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― 高杉のライバル① ― (幕末長州)

「桂さんじゃ」
 吉田の奇兵隊屯所でゴロゴロとしていた高杉晋作はビクリとなり体を起こした。
「桂さん? 桂さんなら山口ですよ」
 高杉のまさに「使い走り」と伊藤俊輔がバリバリと煎餅を食べながら、こたえる。
「いや、桂さんじゃ。今、門前のところにいるから、自分が迎えにいっちゃる」
「えっ……高杉さん。本当なんですか」
「本当じゃ」
 長州の魔王たる高杉は、奇才という言葉がよく似合う男だったが。
 その奇才をおかしな方向で使う男でもあった。
「ほら、今門前に入ったぞ。急ぐぞ、俊輔」
「高杉さん、待ってくださいよ」
 剣術は柳生新陰流。それなりの腕であり免許皆伝だが、上海で購入した短銃の方を好む男。
 人の気配を読むというほどに武芸に特出しているというわけではないというのに、
「桂さん」
 ちょうど屯所の中に入ろうとした桂小五郎を見つけ、
 高杉は一目散に駆けて、桂の胸元に抱きついた。
 伊藤は後ろでぜはぜは息をしながら、
 まるで高杉が駆けてくるのを予想していたような涼しげな笑顔で、
 桂は幼馴染の体を抱きとめて、やさしく笑うのだ。
「晋作はほんに私の気配はよく分かる」
「当然じゃ。昔から自分に近づいてくる桂さんの気配だけは分かったんじゃ」
 他の人間はなぁんも分からんけどな。
 まるで猫のようにゴロゴロと桂に甘えている高杉は、
 桂にかけては、並大抵ではない第六感というものを持ち合わせている。
(勝手にやってくださいよ)
 伊藤は懐に入れていた煎餅を取り出し、バリッと食べた。

 だがここにもう一人
 桂の気を読む男がいる。
 それは奇兵隊屯所で不機嫌な顔をして三味線を奏でる高杉と、
 なにやら図面を広げ、いつもながらの無表情で筆を手にしている山県狂介が、
 一つの部屋にいたときだ。
 なぜか伊藤は高杉に茶を入れ、致し方ないという感じで山県にも茶を入れてやっている。
「桂さんがおいでになられたようだ」
 山県がぼそりといった。
「ん? 本当じゃ」
「今、桜の大木を横に曲がった。迎えに参られなくてよろしいのか」
「当然、いく」
 三味線を放り投げ、今までの不機嫌な顔を引っ込めて高杉は、ふと、
「なぜ、おまえさんが分かるんじゃ。桂さんの気配など自分以外に知れんぞ」
「……知れるものは知れる」
「ならば狂介よ。俺様やこの伊藤の気配も分かるか」
「……傍にあればわかるが、遠く離れた気配などしれようはずがない」
「ならばなぜ、桂さんはわかるんじゃ」
 そこで山県は筆を置き、ふと考える顔をしたが、
「……知れぬ」
 とだけ答えた。
 高杉はその返答が気に入らないらしく、山県の襟首を掴み、
「おまえ、自分の桂さんをまさか好いているなんて考えていないじゃろうな」
「高杉さん」
「答えろ」
「迎えに参られずともよろしいのか」
 ハッとした高杉は憎憎しげに山県を見据え、
 固まっていた伊藤をキッと睨みすえ、腹いせとばかりについでに足蹴にし、
「……ひどいです、高杉さん」
「黙れ、うるさか」
 と、慌しく部屋を出て行った。
 足蹴により畳みに打ちひしがれている伊藤は、
「なんで分かるの、山県」
「私が知るか」
 とてもとても桂の気配を同じ部屋の中にいても読めない伊藤には、
 高杉と山県は一種の「桂病」でないかと思い、
(待てよ)
 あの高杉はともかく、この人に興味がない山県がまさかね、と
 ひりひりする背中を撫でながら思ったりした。



― 高杉のライバル② ― (幕末長州)

