11章
宮城近くの麹町に、赤レンガが一際人の目を引く建物がある。
およそ三年前に建てられて以来、未だこの国には珍しきレンガの色彩は、人の目には強烈な印象を与え続けていた。英国公使館である。
もとより幕末のおりの安政の五カ国条約により条約国として英国は、いち早く日本に大使館を置いた。
始めは品川の東禅寺に設けられた。次いで横浜。御殿山に新築中であった公使館は、無残にも長州藩の若手攘夷派志士による焼き討ちにあい、泉岳寺、また横浜にと流転を余儀なくされている。
明治に入り、全権公使たるサー・ハリー・パークスは、国の中心たる東京に公使館が建てられることを望み、
薩長を中心とする明治政府は、かつては敵対したこともある英国だが、戦争により歩み寄り、倒幕の際は多大な借りを作るはめになったことが要因し、宮城に近きこのこの麹町四丁目を永久貸借地とし、英国公使館建設となった。
現在の大使館前の桜並木は、明治三十年に公使アーネスト・サトウにより親善の証として植林され、数を増やし現在に到っている。
「………」
馬車から降り立った木戸は、赤レンガに視線を奪われた。
いつ見ても人を圧倒するこの赤レンガの強烈な印象。だが同時に柔らかさと優しさをも与える外構は、周囲と均衡を見事に成し遂げている。
だが、馴染んではいないのだ。
かの岩倉使節団の副使として、欧米諸国を回っていたおりは、自然と目に入ってきたレンガだが、
この帝都東京……しかも宮城の傍近くにそびえると、妙に存在を主張しているようで……一見して孤立さを際立たせる。
木戸は周囲を見回し、小さく感想を漏らした。
「周囲に花でもあれば……また違った風情として見れるのかもしれない」
そう宮城周囲と調和するためには桜の花が良いのではないか。
春になればこの英国大使館周囲を彩らせる桜道。人は桜の淡さと赤レンガの鮮やかさの絶妙な調和に目を留めるのではないか。
日英の友好の証ともなろう、桜は。
らちもないこと……と木戸はわずかに自嘲の笑みを漏らした。
大久保内務卿の要請により、本人は辞職したつもりの参議として舞踏会に出席することになった木戸は、この日は白の燕尾服をそつなく着こなし、颯爽と歩く。
本人の感情的には「窮屈」といえようか。
生まれた時より着用してきた羽織袴がやはり身に馴染む。家では着流しで、上に羽織をかけているのがいちばんに寛げた。
洋装も慣れれば中々な着心地であり、気楽さも感じられはしたが、身に染み付いた慣れに勝るものはないようだ。
赤レンガ彩る公使館を見つつ思わずもれる吐息はかなり重い。
舞踏会や晩餐会はとかく避けがちな木戸が、役目と地位上仕方なく出席するときは、一刻も早く終わることをたいていは願う。
だが今宵の舞踏会は、普段とは違う思持ちを木戸の心に与えていた。
……蝶次。
ここ数日、脳裏から消えないこの名と、目の前に浮かぶ笑顔が苦手な少年の顔。
英国公使館襲撃予告状をあえて警視庁に投石し、宛名を「桂小五郎殿」と書かれたその真意を、木戸は知らねばならない。
あの予告状は「慟哭」でもあった。
……ここにある。自分は生きてここに在る。
辞表を提出し、明治政府からは一線を引こうと誓ったその身をも動かすほどに、「蝶次」という名は、木戸には計り知れないほどに重い。
「お越しいただき恐悦至極に存じます」
公使館前で恭しく一礼をし木戸を迎えた内務卿大久保利通。型どおりの一礼をして後に鋭く木戸はにらみつけた。
「私は当然の権利を貴公に求めただけですがね」
木戸はふぅーと小さく息を吐き、大久保に見下ろされるのは癪だとばかりに階段を登り、並ぶ。
「貴公には白がよく似合う」
「貴殿にも黒が似合いますよ」
あえてにっこりと木戸は笑いつつ、心の中で「黒そのものの男だ」と冷たく言い捨てていた。
今日の大久保は仏蘭西の服飾店で購入した黒の燕尾服を型どおりに身につけている。
この燕尾服を注文した際に「貴公も色違いで如何ですか」と聞かれ、木戸は丁重に断った記憶があった。
木戸には白と黒の燕尾服がある。なぜか伊藤が横浜の服飾店に注文しており、長州閥の後輩より連名で贈られていたからだ。
『人に服を贈る意味を、おまえたちは知っているのかな』
