― 人物性格物語 ⑭ 桂太郎 ―
「運のよい男だよ」
桂太郎について尋ねられると、たいていの人間は一言でこう評する。
出身は長州藩の名の知れた上士の家系である。先祖は、かの毛利元就の側近として桜尾城主だった桂元澄といわれる。
まさに花もある実もある名の知れた先祖であり、桂家は毛利家の支流であり代々の側近中の側近だった。
もとは「執事」で権勢を誇った坂一族より分家した桂家である。
元就の良き補佐役であり「執事」となった志道広良とは、桂家は縁続きで、元澄の後妻は志道の娘だった。
そんな先祖と松下村塾を支援し続けた中谷正亮を叔父に持つ桂は、血統的にも身分的にも実に恵まれており、
藩の家柄の良い人間から選抜される選鋒隊の隊士となる。
「ほんとうに僕は運が良かったと思うよ」
などと桂自身が納得する運が、ここで発揮された。
此処で彼に運がなかったとしたならば、
おそらくかの功山寺決起の際、藩内を押し寄せてきた山県狂介率いる奇兵隊に討ち取られていただろう。
禁門の変の後に選鋒隊より、世子の小姓役に抜擢されなければ、桂太郎の人生はおそらく費えていたように思える。
「運命やら宿命とかいうけど、きっとね。僕は閣下の傍につく星のめぐりだったとしか思えない」
などと児玉に意気揚々と喋るほど、まさに運の良さが発揮された最初の出来事だった。
今現在山県の側近として在る桂は、
もしかすると当の昔に、奇兵隊に討ち取られた可能性すらある。
因果とも宿縁ともいえる現在の立場だ。
桂のあだ名は「にこぽん」である。
常ににこにこと笑い、ぽんと人の肩を叩くところから、当時の東京日日新聞の記者小野が名づけた。
このあだ名には「財界人や政界人を手懐けるのが巧み」という意味合いも多分に含まれている。
桂はたいていの人間の前では、こうニコニコと笑っているのだが、
そのニコニコを引きこめる相手も少なからず存在した。
そのまず第一が、
「ねぇ児玉」
元長州藩の支藩徳山藩士児玉源太郎。
陸軍きっての有能な策謀家であり、誰彼となく毒舌を吐くことで有名な男でもある。
「なんだぁ、桂。また閣下に振られたのか」
この児玉と桂は僅かの期間だが共に大阪の兵学寮で学んだ仲である。
だがこの兵学寮で教導隊に編入されたため、卒業しても下士官にしかなれぬと分かった時点で、桂は戊辰の際の二百五十石の賞典を費用にし、官費生として独逸に留学させて欲しいと藩の先輩にあたる木戸孝允に頼み込んだ。
明治三年に兵学寮を優秀な成績で卒業し、わずか二年で大尉に昇進した児玉と、
独逸より戻り、山県のもとで「大尉」として陸軍の将校となり、常に児玉の一歩先を行き、軍政の桂、軍令の川上と称される……
この桂と児玉は妙に仲が良かった。
「違う。閣下はこの頃、児玉の顔を見るにつけ寿命が縮むようだ、とため息をつくんだよ」
気心知れている児玉の前では、桂は例の「にこにこ」を引きこめる。
「そうか、それはいいことだ。これから閣下の前に顔を出して、散々に寿命を縮める悪戯をしてやろうか」
児玉は陸軍の覇王と称される山県の部下だが、側近とまでは言われない。
山県閥にこの桂に腕を引っ張られ、片足を突っ込んでいるが、内部まで浸っていないからだ。
むしろ児玉は山県という人間を嫌いではないが、心の内から認め納得することなどありえはしない。抵抗も僅かにある。
「僕に免じて閣下への悪戯をやめてくれないかな」
「それは桂のお願いでも絶対に無理。これは俺の生き甲斐ともいえるんだよ」
昨今、児玉の山県に対する悪戯は陸軍、参謀本部まで噂として聞こえている。
『あの山県さんに公然と悪戯をしでかすなど、児玉君でしかできないことだな』
などと大山巌がホッホッホッと実に楽しげに話していたほどだ。
「桂は閣下、閣下と傍に引っ付いていればいいのさ。俺の楽しみの悪戯をとめる権利はないぜ」
「児玉の意地悪。いつか痛い目にあうよ」
「痛い目に合わせられるものなら、あわしてみな」
仲が良いのか悪いのか少しばかり知れない会話だが、
三日もすれば桂はきれいにこの会話を忘れる。こういう忘れ方は非常に徹底しているために、人にさして恨みを持たれることはない。
桂太郎が敬慕とも崇拝とも慕う山県閥の総裁にして、陸軍の覇王の山県有朋は、
この自らの閥の後継者とも目され、事実上の二番手に位置する桂を、心底から信頼することはなかった。
それは山県が徹底した桂に対する呼び名にある。
独逸より戻り大尉となった桂に対し「大尉」としか呼ばず、または「そこの」である。総理となってからは「首相」であった。
