ブログ明治政府関連一覧: 兎耳帽子の小人国親善大使?

― ⑦ ―

 ウサギ耳帽子をつけた「小人国親善大使」という肩書きを持つ木戸は、山県に連れられ内務省を訪れた。
「くれぐれも木戸さんをよろしくお頼みする」
 書類から一切目を離さぬ内務卿大久保利通に、くれぐれも、と木戸のことを頼み、
 念には念をきすため、二匹の猫を置いて、ポケットから木戸を取り出そうとすると、
「狂介。ちゃんと私を迎えにきてね。忘れていったら駄目だよ」
「私が貴兄を忘れるはずがない」
「分かっているけど、一応は言っておかないとね」
 クスクスと笑い、木戸は山県のポケットより這い出て、前髪にひょいと飛び乗った。
「髪にぶら下がるのはよしていただきたい。なかなかに痛いものがある」
「ちゃんと忘れずに迎えに来ておくれね」
「承知している」
 山県よりヒョイと大久保の机に置かれた木戸は、去りゆく山県に手をいつまでも振っていた。
「陸軍卿は貴公の保護者ですかな」
「……そうですね。私もこの姿の時は狂介がいないと不安になります」
「ほぅ」
「大久保さん。この小さくなった私を誰も木戸孝允とは思わず、ましてや摩訶不思議の生き物として怯え警戒したりするのですよ。山県は何一つ変わらず私を私として扱ってくれます。少しばかり過保護の度は増えているかもしれませんが、ありがたいことです」
「私も貴公を貴公として扱っていますが」
「えぇ。そうでなければここで私に仕事をさせようとは致しませんでしょう」
「……早速ですが、この案件です」
 大久保は書類を木戸に示し、木戸は机に置かれた書類に乗り上げて、一文字一文字、文字を追っていく。
「大久保さん。これは内務省に対する陳情のようですね」
「毎日投げ文を合わせれば数百の陳情がありましてね」
「全て貴殿の姿勢への批判です。少しは身の処し方を改めたら如何ですか」
「私は批判は受けようとも、改めるべきことは何一つありません」
「そのあり方が独裁者のように映るのでしょう」
「いつもおっしゃっていると思いますが、木戸さん。私の在り方に批判があるというならば、貴公が本気でやる気におなりなさい。長州の真の君臨者を私は首を長くして待っているのですよ」
「……おからかいが過ぎますよ」
 木戸はくすくすと笑った。
「本気ですよ。ただ君臨者となるおつもりがないならば、私の姿勢に口をお出しにならないように」
 今、私が独裁者と呼ばれ君臨し、強硬なまでに政策を推し進め非難をかおうとも、
 全てが整ったならば、いつかこの国一国を貴公にお返しする。
 その後は美しいまでの「理想」
を持つ貴公が、思いのままに国を設えればいい。
「……大久保さん。この書類は議場の判断を」
「よろしい。そのようなことをしている暇はありません」
「貴殿はそうしていつも議場にはからず、独断で裁決しているのですね」
「その方が早い」
「議場との協調性は皆無と」
「事後報告は回しています」
「あくまでも事後……」
 木戸は机より脚を伝ってヒョロヒョロと床に下り、四寸の背丈で大久保を睨みすえる。
「貴殿の独裁者ぶりにあきれ果てました」
「それでこの国は持っているのですよ」
「えぇ。でも私は独裁者は認めません」
「協調性で何ができますかな。あの江藤の構想では何一つまとまらず、ついには崩壊したではありませんか」
「貴殿に協力する気がないからでしょう」
「人のせいにするのはよろしくありませんな」
「貴殿が……もう少し周りの意見を取り入れて」
「必要がありません」
「…………」
 木戸の目にギラリとした不穏なものがよぎった。
「そうして貴殿はいつもいつも……」
「そのお姿で睨み据えられても、全く怖くも痛くもありませんな」
「そうですか」
 そこで木戸はにこりと笑った。
「そうですね」
 自らの四寸の姿を見回し、ついクスクスと笑う。
「このお姿では短刀ももてない。手当たり次第貴殿にものを投げつけられることもない。非常にけっこうなことです」
「そうですか」
 にこにこと木戸が笑い続けたので、「おや?」と大久保はなにか怪訝に思ったらしい。
「ではこうしましょう」
 両手を合わせ「ポン」と手を打ったその時、
 木戸は元に戻った姿を見回し、大久保ににっこりとした笑みを見せた刹那、椅子より大久保は立ち上がった。
「大久保さん」
 縮んでいた短刀も元に戻っている。鞘を愛しげに見つめ、それを抜いた瞬間、大久保は見事な逃げを打った。
「おや、逃げる判断も早いですね」
 走りながら大久保は叫ぶ。
「刃傷沙汰は好みません」
「私が内匠守ならば、間違いなく貴殿の額だけではなく咽喉を刺し貫いていますよ」
「遠慮します」
「待ちなさい、大久保さん」
「私は死にたくありません」
 いつものように廟堂の廊下を駆け巡る「明治の夫婦」
 大久保は冷然とした姿のまま表情を何一つ変えず、必死に駆けるのに際し、
 木戸は見事なまでに颯爽と風を切るようにかけて、大久保の襟首に手をかけようとする。
「私に叩かれなさい」
「死にたくはありません」
 そこへ書類を抱えた伊藤が通りかかり、首を横にひねった。
「あれぇ。木戸さん、今日は病気欠席ではなかったのですか」
 それに何でウサギ耳帽子?
