拍手111弾: 木戸さんの誕生日

― お神酒徳利の場合 ―

「桂さん、おめでとうさん」
 その日、政府を離れている井上がヒョイと廟堂に顔を出した。
「・・・よく平然と顔を出せるね、聞多」
「江藤がいないならどこでも平然だぞ、俺は。それに桂さんの誕生日だからな。今年もこれじゃ。見て驚き・・・」
「巾着草ね」
 井上は毎年のように木戸の誕生日に巾着草を贈る。亡き高杉に頼まれているらしい。
 巾着草の花言葉は「私の伴侶」
 その言葉を木戸はただ一人高杉にだけ贈った。
「俺の家にはこの巾着草はいっぱいあるからな。これを見ていると金がいっぱい入るような気がして、なんかいい気分になる」
「でもね。聞多。その花の花言葉は強い愛とか援助とか・・・そういうもので、金儲けの言葉はないよ」
「いいんじゃ。この形が巾着に似ているから巾着草じゃろう。つまりは巾着とは財布じゃ」
 良くは分からないがこれが井上の理論らしい。
「じゃが洒落たことなのか残酷なことか分からんけどよ。高杉は・・・こんなこと俺様に頼まなくてもいいのによ」
「いいのだよ。これは聞多からではなく晋作からだと私は受け止めているから」
 巾着草の一輪に優しく触れ、木戸は少しだけ哀しく微笑む。
「私の伴侶はおまえだけだよ、晋作」
 この花を見るたびに思いだす。
 この身の半身が奪われたあの日のことを。
 そして高杉がいないこの現実を、自分は今も生きているという事実を。
「松菊先生。おめでとうございます」
 次に現れたのは伊藤博文だ。
「よっ俊輔」
「聞多も来てたんだ。ここに来る際にすれ違う人に変な顔をされなかった?」
「俺様はなにも罪なことをした覚えはねぇよ。誰がどんな顔をしようが構いはしないさ」
「聞多らしい」
 ニコッと笑った伊藤は小さな花束を木戸に渡した。
「こちらは高杉さんから」
 毎年同じだ。
 伊藤も井上同様に高杉から頼まれているらしく、誕生日に九輪草を贈る。
 花言葉は「思い出を重ねる」
 木戸は泣きたいような、笑いたいような、おかしな気分を味わうが、あえて笑うことにした。
「嬉しいよ、ありがとう」
 とても花が好きだ。花を見ていると癒され、この廟堂も本気で花で覆い尽くそうかと考えるほどに木戸は花が大好きである。
「こちらが僕からです。季節外れのゆずの実ですよ」
「おぉう。ゆずじゃねぇか。夏に実るなんて珍しいな」
「でしょう。健康に言いので木戸さんに」
 ゆず茶が好きな木戸は喜んで受け取りつつ、ゆずの花言葉を思いだしクスリと笑った。
「俊輔、ゆずの花言葉はね」
 いろいろとある。
 健康美や、幸福とも言われている。または汚れなき人という言葉もあった。
 その中でもいちばんに面白いのは、
「一つに恋の吐息という言葉があってね」
 それには伊藤は驚いた顔をしたが、
「俊輔にはちょうど合っている言葉じゃねぇか。毎日、どこの芸妓に恋文を贈ろうかため息をついているところがな」
「聞多!」
 お神酒徳利の賑やかさに囲まれ、今年の六月二十六日はとても楽しく過ごせそうだ。
 ただ、
 ここに、おまえだけがいない。
 ・・・晋作。

― 山縣さんの場合 ―

「誕生日、おめでとうございます」
 毎年、律儀なこの男は木戸の誕生日になにか贈り物を持ってくる。
「ありがとう、狂介」
 にこりと笑った木戸の前に差し出された袋には、
「・・・・これ・・」
「貴兄にはいちばんに必要なものと思われるが」
 それは誕生日の贈り物としてもらおうと何も嬉しくない。むしろため息が出るものばかりだ。
 胃薬、解熱剤、風邪薬、頭痛薬、睡眠薬、歯痛止め・・・などなど薬一式がそろっている。
「薬が嫌いな貴兄ゆえに、常備しておくことが必要だ」
「誕生日なのだから。もう少し心が浮き立つものが良いのだけど」
「では、これから食事にでも参ろう」
「・・・・」
 おそらく食欲が落ちていることを認識しての誘いだ。
 またどこぞの料亭で強引に食事を取らされる。これでは誕生日というのに、ろくなことがない。
「その頬のこけ方は気になる。神田の寿司屋に参るとしよう」
「今日は寿司なのだね」
「貴兄の好物のはずだ」
 その通りではある。
「好きなだけ食すといい」
「・・・気が進まないのだけど」
「貴兄、私からの誕生日の贈り物を拒むつもりか」
「そう言うけど、いつもと何も変わってはいないと思うよ。目新しいことは何もない。これでは日常と同じではないかい」
「貴兄の健康が一番に大切と思う」
「狂介」
「ゆえに健康を損なわないために食は大事にせねばならない。よろしいな、本日は私と神田で食事を取ること」
「・・・わかった」
 ここで拒否すれば、それこそ強引に引っ張られ「口移し」などと言うだろう。
 山縣は冗談みたいなことを本気で実行するゆえに恐ろしい。
「その寿司屋の庭には色とりどりの花が咲いている」
「・・・花・・」
「貴兄の目の保養になるに違いない」
 どうやらそれが本当の誕生日の贈り物らしい。
 木戸はにこっと笑い、コクリと頷いた。
 この甲斐性のない木石の如し男としては、味のあることをしてくれるではないか。
「楽しみにしているよ」
「きちんと食事はしていただく」
「それも承知している」
「では、後ほど」
 過保護な後輩だが、その心遣いをいつもありがたく思っている。
 どうしても素直には言えないけど、
 いつもありがとう、狂介。

