめになるか、と戦々恐々していたようだ。
 やはり顔を出して良かった、と本多は吐息を漏らす。
「あけましておめでとうございます、みな様」
 井上家の家族全員に年賀のあいさつをすると、全員に「縋る」目で見られる始末。
 さっさと井上の「しるこ」を始末して、約束の場所に赴かねば。
「なんじゃ、本多じゃないか。今日は休みだろう」
 土間に向かうと、井上が驚いた顔をするので、まずは「あけまして……」と挨拶をする。
「年賀のあいさつに参りました」
「ならよ。今日はさっさと帰れ」
「お手伝いしますよ」
「おい」
「三日休みをいただいているのです。これくらいはさせてください」
 と、井上の味付けのしるこを試飲してみる。
 なぜあんこをモチーフとしたしるこが、こんなに塩辛いんだ。本多は頭がくらくらしたが、砂糖をガパッと中に入れ、少量の塩を足す。
 鍋の中にぷかぷかと浮いている鯛の生臭さをどうにか打ち消そうと、軽く調味料をぱらぱらとかける。
「どれ」
 と、井上が試食し、そしてにんまりと笑った。
「相変わらずおまえさんの腕は最高だ」
「ありがとうございます」
 どうにか中和に成功し、さて、と思ったその時、おせちの材料が目の前に広がっていることに気付いた。
「井上さん、これは」
「あぁ、おせち料理を俺様が作ろうと思ってな」
 人を殺しかねない量がある。
 本多はふぅーと息を吸い、
「私が作ります。呼び鈴が鳴っていますよ。今日はお客が多いのですから、井上さんは接待に回ってください」
「おまえは今日は休みだろうが」
「いいんです」
「大鳥さんが待ってるぞ。いじけるぞ」
「…………」
「おまえと箱根に行くって満面の笑みでいっていたんだからな。俺は恨まれたくない」
「大丈夫です。約束の時間までまだありますので」
「……それに俺さまはおせちを作ってふるまうのがな……楽しみなんだ」
 などとキラキラとした目で見つめられながら言われたら、
「では一緒に作りましょう。こんなにたくさん、井上さん一人だと何日かかるか知れませんよ」
 妥協案を出さねばならない。
 すると井上も材料を見て、ようやくその事実に気づいたらしく、不承不承で「そうだな」と呟いた。
「正月早々すまん」
「いいですよ。私はあなたの秘書ですから」
 にこにこと笑って後、さぁここからは戦場だ。さっさと片付けて大鳥の元に向かわねばならない。
 いつもの何倍もの速度で料理を作り、肝心な味付けをできるだけ井上にさせず、おせち一式を作り上げた本多を見て、
 家族や年賀のあいさつに来た客は拍手を打った。
 本多は大急ぎで井上宅を出て、ちょうど帰るという客の馬車に乗せてもらい、麻生まで出た。
 待ち合わせの場所に、ちっこい影がある。
 本多は早足でその人の傍に寄り、
「あけましておめでとうございます、大鳥さん」
 顔をあげて、その人は自分を見る。
 ゆっくりと手が伸びてきて、本多の手をギュっと握った。
「おめでとう、本多。時間、ギリギリだぞ」
「はい」
「また井上さんところで手伝いをしていたんだろう」
「その通りですよ」
「おまえを秘書に取られて、腹が立つ」
「大鳥さん」
「うん?」
「楽しい休日にしましょうね」
「………もちろんだ」
 毎年恒例の二人だけの箱根旅行。
 今年もまたこの二人は、そろって過ごせる。
 気づけばパラパラと雪が降り出してきた。
 二人ともに立ち止まったまま、雪を見る。
 おそらく思いは同様、あの雪一面の銀世界に帰っていっているが、沈黙のまま、互いの手を握り締めて、空を仰いでいた。
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WEB拍手一覧 101「二人のお正月」

WEB拍手 二人のお正月

  • 【初出】 2011年01月18日
  • 【終了】 2011年03月26日
  • 【備考】 拍手第101弾・1組1話のSS形式になっています。