 その伊藤の傍らを通り抜け、木戸と大久保の追いかけっこは続き、ついには木戸が大久保の襟首を掴み、
「お覚悟を」
「暴力で独裁は終わりませんよ」
「これは私の気晴らしです」
 短刀を鞘のままに、大久保に突きつけ、ポカポカと叩きつけた。
 大久保はそのままバタリと意識を失い、木戸はニコニコと満足げに笑う。
 長年叩きつけられている大久保はなれになれ、今では意識を失おうともすぐに立ち直るしぶとさを持ち合わせていた。
「……あっ……時間」
 元に戻れる半時(一時間)は終わり、木戸はその場でウサギ耳帽子の四寸小人に戻っていた。
 そこに黒猫の三鷹と三毛猫の崇月がサッと駆け寄る。
「三鷹ちゃん」
 木戸はすぐさま三鷹の背に乗り、そのまま三鷹と崇月は木戸を乗せてその場より駆け去る。
 書類を抱えたままその場に現れた伊藤は、意識を失って倒れている大久保を見つめ、
「あれぇ木戸さんは?」
 きょろきょろ周囲をみまわし、ふぅーとため息をついた。
「まぁ仕方ないか」
 と、大久保を起こす気皆無のこの伊藤は、口笛を吹きつつ退散する。



― ⑧ ―

 黒猫三鷹の背に乗った木戸は、ただギュッとしがみつくしかなかった。
「三鷹ちゃん、どこにいくのだい」
 三鷹は立ち止ることなく廟堂を駆け巡り、すぐさま外に出た。傍らには夫の「廟堂の守護猫」が同じ速度で翔ける。
 あまりの速さに木戸は目がクラクラしてきていた。
 四寸に縮んだときはよく猫の背に乗るが、これほどの速度は慣れてはいない。
「三鷹ちゃん、三鷹ちゃん。目が……このままだと落ちてしまう」
 体を倒してギュッとしがみつくことしばし、三鷹はようやく止まり、崇月がぺろぺろと木戸の顔を舐める。
「くすぐったい」
 なかなかの恐怖にゼハゼハ呼吸を荒げている木戸の前に、
「いかがされた」
 そっと屈んで木戸の体を掌に乗せたのは先ほど別れたばかりの山県だった。
「狂介」
「なにかあればここに駆け込むよう猫には言っておいたが……なにがあった」
 走りこんで相当に疲れたのか三鷹はその場に丸くなり、崇月が心配なのか寄り添って「にゃあ」と鳴いている。
「えと……そんな大事なことは」
「猫は私の言葉をたがえはしない」
 別名「猫使い」の山県は、三鷹を使役しているとも言われている。
 猫の言葉を分かり、猫に命令をする能力があるというか真偽は不明だ。ただ山県の家は「猫憑き」らしく、代々猫を祀ってはいる。
「……狂介。あのね」
「はい」
 木戸はよちよちと山県の手からネクタイに飛び乗り、それを登って、いつもの自分の場所にたどり着いた。
 ポケットにストンと入ると妙に落ち着く。
「ポンとして一時元に戻ったのだけど……いつものことだけど……」
「いつも?」
「大久保さんについ苛立って……」
 見上げる山県の眉間がピクリと動いた。
「ポンと元に戻って、ついつい……短刀で追い回して」
「貴兄、今は病欠になっているのをお忘れか」
「うん。見事なまでに忘れていて、運が悪いことに俊輔ともばったりとね」
「貴兄は……」
 山県は眉間を押さえ、木戸を少しばかり瞳を細めて見据える。
「……いつものことだけど、あの独裁的な考え。ついでに議場を事後報告ですむ場と考えているところが許せたなくて」
「追いまわし、いつものように短刀で大久保を気絶させたというとこか」
「……気絶させました」
「明日から病欠をどういいかえるか考えるのが、これからの貴兄の役目だ」
「いいよ。大久保さんと議論をして疲れきり、いつもながら苛立って熱がさらに高くなったということにすればいい」
「……昔ならばそんな嘘を決して言われる方ではなかった。随分と悪い方に変わられた」
「本当に苛立ったのだから。大久保さんはこの頃私を見ると真っ先に逃げたりするし」