― 大久保さんの場合 ―

 その書状を読み、木戸の顔色は蒼白になった。
 つかさず書状をビリビリに破き、粉々にして、空にひょいと放り投げた。
「どうしたのですか」
 心配そうな顔を覗かせる伊藤に対し、木戸はひとつため息を落として後、
「大久保さんからだよ」
 げんなりとした顔で答えた。
「また大久保さんですか。懲りないですね」
「懲りるところか年々、内容が濃くなっていて恐ろしくなってくるね」
「またろくなことが書かれていなかったのですか」
「誕生日のお祝いを述べていた」
「まっとうなことではないですか」
「真っ当・・・真っ当ね。祝辞を述べた後に、今宵は貴公と熱き夜をおくりたいなどと意味不明なことを書くのが真っ当ね」
「はははは・・・」
 これは伊藤も笑うしかない。むしろ笑って済ませたい。何も言葉を紡ぎたくない。
「熱き夜? それはこの政局に関して熱く議論をするという夜のことかな」
 明らかに違う意味だと思うとは伊藤は口が裂けても言えはしない。
「それとも何か熱いものでも食べにいこうというお誘いなのか」
 絶対に違う。熱い・・・をここまで勘違いする木戸が哀れで、ついでに可愛く思ったが、
「どちらにしろ断らねばならないし、いつものように単刀直入に書いても伝わらないし勘違いをするから、和歌でもしたためるかな」
「和歌? 木戸さんは風流ですね。そんな・・・」
「思いっきり皮肉を込めた和歌にしよう。そうだ。随分前に読んだ孝範集の一首にしようかな」
「それは僕は聞いたこともない歌集です」
「私も古本屋で見つけたのだよ。私と姓が同じで名前も似ていて。確か木戸孝範という人の歌集だよ」
 代々関東管領の重臣の家柄であり、親子そろって歌の道で名を馳せた人物であるらしい。
「これがいい。かけはなれ思はぬ人はつらからずつらきも契り憂きもなぐさめ」
「ダメです。そんな契りの唄なんて。また勘違いをして」
「どうしてだい。これは離れていて思ってもくれない人には辛く感じないのに、いつも交渉があるからこそ憂鬱な思いをする。それはそれで慰めという歌だけど」
「その意味深はいけないですって」
「私が憂鬱な思いをしているということは伝えなくてはならない」
「でもそれが少しは慰めって続くんですよね。絶対にダメです。これは勘違いのもとです」
「俊輔もよく分からないことを言うね。でも私の心によく沿っているからこれにしよう」
「木戸さん。えと・・・僕が相応しい歌を・・・えと・・・そうだ」
 伊藤はそこで芸妓に贈るためにいっぱい勉強した小野小町の唄を思いだした。
「ともすればあだなる風にさざ波のなびくてふごと我なびけとや。この方がいいです」
「・・・俊輔」
「なんですか」
「小町の唄など余計に意味深だと思うよ」
「けど意味がいいのです。ともすれば、ちょっとした風にもさざ波が立つことはあるでしょう。そんなふうに、実のないあなたの言葉に、私もなびけとおっしゃるのですか。まさに木戸さんの心情です」
「そうだけど、分かった。じゃあ二首したためよう。これであの大久保のおかしな書状もおさまると良いのだけど」
 さて和歌で返事をもらったどこぞの大蔵卿は、
「木戸さんは可愛い方だ」
 と、またしても勘違いをしたようで、西郷従道に対し、
「私との契りを待ち望んでいるらしい」
「一蔵さぁ。それは飛躍しすぎでっと」
「間違いはない。今宵は迎えにいことしようか」
 大久保利通の勘違いはまだまだ続く。