 ここに一人、侮れない男がいる。
 高杉はずっ~と昔から、この男は「油断のならない」狸だと疑いつつ付き合ってきた。
「桂さんよ。熱あるのに、そんな小難しい書面など見ているな」
 いつもこうだ。
 井上聞多はぶっきらぼうにそんな一言を口にし、
 見かけ普段と全く変わらない桂に近寄り、そっと額に手をあてて、
「やっぱりだな」
 と、重いため息をつく。
「聞多、私はなんともないと」
「アンタのなんともないほど当てにならないものはないんだよ。さっさと帰って寝な。しゃあないからよ。この書類は俺様がかわってなんとかしておいてやるからさ」
 ほらほら帰った。
 アンタにもしものことがあれば、それだけで長州は立ち行かないぞ。
 高杉はジーッと桂を見つめ、
 その顔色からして何一つ普段との違いを見出せない自分が、
 情けなく、悔しく、そして目の前の小判大好き男が憎らしくてならない。
「聞多ぁぁぁぁ」
「な、なんじゃい高杉」
 どうにかして桂を追い出そうとしていた井上は、
 高杉の存在をきれいさっぱり忘れていたので、実に驚いたようだ。
「なんでじゃ。桂さんとの付き合いは一番長い自分が分からないことを、なんで聞多は分かるんじゃ」
 ついつい怒りのままに井上の襟首を掴んでしまった高杉である。
「晋作、暴力はいけないよ」
 自らが体調が悪かろうとも、決して他に気付かれない「普段の自分」の演技を完璧にこなす桂の、
 体調の悪さを把握できるのは、この井上だけなのである。
 それも昔から……そう近所の幼馴染の桂を高杉が久坂と取り合っていたあの時分からだ。
「なんでっていわれてもな。見るからに体調悪そうじゃないか」
「どこが……」
「あえていうならば……気かな」
 井上は何かを考えながら喋りだした。
「いつもは穏やかで優しげな気が揺らいでいるというか。妙に覇気がないというか」
「そんなの自分は分からん」
「高杉にわかってもらおうなどと思ってもいないがよ」
「なんだと」
 桂はまるで頭痛をこらえるように額に手をあて、
「聞多……晋作」
 今まさに取っ組み合いの喧嘩をしようとする二人を見ながら、
「聞多のいうとおり体調が私はよろしくないから……晋作、送っていっておくれ」
「当然じゃ」
 井上の襟首を掴んでいた手をパッと離し、高杉は上機嫌という顔で桂の傍による。
「桂さん、大丈夫か」
「たいしたことがないから……晋作がいてくれるなら大丈夫だよ」
 にこりと笑い、桂はそっと立ち上がる。
「聞多、よろしく頼むね」
「任せときな」
 手をひらひらと振る井上を睨み付け、
「なんで分かるんじゃ」
「さてな」
 井上はニッと笑ったので、
「次にあったら聞く」
「誰が教えるかよ」
 臨戦体勢ながらも、高杉は今は桂がいちばん大事。
 井上との喧嘩は取りやめにして、桂の背を支えながら帰路につくことにした。


「なんでわかるかってな」
 井上は目の前の書類を見ながらニヤニヤと笑う。
「俺様は桂さんだけじゃなく、高杉も俊輔も市も、たいていの人間の体調は分かるのだがな」
 それでもいちばんは桂の体調が顕著に知れる。
 それはなぜか、
 井上は苦く笑った。
「いまだに残る、初恋の痛手かな」
 そして今度は豪快に笑い飛ばした。



― 高杉のライバル③ ― (幕末長州)