「それほど貴兄は大久保を追いかけているということにもなる」
「私にも気分転換の一つや二つは許されてもいいと思うのだよ」
「逞しくなったものだ」
 と、山県は木戸をポケットより取り出し、用意させた布でふわふわとなっている菓子籠の中にいれる。
「狂介!」
「お疲れだろう。そこでお休みになるといい」
「私はおまえのポケットの方がよいのだよ」
「……私のマスコットなどといわれたくはなかろう」
「別にいいのだけど」
「よろしくない」
 そのまま山県は身を翻すので、木戸は「よいしょ」と菓子籠より飛び出し、
「どこにいくの? 私をここに置いていくのかい」
「猫たちを置いていく。数刻後には戻るゆえ休まれるといい」
「おまえと一緒にいく」
 東吾は笑いながら言っていた。体が縮む時にどうやら副作用で心も幾ばくか幼くなっているようだ、と。
 それを示すように、妙に木戸は山県から離れると不安でならなくなる。
「いっしょがいい」
 無視して歩く山県の背後をトコトコと必死に追いかける。
 途中でトテンと転ぶと、気付いた崇月が駆け寄って顔を舐めてくれるが、鼻の上あたりをわずかにすりむいていた。
「言わぬことではない」
 山県は引き返し、木戸の体をつまんでポケットに入れてくれた。
「きょうすけ……」
「はい」
「マスコットをしているよ。このまま寝ているから……置いていかないで」
「貴兄はこの姿になると妙に幼く、素直で、逆に私は心配となるのだが」
「狂介……」
「お望みのままに」
 ぺちり、と山県は人形用の傷あてを木戸の顔にはった。
 そのまま山県陸軍卿は、すやすやと眠りはじめた木戸をポケットに入れて陸軍の会議に参加。
 時々寝言で「おおくぼさん……かくご」などと呟く木戸を、誰もが必死で無視していた。



― ⑨ ―

 目を覚ましたその時は、陸軍卿室の菓子籠の中にいた。
「うーん……きょうすけ……」
 目をこすってヒョイと菓子籠に乗り上げて、飛び降りる。
「目覚められたか」
「狂介」
 求める存在を見つけて木戸は机の脚にしがみつき「よいしょよいしょ」とそれをよじ登っていく。
 ジーッと見ていた山県だったが、木登り同様に机によじ登る姿も可愛かったので、手出しはしなかった。
 あまりに過保護にしすぎると木戸は面白くないようで、少しだけ沈むことを山県は心得ている。 「狂介!」
 机にのぼりきり、はぁはぁと木戸は肩で息をしている。相当の運動量だったらしい。
 とりあえず木戸が落ち着くのを待つため、筆を握った山県だったが、それをキッと睨んできた。
「いかがされた」
 木戸とは思えぬ剣呑な風情に山県はわずかに息を飲む。
「私はおまえのポケットの中で寝ているつもりだったのだよ」
「…………」
「それが起きたら、そこに寝かされているし」
「………このポケットの中より菓子籠の中の方が窮屈ではあるまい」
「窮屈とかそういう問題ではない」
 木戸は机の上でバタバタ地団駄を踏むので、かなり山県は驚き右手を木戸のもとに差し出す。
「落ち着いていただきたい」
「これが落ち着いていられるかい。もし私がずっと寝たままで緊急の会議とか入ったらおまえは私をそのまま菓子籠に置いていっただろう」
「………」
「起きたら私はおまえを探す。おいていかれたと思うと理由が分からなくて……哀しくなる」
「木戸さん」
「置いていかれるのは嫌だよ」
 極度に「置き去り」が怖いようだ。
 かつてこの四寸ほどに縮んだときに「人形が喋る」と伊藤が怯えて振り払った記憶が根強く、
 自分は「摩訶不思議な生き物」
 もし知らない人に捕まったら「見世物小屋」に売られる、と本気で思っているらしい。
「……悪かった」
 菓子籠の中に寝かせるべきではなかった。窮屈であろうと木戸にはポケットの中の方が安心するのだ。