― 大鳥さんの場合 ―

「コゴさん、誕生日おめでとう」
「ありがとう、トリさん。でも、よく私の誕生日を知っていましたね」
「え~と。ゆーさんとか釜次郎とかに聞いたよ。おめでとう」
 大鳥はにっこりと笑った。
「それでこれは俺の好物だけど、王子の玉子焼きだよ~こっちはかまぼこ。コゴさん、食ってみて」
 木箱よりは食欲を誘う香りが鼻をかすめた。
 食欲はさしてなかったが、香りにつられて楊枝をさして一口。
「美味しい」
「うんうん。俺もこのかまぼこと玉子焼きは大好き」
 大鳥も一緒になって食べ、
「でも、本多が作ってくれる玉子焼きがいっちばん好きだな」
「トリさんらしいですね」
「本当に美味しいんだよ。とろける感じがやみつきなんだ。今度、コゴさんも食いにおいでよ」
 長年この大鳥の補佐役をしていた伝習隊総督の本多幸七郎は、今は陸軍戸山学校で教官見習いの立場にある。
「トリさんの誕生日はいつなのですか」
「俺? え~とね。二月二十五日だったか、二十八日だったか」
「トリさん?」
「たぶん二十五日かな。家族もみぃんな忘れちゃってさ。いつも二十五日と二十八日で悩んでいたよ」
 なんとも大雑把だが、なんだか大鳥らしい。
「誕生日なんて何回あってもいいと思うし。いっつも蟹とか海老とか食えればこれはこれで最高」
「トリさんは一年ごとに年を取っている感じはしませんね」
「俺、心は若いし」
 ついでに顔も童顔でとても若々しく、年齢相応には見えない。
「心が若いってことは、いつまでも若いってこと。実年齢なんか気にしないよ」
 いつも楽観的で前向き。にこにこと笑って人生楽しげなこの大鳥が、この頃木戸はとても羨ましかったりする。
「私はトリさんに一つお願いがあります」
「なに?」
「書をいただけませんか?」
「俺の? 俺なんかでいいの」
「トリさんの字はおおらかで綺麗でとても好きです」
「うん。疲れてない時に書くね。疲れていると、どうしてか最期が雑になっちゃうし。じゃあ俺は美しいと評判な松菊さんの書を一服いただきたいなぁ」
「えぇ。では交換で」
「うんうん」
 この二人、書でも生きていけるのではないかと言われるほどに達筆である。
 誕生日に人の書を催促をしたのは初めてだ、と木戸は笑った。

― その他大勢より ―

 その日は木戸孝允の誕生日である。
 どこでそれを知るのか方々より贈り物が仰山届けられてきた。
「木戸さん。これは北海道の黒田より新巻鮭と熊の木彫りです」
「・・・また・・・熊の木彫り」
「密かに木戸さんに北海道移住を誘っていませんか、これ」
 誕生日でなくても黒田からは北海道の名産が贈られてくる。これでもか、と北海道の魅力を伝える行動にこの頃は疲れていた。
 家には様々な熊の木彫りが並んでいる。
「こちらは福地から。異国の恋の物語だそうです。・・・原語ですけど」
 さらに頭痛がしてきた。
「こちらは青木・・・ですね。書状はラブレターになっていますが、きっと頭痛がすると思うので燃やしましょうか」
「俊輔。一応は読むから置いておいて」
「ですが便箋五十枚に及ぶ恋文なんですけど・・・」
「・・・燃やしていいよ」
「・・・はい」
 皆に誕生日を覚えていてもらえるのは嬉しいが、なんだかとんでもない贈り物ばかりもらっている気がする。
「こちらは露西亜の弥二からで、露西亜の甘いお菓子の料理本だそうです」
「それも横に・・・」
「こちらが佐賀に帰っている大隈からで、書状は近くにいる人の代筆です。なぜか江藤新平の墓石の一部だそうです。厄難にきくようで」
「・・・・」
 それは嫌味なのか皮肉なのか。それとも本気なのか。大隈重信という男は意味不明だ。
「岩倉公と条公からは胃薬と見舞いの品々・・・それから東京召還の勅令」
「もう放っておいてほしい」
「勝先生からはありし日の恥ずかしくなるイタズラの数々の手紙」
「・・・燃やしてくれ」
「杉さんからは激励の三行掛け軸」
「それは少し嬉しい」
 長州三筆の杉孫七郎こと聴雨は木戸の友人で、その書はお気に入りでもある。現在は宮内少輔の立場にある。
「前原さんからは囲碁のお誘いの手紙~」
「もういいよ」
「でもまだまだあるんですよ。御礼状をしたためないといけないし」
「孫七郎以外にまともなものがあったかい」
「こちらが福澤先生で、学問のすすめ」
「・・・御礼状は書くよ」
「極めつけが山岡先生から木刀一色」
「・・・・」
「反応に困りますよね」
「・・・・」
「木戸さん」
「なんだい」
「訳の分からない知人が多すぎです」
「放っておいておくれ」
 でも誰からも愛されているということですから、と伊藤は付け加えておく。
 そして律儀な木戸は皆に御礼状をしたためるのだった。
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WEB拍手一覧 111 「木戸さんの誕生日」

WEB拍手 木戸さんの誕生日

  • 【初出】 2013年6月26日
  • 【備考】 木戸さん誕生日祝