その地位の名でしか呼ばれないことに、桂自身は気になってならなかった。
「閣下は僕のことがそんなにお気に召さないのかな」
と、警察官僚で、山県閥の一員である大浦兼武に愚痴をこぼすと、
「うーん。そんなにことはないと思いますけど」
「お気に入りの姪婿の平田にも、君にも名前で呼ぶというのに、僕だけは苗字ですら呼ばないよ」
「きっと桂さんは特別なんですよ」
ははは、とその場を収めるために大浦はそういったが、
ぞくに伊藤は八方美人、桂は十六方美人と称されるこの桂を、山県は心底より信頼していないことは知っていた。
山県という人は子分の面倒見の良さは徹底している。信頼し子分にしたものは最期まで徹底して世話を焼いた。
無表情で寡黙。心情を吐露すること希なる山県にして、一種の「世話好き」という面が山県閥と言われる巨大派閥の形成に繋がったといわれる。
その山県の世話好きの恩恵を受け、閥の二番手とまで目されようとも、桂はいつも不安な顔をした。
「特別なんて言葉は僕はいらない。欲しいのは確たる閣下の信頼なのに」
「なら試したらどうですかね。ことあるごとに閣下に逆らってみせたらどうです。閣下の心証も分かるというものですよ」
フッと笑った大浦は心底で「怖いな」と思った。
この桂が山県を裏切る行為に出たならば、山県はどう動くか。
見てみたいような、一生見たくないようなそんな心境だが、言ってしまった言葉はもとには戻らない。
「そうか。分かった。ありがとう大浦。考えてもいなかったよ」
ははは……と笑いながら、「俺は何も知らない」と大浦は一人、この時の言葉を忘却の淵に遠ざけた。
「小山県内閣」と揶揄される第一次桂内閣において、
始めは今まで通り従順だった桂が山県に反旗を翻し始めたのは、ちょうど日露戦争の前くらいからである。
この桂という男は、陸軍軍人となったのがそもそも大きな間違いといわれるほどに、政治家向きの素質が十二分備わっていた。
ましてや独逸の留学で独逸式軍備を身につけたため、そこを山県は重宝したが、
それ以上に桂は巨大な山県閥を支える「金庫番」といえるほどに、金集めが巧みな男だったのである。
だが時として失敗をし、自らが背負えなくなった借金を児玉に何とか肩代わりしてもらったりしたことがあった。
そのことが山県に悟られ、説教とまではいかないが、信頼を損ねることなどどれだけあったか知れない。
いわゆる児玉源太郎の借金二万円(現在でいう三億円)の大部分は、
この桂とのつながりにより負わされたといっても間違いはないだろう。
その桂、総理としての辞意をほのめかし、山県ら元老は後継首相を考えねばならなくなった時だ。
昨今、自らに反旗を掲げてか操縦不可になりつつある桂に、山県としても手を焼いていたため、
「児玉ではどうか」
と独り言のように呟いたのである。
先に台湾での治世が見事だった児玉は、軍人としても政治家としても評価はうなぎのぼりと言えた。
「良いね、児玉君なら」
伊藤が頷いた時に、山県は思いが声となっていたことに気付き、ハッとした。
己に悪戯することを生き甲斐にし、このごろはその悪戯に頭を痛めていた山県である。
この児玉を首相にしたならば、己が手で操縦できないばかりか、どんな悪戯で困らせられるか知ったものではない。
「おまえさんも俊輔も了承か。俺も児玉なら何一つ文句はないぞ」
井上馨も了承し、また松方正義はウムと頷いた。
この話は児玉の耳にも届き「首相くらいやってやるさ」とニタリとしている。
だが単に山県の心証を試すために、わざと辞意をほのめかした桂としてはとんでもないことだった。
「やっぱり閣下は僕よりも児玉の方を買っているのだね」
壮絶な冷笑を浮かばせ、この時「山県の目」を自分に向けさせるために、
桂は山県に逆らい続けることを明確に決意した。
わずかな嫉妬を児玉に寄せ、あえて自分を見ようとしない山県に対する思慕が憎悪となり、
桂は自らの力を確固たるものとし、いつか山県を越えるための算段に入る。
そう超えねばならないのだ。山県閥の総裁より上回る力を。
そうすれはいつかきっと山県は、この自分を認めてくれる。
「辞任は致しません」
こうして日露戦争は、桂首相のもとで迎えることになった。
憎もうとも、憎みぬこうとも、それは愛情の裏返しでしかない。
台湾総督児玉の右手とまで言われ、南満洲鉄道初代総裁、第二次桂内閣で逓信大臣を務めた後藤新平は、この桂の妄念に頭を抱えていた。
「山県さんに逆らって政党までつくろうとも、桂さん。それでは勝てない」
