拍手116弾: もし捨て子が家の前にいたら、






 木戸家の門前に赤子が捨てられていたのは有名な話だ。

「あのさ。おまえなら門前に赤子がいたらどうする?」

 伊藤のその問いに山縣は吐息をもらした。

「そのときになったら考える」

「なに。その面白くない答え」

 昔からこの手のたとえ話を伊藤は好む。

「おまえならその場に放置とかするのかな。冷たいやつ」

「・・・それでけっこうだ」

 と思いつつも、もしも今赤子が捨てられていたならばそれはそれで救いだと山縣は思う。
 妻友子との間に子を授かったが、産声もあげなかった子がいた。生まれても数日で儚くなった子もいる。
 そのたびに妻の嘆きは深く、山縣には慰める言葉もない。

「伊藤」

 ゆえに山縣はこんなことを聞いてしまった。

「どこかに捨て子でもあったのか」

「なにそれ? 捨て子なんてこの帝都には探せばいっぱいいるだろうけど・・・」

「そうか」

「あのさ。いや・・・例え話としてはあまりよくなかったって・・・」

「・・・」

「・・・ごめん」

 どうやら子を亡くしたことが頭によぎったのだろう。伊藤が素直に謝るなど珍しいことだ。

「おまえが気にすることではない」

 そうして山縣は茶を口に含みながら、脳裏では「子ども」が頭から離れなくなっていた。

(いっそ子を一人もらうか・・・)

 笑わなくなった妻の横顔が胸に痛くてならず、妻が笑ってくれるならばと山縣は思ったのだが。

「・・・山縣。あまり深く考えない方がいいよ。子は授かり物だからさ。おまえだって若いんだし。それに・・・友子さんなんか一回り年下なんだから。その・・・」

 どうにか慰めようと言葉を選んでいるようだが、伊藤はバツが悪い顔をして下を向いてしまった。
 いつも底抜けに明るく、ましてや己に対しては言葉を選ばずに罵る伊藤としては珍しい。

「どこぞに捨て子の話を聞いたならば、一報をくれ」

 そう言い残して山縣は席を立った。

「・・・しまったなぁ」

 伊藤のつぶやきの声は山縣の耳には届いていない。





「伊藤さぁの例え話が廟堂に広がっておいもす」

 西郷従道が笑いながら、松方に向けて「噂話」を始めた。
 茶を飲みながらの雑談に適度だと思い、いつものように軽い調子で口にしたのだが、

「家の前に赤ん坊が置いてあったらいけんすうかっていう話ですど。捨て子についてです」

 テーブルにある最中に舌鼓を打ち、一個もう一個と食べて、従道は二カっと笑う。

「捨て子? それは本当に捨て子でごわすか」

 松方は真面目な顔をしてその話を受け取った。

「・・・松方さぁ?」

「家の前に子どもが置いてあったら、んごて捨て子になうのか」

 松方は真剣そのものだ。
 そこで従道は話をする相手を間違えたことをせつせつと悟った。
 なにせこの松方、明治政府一の子だくさんで、子どもと言えば十人だったか、十五人だったか知れないほどだ。
 それも本宅にすべて引きとって育てているものだから、どれが正妻の子で、どれが妾の子かもわからない始末と言える。

「前に家の前にかごに入った子が置いてあったが、おいの子じゃった」

「そうでごわしたね。いやいやその子がもし松方さぁの本当の子どもでなかったら・・・」

 そこで松方は軽く首を傾げて、

「我が家の前にいれば、我が子でごわす」

 この例え話は全く松方には通じないことをつくづく従道は知った。
 ついでに捨て子を置いていくなら、松方家がいちばんに良いのかもしれない。なにせ実の子として育ててもらえそうだ。






「家の前に捨て子? 太郎、子どもは好きだから家で育てますよぅ」

 伊藤の例え話を聞いた桂太郎はにっこりと笑ってそう答えた。
 だが、その腹の中はこんなことを思っていたりする。

(捨て子・・・)

 それは自分の利になるか、どうかを判断しないとならない。
 まずは容姿を見て、それから襟首を掴んで、その目をジッと見てこう尋ねよう。

「おい捨て子。大きくなったらこの僕の手足となって動くと誓う? 誓うなら、温かい家の中に入れて、大切に育ててあげようね」

 女ならばどこぞの大物の長州閥の重鎮の家に嫁にやろう。
 男なら、そうだ。どこぞの長州閥の大物の娘をもらって嫁にさせよう。人質としてはちょうどいい。
 そんなことを考えていると、妙に楽しくなって太郎はにこにこと笑った。