 松門の双璧と呼ばれる久坂玄瑞と高杉晋作は取り分けて仲が悪い。
 普段は温和で人の面倒見がよく、穏やかな久坂なのだが、
「だから君は馬鹿だっていうんだよ」
 と、高杉限定でとてつもなく口が悪くなる。
「馬鹿いうな、馬鹿」
「君がまさに馬鹿を証明する愚かなことを言うから、馬鹿って言ったんだよ。ありがたいと思ってね。君に面と向かって馬鹿なんというのは、僕くらいだと思うから」
 にこりと笑った久坂を、拳を握り締めて見据える高杉の眼は険しい。
 今にも爆発寸前。その拳をもって久坂に挑みかかり、いつものように額を押さえつけられ久坂にしてやられる結果を見ると思えば、
「高杉さん、高杉さん。桂さんがおいでですよ」
 という声で、見るからに高杉の表情が変わり、
 パッと拳を解いて、
「桂さんだぁ」
 と、まさに飛び跳ねるように部屋を出ようとする。
「だから……高杉って」
 久坂は一つ吐息を漏らし、その高杉の後を足を忍ばせてついていく。
「桂さん、桂さん。自分は桂さんがくるのをまっちょった」
 ちょうど屋敷にあがった桂に両腕を広げて抱きつこうとする高杉を、
 背後からドドッと走り寄った久坂は、足蹴を高杉のその背中に浴びせた。
「ぐわぁぁぁ」
 その場にバタリと沈んだ高杉を見、久坂は満足げに微笑んで、
「桂さん。こんな高杉のことなど放っておいて、僕たちとお話しましょう」
 久坂の飛び蹴りの見事さに思わず茫然となった桂だったが、
 廊下にばたりと打ちひしがれている高杉の腕を取り、その腕を肩に抱えて、
「あまり晋作を苛めるでないよ、秀」
 久坂を「秀三郎」の幼名で呼ぶ人間は今では少ない。
 ついテレが久坂の顔を染めたが、そのテレもやはり嬉しいものがありにこりと笑った。
「僕は桂さんに秀と呼ばれるのが、とても好きですよ」
 微笑んで後、桂の肩に抱えられている高杉を一睨みすることも忘れない。
 高杉と久坂。互いに物心つくかつかぬかの時分より桂を争った仲である。
 そのころからすでに……将来を予見するかのように、
 いつもいつも小さなことでも争っていた。



― 松菊探偵事務所のある一日 ― (長州)

「あぁ……なにか甘いものが食べたいなぁ。食べたいなぁ」
 飯田町にある松菊探偵事務所は、今日も今日とて探偵が欠伸をするほどに暇である。
 所長の木戸は寺子屋もどきを神社で実施。副所長の吉富は現在大店に助っ人として雇われ中。
 珍しく福地も外に出ており、青木としては暇の極致に至れりであり、
 ついでに有り金もなく、一人をよいことに居間で何かないかな、と食べ物をあさる有様となっている。
 これが留学生として独逸在住のおりに、その才覚と長州閥ということも考慮され外務省の「一等書記官」となった男であろうか。
「食べ物、食べ物」
 誰もいないために朝から食事も取っていない青木である。
 この男、いざ衣食住において食事の部分は自ら生み出す能力は皆無に等しい。
 誰かが用意してくれるか、または自分でどこかで出来上がったものを購入しなければ、食事にありつくことは無理である。
 戸棚をゴソゴソと探索をはじめ、
「おぅ」
 奥に皿に乗った和菓子が五個もあった。
 思わずゴクリと咽喉がなるほどにおいしそうである。
「きっと福地君がこんなところに隠していたんだなぁ」
 甘いものが大好きな福地は、自らのお菓子を青木に奪われないようになかなかにありとあらゆる所に隠している。
「福地君のものなら俺のもの。いただきます」
 はむはむと食べ、今なら何でも美味しく感じられる青木はむしゃむしゃと息つく暇もないほどに食べ、
 あっという間に五個すべて食べつくした。
「美味しかった」
 福地君、ありがとう。君がこんな誰にでも見つけられるありきたりのところに隠しておいてくれたおかげで、食事にありつけたよ。
 青木は少しばかり腹もふくれたので、居間でゴロリとなり、いささか早い昼寝を楽しむことにした。


「俺様の和菓子~」
 その悲鳴に似た怒号により青木が目を覚ましたとき、
 目の前には戸棚を開けて消沈している井上馨の姿があった。
「俺様が楽しみにとっておいたものを……青木いぃぃ」
 一挙に目が覚めた青木は条件反射でまずは首を横に振り、ピーンと浮かんだのは、
「い、井上さん。俺じゃないですよ。そんなの甘いもの大好きな福地君に決まっているじゃないですか」
「ほぉ青木。なぁらその口元についている餡子はなんじゃな」
 井上の眼はまさに据わっている。
「これは……その」
「しかも貴様の横にあるその皿と、食べ残しの残骸はなにかな」
「………」
 脱兎の如し勢いで逃げ出そうとした青木の襟首を掴み、
「よぉく覚えておけよ、青木。遠き昔からなこう言うだろう。食べ物の恨みは怖いってよ」
 ドカッと青木の背を蹴り、それでも気がすまないのか、井上はニタリと笑いながら青木を見る。
 身の危険を感じた青木は逃げ出そうにも、井上はまるで隙がない。
 何度も足蹴にされ、畳の上に「ふぎゃあ」と倒れたとき、
 食べ物の恨みをまさに体をもって知った青木周蔵だった。