自らが政党を打ち上げれば、他の政党や貴族院などより党員が集まると楽観視している。
この手の話題に興味があろうと全く遠くにある自分に相談をされても困るといったものだ。
「それに相談するならば、山県閥の牙城の平田か大浦でなければ」
「平田は何があろうとも閣下一筋だよ。あえて首相にもならずに閣下の側近でいることに拘った男だからね」
扱いにくいとしか言いようがない。
しかも新党旗揚げに際して「諒解はするが、参加せず」と早速に断言した。
「大浦さんは」
「アレは加藤が加われば最期には一緒にいくよ」
昔から山県閥の官僚系の領袖と平田とともに言われながら、
山県が好ましく思わない加藤高明と大浦は仲が良かった。
「平田と田が動かなければ、貴族院は動かないのでは。桂さん……あまり思い切ったことは」
「なんとかなるよ。大丈夫大丈夫」
この時、医者上がりの後藤新平は何かよからぬものを悟った。
昔の桂ならば、こういうときはもっと吟味をしたはずだ。そして危ういと思えば裏から手を回す。
それがこの楽観視はどうしたことか。
後藤の目から見ても、貴族院は田と平田、または清浦に抑えられている。この山県閥の三人が動かねば……貴族院からの入党は期待できない。
政友会は西園寺総裁のもと、原敬が固めているゆえ牙城は揺らがないのだろう。
考えられるのは分裂の兆しが在る国民党くらいだ。だがそれほどの人数は見込めない。
今はあの伊藤博文が政友会をつくったときとは、時代が違うのだ。
「憎んで憎んで……超えたい壁で、だが足掻こうとも越えられない」
ゆえにさらに足掻いて足掻いて……桂は妄念のあまりおかしくなったのではないか。
後藤は危惧した。
「桂さん、あまり焦りなさるな」
「僕にはもう時間がないのだよ」
そう笑った桂は、この後ぞくにいう「桂新党」の設立に動くが、第三次桂内閣が崩壊し、政権を投げ出した。
この後、間もなく胃癌で逝く。
後藤は「癌に蝕まれていたか」と桂の奇妙な焦りを今となって納得した。
桂太郎の死を、あえて山県は冷笑をもって現したという。
日露戦争のおりの首相でありながらも、三大税などにより人気がなかった桂は国葬の沙汰もなかった。
「閣下、桂さんが……」
「逝ったか」
平田東助が椿山荘を訪ね、桂の死を山県に伝えた。
「アレも愚かな男だ。長生きすれば足掻かなくとも、私の力など全て手に入ったろうに」
晩年の権力に対する所以の要因を、山県は山県なりに承知していた。
「桂さんはおそらく閣下に認められたかったのでしょう」
「そうやも知れぬ」
「例え事実上閣下の後継者と目されようと、閣下が認めぬならば意味がない。桂さんはそれで……足掻かれた」
「私は後継など定めるつもりはない。この後継問題で昔苦しんだゆえのう」
かの高杉晋作が後継を奇兵隊を率いている己ではなく、山田顕義に指名した際、
どれだけ山田に軍略の才があろうとも、容易に受け入れられず、一時は山田を憎んだことすらあった。
またかの木戸が後継を口にせず逝った際、事実上の後継者だった伊藤は一種の疑心暗鬼にかかったのを見ている。
「東助、酒を二杯用意してくれぬか。アレがすきだったワインが良い」
「承知しました」
そっと立ち上がり庭を見つめ、「愚かよのう」とまたしても山県は口にする。
表立っては最期は己に逆らい続けた桂を、見せしめと山県閥の総裁としての立場として酷評せねばならないが、
山県本人はその死がもの哀しく、どうにもならぬ痛みとなって胸を貫いていた。
これで事実上も何も後継は消えた。この巨大化した山県閥を一人で背負う羽目となる。
内閣が倒壊し投げ出す前に単身訪れた桂の顔が浮かぶ。
『如何したか、首相』
雨が降る中、庭に立ったままで中に入ろうとはしなかった桂は、
『閣下、私はもういけないようです』
雨にぬられながら桂はいった。
『政党を画策し閣下に最期の最期まで歯向かいましたが、それも終わりです。閣下……私という人間がそれほどに目障りでしたか』
雨が滴るその顔は、まるで泣いているかのように頼りなかった。
『私は閣下に勝てない。閣下はどこまでも私を認めない』
それは何ゆえか、と見上げる瞳に山県は答えを返しはしなかった。
あれが最期の別れとなろうとは思いもしなかったが、今となっては桂は別れの挨拶に来たのだろう。
半世紀近く共にあった男の死を、今のみは悼む。
あの日、桂が立った庭を見つめながら、
「認めていたからこそ、だ。桂よ」
一言、山県は告げた。
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