「……うん。おまえは良かれと思ってしてくれたのだけど、私は……。この姿だから一人にされるのは怖いから」
 差し出した手にようやく飛び乗った木戸を、よしよしと人差し指で撫ぜる。
「ねぇ狂介」
「はい」
「私の兔耳帽子は?」
 山県は内ポケットに入れていたそれを取り出し、木戸の頭に被せた。
「これがないと落ち着かれぬか」
「よく転んだり、頭をぶつけたりするから。この帽子ね。よくよく綿が詰められていて……安心なのだよ」
 ウサギ耳帽子を頭に馴染ませて、ようやく木戸はにこにこと笑った。
「狂介、ポケットの中がいい」
「どこに出る予定もないのだ。わざわざ窮屈になるポケットに入ることもない」
「……少し疲れたのだよ」
「机をよじ登るのはよい運動のようだ」
「そうそれ。それで疲れてしまってね……。少し眠りたい」
 ぴょんとネクタイに飛びつき、それからよじのぼって背広のポケットに入ろうとした。
「いつのまにか貴兄はこのポケットの中が気に入ったようだ」
「人間がポケットの中に入るなんて……経験できるものはほとんどいないと思うし」
「然様か」
 というより木戸以外いないのではないか。
「おまえのポケットの中は温かくて心地よくて……大好きだよ」
 真顔でにっこり言われ、思わず山県は自らの気を緩めた。
「ではここで寝ておられるといい」
「うん。ここだと置いていかれる心配がないから本当に安心だよ」
 ポケットにすとんと入り、すぐに木戸はうつらうつら船をこぎはじめた。
 座ったまま寝るのは特技でもあるだろうが、どうして窮屈なこの場所で眠れるのか……山県には疑問もある。
「……ま……ちなさい。おおくぼさん……」
 そして寝言はまた大久保を追いかけている夢らしい。
 今からこんなに寝ていては夜は目が冴えて眠れまい。
 おそらく木戸は本日は友子の餌食になるだろうな、と山県は幾ばくかあわれに思い、
 やはり起こそうとウサギ耳を軽く揺らしたが、相当に疲れたらしく木戸はスヤスヤと眠ったまま微動だにしなくなった。



― ⑩ ―

 現在四寸のまさに人形になっている木戸は、ふと自らの異変にありありと気づいた。
「きょうすけ」
 今は机の上で筆を持って字の練習をしている木戸なのだが、
「いかがされた?」
 同じく書類に筆を走らせていた山県が、心持ち顔をあげた。
「文字書きも疲れられたか。そろそろ休まれてはどうか」
「それはなんともないのだけど」
 木戸はポテッと筆を下ろし、トコトコと山県の筆を持つ手に乗りかかる。
「わたしはとてもおかしいのだよ」
「……おかしい? 今の現状からして天変地異に等しいおかしいことではないかと」
「そんなことはないよ。ちびちびにはよくなることだし」
「間違われないことだ。よくなるのは貴兄だけである」
「そういうおかしいじゃなくて……なんていうのかな」
 山県の指にちょっと縋りつくと、眉を僅かにひそめた山県は木戸の体を掴み、そのまま肩に乗せた。
「声が少しばかり遠いので。この方がよろしいかと」
 耳たぶにかけられている山県の髪を見て、無性に木戸はぶら下がりたくなった。
「ぶら下がるのは駄目だ。なかなかに重い」
「一度だけ。一度だけだから」
「駄目だ」
 しょぼんとなった木戸は、そのまま未練がましく髪を見つめたままでいた。
「やはりおかしいのだよ」
「何がだ」
「よいかい。いつもの私ならおまえの髪にぶら下がって遊びたいとは思わない。そればかりかネクタイに引っ付いたりおまえの肩もとから滑り落ちたら楽しいとか……それから」
「貴兄は……」
「なによりもきょうすけ。私はいつもよりゆっくりとはなしているのだよ」
「………?」
「こうしないとよく発音ができじゅ舌足らじゅな……あぁぁ! やっぱり舌足らずになる」
「……貴兄」
「まだあるのだよ。なんというか……昨日まではそうじゃなかったのに、今はおまえとひっちゅいていないと安心しない」
