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2014-05-18 更新 鳥尾の仲間たち (明治短編)

 
 一か月以上も遅れて、鳥尾小弥太命日追悼話をアップしました。
 
 四将軍の一人である鳥尾の命日は、あの江藤新平と一緒だったりします。
 

 
 四月十三日と十四日はこのサイトの関係者の誕生日と命日が多い日だったりします。
 きわめつけに四月二十二日のガタさんの誕生日が来ますし・・・。
 
 今回は四月十三日と十四日関係者すべての話を書いてみました。
 
 中でもてこずったのが鳥尾小弥太でした。
 この方、長州閥といっても四天王と表だって対立する立場にあったりします。
 けれど市とのエピソードのように、市が涙ながらに演説するとついついそれにほだされて意見を変えたりするんですよね。
 それに対して批判はありますが、それにもめげずに、そういうことが多かった。
 
 きっと鳥尾は「情」の人だったと思います。
 鉄砲坂は危ないと思って人々のために坂を作っちゃった人でもありますし。
 その碑が今でもあるらしいので、東京にいったら見てきたいです。あのあたりには独逸関係と、鳥尾の邸宅。そして椿山荘あり。
 
 鳥尾って山縣と対立していた割には、家はご近所さん。とっても近いですね。
 家が近いので確かなにか意地悪をしたような記憶あり、三浦梧楼と。
 今も残る独逸関連の建物は、確か桂太郎と平田東助が鳥尾が持っていた敷地を譲ってもらって建てたと記録していますから、
 あのあたり一帯と鳥尾家の敷地だったということになります。
 鳥尾さんの子孫はずっと関口の敷地内に住まわれていたらしいですね。
 小弥太時代の邸宅は現在は公園になっていると聞きました。
 
 てこずりました鳥尾の話。
 構想は山縣の誕生話「朧月夜の宴」を書いている際に、
 不意に「小弥太と梧楼がいない」とこみあげてきたので、今回のこの話となりました。
 市が招待状を持っていく際に、「ちびっこに書かせた」といってますが、それは桂太郎のことです(笑)
 市と桂太郎の背丈はほとんど変わらないでしょうね。それでも市いわく太郎は「ちびっこ」なんだなぁ。
 
 時期は第一次山縣政権のあたり。
 首相の山縣。この二カ月後に伊藤は枢相に戻っています。この時期は元老。
 市は一度法相を辞任していますが、すぐに戻ったりしていますが・・・病気療養に入る前ですね。
 平田が枢密院の書記官長。聞多はお気楽していますが、日清戦争終了後にはとりさんにかわって朝鮮駐剳公使。ついでに聞多の後釜が三浦梧楼で・・・ああぁあの事件となるわけです。
 
 
 どこかで山縣が「近衛都督」を譲った件について、それは鳥尾への慰留だと読んだ記憶がありました。
 陸軍時代、ある意味では鳥尾は山縣の片腕だったと思っています。
 話でちらりと書いた福原については、山縣と並んで写真が残っているほどの仲だったりしました。
 早く亡くなりすぎたんでしょうね。福原は乃木の後始末もあって早々に出征したような・・・。
 
 明治中期の長州閥の親睦会には鳥尾と三浦はいないので、昔のようにみんなの宴をしてみたくなりました。
 これに弥二と青木と山尾、野村を入れるとうるさいなぁと排除。
 久々の六人での集会はいろいろと複雑ですが、すべては市の病に免じてという流れにしてしまいました。
 
 鳥尾をメインでなどめったに書かないので、これまた書きづらい。
 今回の主題は間違ったかと思いつつ、仕事の忙しさと合わせてこんな時期となってしまいました。
 もう一月以上も経過しております。
 それでも十三、十四日の関連人物は書ききったという達成感あり(笑)
 
 残るは四月二十日誕生日。五月十五日命日の犬養毅ですが・・・・なんだか新発見で書状が出てきたというニュースを見ました。
 それに合わせて明治保育園でサラリと書こうかな、と。
 
 
 この二日間の関連人物の中で、いちばん長い話となってしまった鳥尾話。
 これからもご近所なので、たまにはガタさんの家に散歩がてら訪ねるといいなぁと思っています。
 
 
 □ 今後の予定

 ちびちび話。
 逝く者~ 続き。
 できれば箱館話。
 
 

01:17 | カテゴリー : 更新情報コメント(0)

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