「僕の家の前にも置かれていないかな。捨て子」







「捨て子だと」

 井上馨はその例え話を聞いたとき、自らが朝起きて作った特性弁当を食べているときだった。

「子どもか。俺さまはけっこう子どもは好きだぞ」

 実子が少ない井上には、それはそれは養子が多い。女の子を養女にもらい、これぞ見込んだ相手に嫁がすということを繰り返していた。

「そうだな。捨て子か。小さいころから育てて、俺様の料理の弟子にするっちゅうのもいいなぁ」

 井上と同じ舌を持つ子どもが誕生したら、それはそれで恐ろしい。

「俺様は赤ん坊ってほとんど腕に抱いたことがないからなぁ。捨て子大歓迎じゃ。どんと置いていってくれや」

 家に看板を立てて「赤ん坊歓迎」とでも書こうかと井上は考えた。
 この「三井の大番頭」と呼ばれし財政家たる井上には、捨て子の十人や二十人、いやいや百人以上引きとってもビクリともしない資産がある。

「親戚から子どもをもらうのもいいけどよ。そうか。捨て子っちゅうのもいいもんじゃな」

 そんな呟きを聞いた長州閥の人間たちは、井上の家の前にだけは捨て子は絶対にいけない、と対策を練ることしたらしい。
 赤子があの「井上料理」を食せばどんな目に合うか。
 いやいやもしくば赤子の折より井上料理に接し、舌が慣れに慣れてしまい、ついには井上料理を引き継ぐ後継者が誕生したならばどうなるか。
 長州閥の面々の間では、井上宅に赤子が置かれていたら、連携して引きとりにいこうという取り決めがなされた。






 さてこの当の「捨て子」について始めに言いだした伊藤は、と言うと、

「捨て子ねぇ」

 実際に自分の家に置かれていたら、さてどうするか、と考えて、

「山縣のところに連れて行くよ」

 という結論にいたれり。
 伊藤が知るところ現在、捨て子をいちばんに可愛がってくれそうな場所は「山縣家」だ。
 そこには美しい奥方がいて、裁縫がとても得意なので、きっと赤ん坊の産着も手ずから作り、腕に抱いて可愛がってくれるだろう。
 実子が生まれても、育て子を無碍に扱う人たちでもない。

「そうだ。僕の家に捨て子がいたら、山縣のところに連れていこう」

 少しばかり山縣に余計なことを言ったと思っていたりする伊藤だった。

「あんな奴のところに子どもを預けたら、どう育つやら」

 部屋を訪ねてきた山田顕義がそんなことを言う。

「そうかな。あいつ動物や子どもに好かれるから、案外かわいく育つんじゃない」

「猫は使役。子どもはなんであんなのがいいんだろう」

「僕もそれは常々疑問だったんだよね」

 泣いている赤ん坊を山縣がなくと泣きやみ、悪さする猫は山縣が睨むだけで、その場で臣従を誓うかのように山縣の靴をぺろりと舐める。

「けどさ。この頃、あいつ落ち込んでいるだろう? だから・・・捨て子が近くにいたらあいつのところにつれていった方がいいと思うんだけど」

「それって捨て子じゃなくて捨て猫でもよくない? 友子さん、可愛いものならなんでも好きだし」

「でも猫じゃね」

「いいや。僕、明日、ガタのところに猫置いてくるよ。あいつがこれ以上落ち込んだ顔をすると、さらに真っ暗闇で陰陰滅滅ってな感じだし」

 そうして山田は翌日、廟堂の庭に住んでいる猫の引きとり手待ちの子猫を山縣家に置いてきた。

「本当に置いてきたの」

「友子さん、なんだかこけて弱弱しくなっていたけど、子猫を見た瞬間に、少し嬉しそうな顔をしたから」

 山田は「この子猫、飼いませんか」と言うと、山縣は「いらん」と言ったが、友子は微笑んで猫を抱きとめたのだ。

「元気になってくれるなら、人間の子どもじゃなくたっていいってことだと思うよ、僕」

 ふわぁ~と欠伸をして山田はソファーにゴロっとした。
 以降、山縣の落ち込みは少しずつ改善していき、妻の友子は子猫に夢中になっているとか・・・。
 そうして「捨て子」の話題も廟堂で語られなくなった。

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WEB拍手 もし捨て子が家の前にいたら、

  • 【初出】 2015年12月5日
  • 【備考】