 山県の首元にしがみついて、
「ギュっとしていないと安心しないの。みょうにさびしくなって、かなしくなって。きょうすけ……」
「……帰りに飯田町に寄るとしよう。あの医者に質さねばならないことがある」
「うん……」
「引っ付いていたいならばポケットの中で今日は過ごされるといい」
「駄目だよ。これから……大久保さんのところにいかないと」
「その状態で行かれるおつもりか」
「約束だしね」
 肩元より「よいしょよいしょ」と降りていき、最後は「とぅー」と机に飛び降りる。 「危ない」
「狂介、楽しい」
 木戸はにこにこと笑い、もう一度しようかな、と山県の目をジーっと見た。 「危ないことは推奨しない。ついでにそろそろ内務省に訪れる時間だ。参ろうか」
「……面白かったのに」
「怪我をしたらいかがする」
 山県は木戸の襟首を掴み、再びポケットに戻す。木戸は顔と両手を出して、
「過保護」
「貴兄が危ういことばかりをされるのが悪い」
「狂介の心配性。過保護で……」
「それは貴兄ゆえ」
 山県が立ち上がったので、少しだけくらりと体が揺れた。
 見事なまでに姿勢正しく歩く山県ゆえに、ポケットに入っている木戸には負担はそれほどないのだが、
 一度かがんだときに落とされそうになりギュっとしがみついたことがあった。油断はならないのだ。
「夕刻前にはむかえに参るゆえ」
「うん……わしゅれていかないでね」
「もちろんだ」
 そうして内務省を訪れ、木戸と山県に付き従っている猫二匹を置いて、山県は去っていった。
 離される瞬間ズキリと胸が痛み、ポケットから出たくなくて「いやいや」をしてしまいそうになった自分が不思議である。
 自分はどうしてしまったのだろう。
 やはり今日はいつもと比較してもおかしい……。



― ⑪ ―

「今日は気がそぞろですね」
 大久保は書類の前にポテッと座り、五分ごとに時計を見る木戸に怪訝な目を向けた。
「大久保さん。今日の時計のまわりは遅くありませんか?」
「貴公がこの書類にまったく集中していないからと思われますが」
「………私がなにを言おうとこの書類にしゃいんをするのでしょう」
「しゃいん?」
「サインです。聞き違えないでください」
「……貴公、本日はどこかおかしいですね」
「……私もそう思います」
 重い吐息をつき、木戸はまた時計を見やった。
「どのような理由で時計が気になるのですか」
「……笑わないでくださいね」
 木戸がかぶっているウサギ耳の耳が一瞬だけひょろんと垂れた。
「笑いません」
「……さびしいのです」
「はぁ?」
「早くきょうすけが迎えに来ないかな、と。いつになったら迎えに来るのだろう。なんだか寂しくて寒いのです」
「陸軍卿はすっかり貴公の保護者と見受けられます」
「そうでしょうかね……保護者だから……アレがいないと寂しくて……寒くて」
「寒いといわれるなら……ここに入っておられなさい。陸軍卿と同じです」
 大久保は木戸の襟首を掴む。
「なにをされますか」
 木戸がばたばたと暴れる間に、ポテッと大久保は自分の腹部についているポケットの木戸を押し込んだ。
 それは山県のポケットよりも深く、木戸は顔を出すのがようやくだ。
「いかがでしょうか」
「出してください」
「寝ていてもよろしいのですが」
「眠るのは狂介のポケットときめていましゅ。ここは居心地が悪い」
「貴公もいろいろな意味で失礼な方ですね」
「大久保さんの方がずっとしちゅれいです」
 木戸はバタバタと暴れたので、大久保は仕方ないとばかりにポケットより出した。
「ここはあんしんできません。狂介のところにかえりましゅ」
「貴公……認識されているか分からぬが、随分と発音と精神年齢がおかしくなっているが」
「わたしもしっております」