― 山県の弱いもの ― (お神酒徳利)

 いたって昔から槍の鍛錬を欠かさない山県は滅多に病にかからない。
 朝目覚めて後に毎日かかさず槍をふるうことから始まり、
 よほどのことがない限り、決まった時刻に眠る。
 食べ物は質実をむねとし、野菜を中心とした徹底した和食。薄味で、友子夫人手作りの料理をやはり好むようだ。
 規則正しく、自らを徹しているからか、昔から病にかかることがほとんどなかった男なのだが、
 健康だからこそ、時として病になると頗る大病となることが多い。
 しかも、だ。
 自らが病ということを気付いていないのか。
 普通の人間ならば倒れるという状況でも顔は普段通りで、仕事もなす。
 周りにいる人間たちは山県が病たることも気付かないほど、徹底して普段と変わらない顔を作り、
 そして限界を遠く超えたころ、人知れず場所で倒れるから厄介極まりない。
「……山県?」
 そのため昔馴染みの同郷の人間は、
 山県が限界を超える前に気付かねばならないと思うあまり、
 いつのまにか山県の体調については、長州の人間は目利きと言われるほどの心眼を持つようになってしまった。
「体調がよくないのだね。今日は帰って休みなさい」
 長州閥の親玉の木戸孝允も例に漏れず、
 伊藤博文曰く「鬼の霍乱」と呼ばれる山県の病を、顔色ひとつで察せられる。
「本当だ、山県。さっさと帰ったら。けっこう悪いみたいだし」
 とは、山田顕義。山県の顔を見て「うわぁぁ」といった。
 どれどれ、と顔を覗いた伊藤は、ため息ひとつ。
「軽い風邪なら薬を出してあげようと思ったけど、これは駄目。帰った方がいい」
「……木戸さんも伊藤も山田も何を言っている。私はなんともない」
「そうだろうね。僕たちじゃなかったらいたって普通。けど僕たちの目は騙されないよ。おまえ、けっこう苦しいんじゃなうのか」
「そうだよ、苦しいだろうが。さっさと帰ってねなよ」
 熱でもあるかもね、と手を差し伸ばす山田の手を振り払ったとき、
「俺はなんともない」
 と、山県は言ったのだ。
「重症のようだね、山県」
「ほんと、重症」
 同郷の仲間たちの前でも山県は一人称は「私」で通す男だ。
 それが「俺」というときは、よほどに怒り狂っているときか、もしくは一人称を意識できないほどに「病んでいる」ときまっている。
「山県」
 木戸が山県の前に立ち、
「狂介」
 と、やさしく名を呼んだ後だ。
「そこにまずは横になりなさい。落ち着いた後、私が馬車で送るから」
 長州の首魁の断固として否やを言わせない物言いに、
 さすがの山県も吐息をひとつ漏らして「心得ました」とこたえ、
 そのままグッタリとまるで倒れるようにソファーに横になった。
「昔から木戸さんが言わないと山県は言うことを聞かないよね」
 山田がにたにたと笑うと、
「そして木戸さんは山県が言わないと食事をされない。おかしな関係です」
「これを言うなら持ちつ持たれつ? なぁんか嫌な言葉だよ」
 木戸はそっと山県の額に触れ、この熱の高さに「やはり」と思い、すぐに拭いを冷やしに部屋から出る。
「でもさ、山県いいよね。ちゃんと木戸さんに気付いてもらえてさ」
「本当に羨ましいね」
 と顔を見合す伊藤と山田は、体調が悪かったらさっさと寝て直すが主義なので悪化させることはほとんどない。
「山県、僕が看病してやろうか」
 伊藤の言葉にビクリとなったが、反論する気力はすでに山県にはない。
 伊藤はニヤリとし、山田はにたりとして、
「看病してあげるよ、山県」
 こうしていつも「鬼のかく乱」の時は、同僚に知られ、
 なおかつ看病と称して、枕元で散々に嫌味を言われる山県は、
 ……なぜ悟られるのか。
 今もって知れない。
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  • 【まとめ】 2013年1月16日
  • 【備考】 5話収録