 机の脚をひょろひょろと伝って下り、木戸はソファーに寝転がっている三鷹のもとにたつ。
「三鷹ちゃん。陸軍省にかえりたいの」
 にゃあと鳴いた三鷹は、ソファーより飛び降り、木戸に背中を示す。
 すぐさま木戸はそれにひょいと飛び乗った。
「大久保さん。わたしはしばらく本当に機能しなくなりました。ここには……こないことにします」
「職場放棄とみなし訴えますよ」
「私はげんじゃい病気中です。こんな姿の私に仕事をさせようとした貴殿こそ鬼でしゅ」
「……よくも言われましたな」
「言いました。ここでもとの姿に戻って追いかけられたいですか」
 にっこりと笑った木戸に、見事なまでに大久保は弱味をつかれ二の句が告げられない。
「刀をもって追いかけるのは危険なので、狂介から十手を預かったんでしゅけど、本日はやめときますね」
「……それは打ち所が悪かったらあの世いきだと思うのですが」
「さぁ」
「貴公、性格が変わっておられますよ」
「ちびちびだからですよ。では大久保さん、失礼いたしました」
 三鷹に乗り、横には崇月が守るように寄り添って、  木戸はまた電光石火の三鷹の走りに目を回しながらも、無事陸軍省に戻った。
 陸軍卿室にはめがねをかけて仕事モードになっている山県が、書類と格闘している。
「狂介」
「いかがされた?」
「もどってきたの」
 三鷹よりおり、木戸は山県のもとに駆けよろうとしてポテッと転ぶ。
「貴兄は……」
 慌てた山県がすぐさま駆けつけ、木戸の体をそっと右手で掴み、顔などを点検した。
「走られないように。生傷がたえない」
「狂介……やっぱり私は今日は寂しい。悲しいよ」
 山県はそっと木戸の頭をなで、そのままポケットに入れた。
「怪我がなくてよかった。このまま退庁時刻までここで休んでおられるといい」
「うん……。寝ているね」
 山県のポケットが一番入るのにちょうどいい。
 山県のポケットはあたたかく、山県の心音も聞こえて木戸はとても安心する。
「きょうはとってもとっても寂しいの」
「然様か」
「でもおまえがいれば寂しくないよ」
 その一言がツボにでも入ったらしく、また山県はよしよしと木戸の頭を撫ぜた。
「これからは大久保さんのところもいくのをやめるね。ずっとおまえのポケットにいるよ」
 山県は机の上においてあるビスケットを一枚木戸に渡す。
 両手で抱えた木戸は、ポケットの中ではむはむと食べ、それが終えたころ……疲れたのか寝てしまっていた。
 山県はその姿を見つつ書類に筆を走らせ、ふと気付いたように木戸の頭を人差し指で撫ぜた。



― ⑫ ―

 その日の帰りに、飯田町の例の医者のもとに立ちよると、
「良いところに参られた。薬ができている」
 山県としては思わずホッとする言葉だった。
 本日もいろいろと駆け廻り、疲れたのだろう。木戸は山県のポケットの中で船を漕いでいる。
「ところで陸軍卿」
 頭をポンポンと叩いても、木戸は目を覚ましはしない。ポケットから取り出し左の掌に置いて、頬を撫ぜ撫ぜしてみた。
「……なんだ」
「木戸さんだが、おかしな副作用はなかったかな」
 山県はわずかに首をひねる。
 若干性格や行動、口調が子ども帰りにするのはいつものことだが、本日に限ってはそのいつもより過剰だったことに思い至った。
 そのことを簡単に医者に話すと、
「あぁ、そのことは気にすることはない。今回の薬は日が経つにつれ、子ども帰りが進むようにしてあった。このまま行くと、あと十日ほどで幼児なみになる」
「……はた迷惑な薬だ」
「別段、木戸さんに飲ませるために作った薬ではない。今回は手違いだ」
 おそらくあの甥っこを実験台にするつもりだったのだろうが、それにしても悪趣味だ。四寸ほどに体を縮ませ、挙動まで幼児に逆戻りさせようとは。
(………!)
 一見、はた迷惑な薬でも、いざ陸軍には役に立つのではないか。
 万が一、他国と戦争が勃発した折、この飴を相手国に何かのルートを使って巻いてしまえば……。
「陸軍に提供するつもりはないよ」
 山県の心底を見抜くかのような言葉が飛んできた。
「しかもこんな不思議な飴について、受け入れる人間など長州閥のみだ」
「……そうでもあるまい」
「かつてより摩訶不思議に慣れているゆえに、未だに体が縮もうが静観していられる。慣れとは怖いものだ。いつしか長州の人間は、不思議にも驚かなくなってきている」
「………」
「陸軍卿、もしも人が空を飛んだとしても、そなたならば不思議がるまい」
「それは驚く」
「……他国への空の攻撃が可能となったと喜ばれよう」
 見事な図星を突く医者だ。ゆえに昔からこの医者が山県は苦手なのである。
 医者は山県の手のひらで眠る木戸の肩を揺さぶった。
「う……ん」
 木戸は目をこすり、うっすらと目を開け「東吾さん」とにっこりと笑った。
「木戸さん用に小さな飴をご用意しました。これを舐めるといいですよ」
 飴を受け取り、ふと木戸は山県の顔を見た。
「いかがされた」
 飯台の上に立った木戸は、ジーっと山県の顔を見て、そして飴もジーっと見る。
「……飴を舐めると、わたしはもとのしゅがたに戻りますか」
「すぐに戻ることができます」
「……ちびちびも……たのしかった……」
 と言い、
「もうしゅこし、ちびちびでいてもいいかなぁと」
「木戸さん……」
「きょうしゅけのポケットの中にいるのも……たのしかったし……だから……」
 一日の小半時でも元に戻ることができることもあり、木戸はさして今回の「ちびちび化」には苦労していなかったようだ。
 そればかりかこの好奇心の権化は、猫や犬や鳥に乗り遊ぶのが楽しくてならなかったらしい。
「貴兄、やはり心まで幼くなっているようだ。いつもの貴兄ならばそのようなこと……」
「それにこのままいけば、さんぎのじひょうも……」
「大久保はそれほど甘くはない」
「いまのわたしではさんぎのしごとはできないし、これをりゆうにさんぎじひょうにもっていけばいいんだよ」
 木戸としては珍しいほどの悪巧みのようだ。
 だがこれ以上は、「ちびちび化」した木戸に振り回されたくはないと考える山県は、小さな飴を手に取り、無理やり木戸の口の中に入れた。
「きょう……きょうしゅけ」
「ちびちびの貴兄も可愛いが……」
 とてつもなく可愛く、ついつい世話を焼いてしまうほどではあるが、
「いつもの凛とした貴兄に戻っていただきたい」
 飴を吐きださないように口を抑えると、ついには観念したのか。木戸は飴をなめはじめた。
「……たまにならばちびぢびになってもよい。私が面倒を見よう。だがこれより毎日は、猫と衝突しないか鳥より落ちないか、そんな心配を毎日せねばならぬのは遠慮する」
 こうして木戸は無事にもとの姿に戻り、翌日からは内務卿に「たまりにたまった仕事の決済を」と求められ、廟堂より一歩も出られない立場になった。
 その中で、木戸はふと夢想するかのように、
「ちびちびになりたい」
 などと言いだし、鳥や猫を見ては、その背に乗って冒険に行くことをも夢想する。
「たまにの息抜きにしていただきたい」
 山県はそんな木戸に何度も忠告するが、木戸の夢想は止まることは知らず、近いうちにまた「ちびちび化」するのではないかと警戒をしている。
 木戸はと言うと、例の兎帽子を机の引きだしに大切に保管をしていたりする。
 さて、次なる木戸公のちびちび化はいつか。



― 外伝 ―

「さぁさぁそこ行く物見高い諸君。寄ってらっしゃい見てらっしゃい。
 本日はなんと今はやりのウサギを紹介だ。あの並んでも手に入らない高級ウサギ。
 それも摩訶不思議。世にも不思議な……手乗りウサギ。ウサギはウサギでも、人間のウサギだよ」
 ハッと目が覚めると、なぜか木戸は井上馨の手の中にあり、そして大勢の人垣に囲まれていた。
「な……なに? どうしたの? 聞多」
「この通りウサギはウサギでも、耳はウサギ耳帽子をつけた人間なのさ」
 おぅぅぅぅ、と驚きの声があがり、木戸はエッ?ときょろきょろと周囲をみまわす。
「いいかい、皆さん。ウサギは最初は小さくても徐々に大きくなって、最後は猫なみだ。しかもけっこう誇り高く人間様にはなかなかに懐かん。 なによりもかじるかじる。そこらのコードをかじってかじって電気が使えんことになることしぎりだ」
 コード? 電気? 木戸は聞きなれない言葉に思いっきり首をひねった。
 周りからはうむうむと大勢の人が頷いている。
「驚きすぎて家出することも多い」
 ……自分はいったいどうしてしまったのだろう。
 これでは見世物小屋の出し物に等しいのでは……。
 そこで木戸はハッとした。
 見世物小屋で井上馨ときたら……。
「聞多。嫌だよ。私を商売道具にしないでほしい」
「そこらのウサギと違って、このウサギは大きくならん。こうして人様の言葉もしゃべり、けっこう誇り高いが人懐こいときていやがる。
 なによりも……だ。ウサギは寂しいと死んでしまう生き物だというが、実は懐かなくて人間様の方がかまってくれ~と寂しいことが多いんだよな」
 見上げると井上馨はニタリと笑った。勝ち誇ったときの井上の顔である。
「このウサギは人にかまってくれないとシュンとなる。そればかりか……合図として耳が垂れる。人恋しいって懐いて寄ってくるから寂しくなどない」
「も……聞多」
「どうだい、このウサギ。特別価格で……」
「聞多。友達を売り払う気かい」
「世に一匹いるか知れないウサギだ。今日だけの奉仕物……いいかい。このウサギが……」
「聞多!」
 身の危険を感じ木戸は屈んで井上の指をガブッとかじったそのとき。
「なにをするんだあぁぁ桂さんよぅ」
 目がパチリと開いた。
 エッ? ときょろきょろと周囲を見ると、なじんだ陸軍卿室である。
 そして自分は井上の手の中にあり、今、ガジッと指を噛んでいる只中だった。
「えっ……」
「えっ?じゃないぞ。突然叫んで指をガジッてなんだ? 絶対に歯型がついているぞ。いや血が出ている。離してくれよぅ」
 木戸はいまだに訳が分からずきょろきょろと周囲を見回すと、山県が書類を真剣な目をして睨んでいる姿があった。
 あぁ今まで自分は夢を見ていたのか。
 夢にしてはあまりにもリアルで、なおかつ現実味がありすぎて……。
 木戸は井上の顔を見つめ、
 一度は指を離したが、もう一度木戸はガブッとかじった。
「か……桂さんよ。い、痛いぞ」
「私を見世物小屋で売ろうとするからだよ」
「なんだなんだ? 売ってないじゃないか」
「聞多なら大金を詰まれると分からないから」
「……それは仮定の話だろう? 頼む。離してくれ。痛い」
「私を摩訶不思議な生き物とかいって人をあおって売りつけようとして……」
「だからそれは夢だろうが! 俺様は無実だぁぁぁ」
 さらに木戸はガブガブと井上の指をかじり、ついには井上は悲鳴をあげた。
「た……助けてくれ山県」
 ツイっと顔をあげた山県はと言えば、
「たまには貴殿には良い灸だ」
「この……友達甲斐のない奴め」
「間違われるな。貴殿は知人であって友人ではない」
「薄情もの~~」
 そうして山県は無視を決め込み、木戸は気が済むまで井上の指をガジッと噛み続け、
 ようやく離れて、トコトコと机の脚をのぼり、山県のポケットに戻ったとき、
 井上はおいおい泣きながら、
「こんな凶暴なウサギ売れるか~~」
 木戸はにこりと笑って、山県のポケットで目を閉じた。
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  • 【まとめ】 2013年1月17日
  • 【備考】 連載物収録