後輩たちは首を傾げたが、木戸はありがとうと微笑んで受け取った。
もしも反対に後輩に服を贈る行為ならば、それは「意志を引き継いでください」という託す思いがある。
木戸自身かつて周布より一張羅の羽織袴をぞんざいに渡されたことがあった。
「今宵の貴公は実に美しい。私の対の長州の首魁には適度です」
「貴殿に合わせたつもりは皆無なのであしからず」
「木戸さん」
「なんでしょうか、大久保卿」
「貴公、探偵など摩訶不思議なことをされ唯一つの収穫は……強くなられたことですね」
「……ほう。それは考えたこともありませんでした。例えばどのように」
大久保はその口元に冷たき笑みを乗せ、本日吉富と井上が二人がかりでセットした木戸の柔らかな髪を一房つまみ、
「憂いを含んだ儚げな瞳ではなく、このように真っ直ぐ覇気ある目で私を見据えてくる。桂小五郎の名が今ではよく似合いです」
間髪いれずにその手を振り払い、木戸は一段階段を登る。
「私には今貴殿と戯れている暇はありません」
「それほどに蝶次という名の男が気になりますかな。妬けますな」
「大久保さん」
木戸はわずかにふるふると震わせた手を背後にまわし、
「公使夫人がお待ちでしょう。御託を並べるよりも先を急ぎましょう」
「貴公……数年前と比較するとほんに強くなった。あの儚げな麗しの長州の首魁殿はどこにいったのやら」
「叩きのめされたいですか」
「妻と子どもを置いてまだ地獄に赴くわけにはいきませんので」
何から何まで沈着冷静であり顔色一つ変えずに返してくるこの薩摩の男が、時折愛刀で叩きのめしたいほどに憎くてならない。
「おいおい。おいよ。夫婦よろしく痴話喧嘩はやめてくれよな」
階段下には、呆れた顔をして腕を組みパイプを咥える井上馨の姿がある。
「聞多も呼ばれていたのかい。なら一緒の馬車に乗ればよかったのに」
迎えの馬車が事務所前についた際、井上はひらひらと手を振っていた。
見送ってくれているとばかり木戸は思っていたのだが。
「だぁれがあぁんな高級な馬車の乗れるか。俺様はそこらの三流の馬車が似合いさ」
もと政府高級官僚の言葉とは思えぬ一言である。
井上はいつもよりは上等な背広を着込んでいるが、礼服ではない。しかもネクタイは緩め、シャツの釦は上三つ外したまま。横浜で購入した
「金を呼ぶ」というネックレスをつけて……言うならば現代風どこぞの『ヤ』がつく人の成れの果てのような格好だ。だが実によく似合っている。
「も……聞多……」
「なんだなんだ? この格好か。最高だろう? 俺様流最高のお洒落って奴でさ」
お神酒徳利の片割れ伊藤博文が、この井上のセンスのなさ過ぎる格好に顔を引きつらせたことがある。ちなみに伊藤は洒落っ気はあるのだが全く似合わぬものを着用する。どちらもどちらだ。
「それにしてもかつてはよ。御殿山にあった英国公使館を焼き討ちにした俺や俊輔が、招待状が贈られ舞踏会に招待されるのだからな。時代ってものは本当に面白いぜ」
傍らの大久保の顔をチラリと見ると、大久保はこの井上流のお洒落が全く理解不能らしく見事なまでに頭より追い出し、
「では木戸さん。参りましょうか」
何食わぬ顔で木戸に手を差し出してくるその見事なまでの無視は、ある意味感嘆に値した。
「お気遣いは無用です」
あえて木戸はその大久保の傍らをすり抜け、公使館へと足を踏み入れる。
心情は「あの大久保の手を取るなど……恐ろしい」でもあったが、背後よりパイプをふかして付いてくる井上などは「夫婦喧嘩は犬も食わぬよ。違うところでやりな」と、あくまでも「冷めた夫婦のいつもの喧嘩」と見えたようで……この一声が木戸に届かなかったことだけは不幸中の幸いともいえた。
バイオリンという楽器の優美な調が木戸を迎えた。
舞踏会という社交的な場所を好みはしない木戸だが、異国の管弦は聞き入るほどに好む。
我が国の伝統的管弦の調とはまた違うこの拡張さ。弦の調べも、ピアノという音が奏でる調和も息を飲むほどに美しい。
異国で「演奏会」を目の当たりにした感動が再び甦ってきた。
思わず入口に立ち止り音に聞き入っていた木戸は、二階で繰り広げられる円舞のことなどきれいさっぱり忘れている。
「桂さんは昔から音楽が好きだな。自分でも琵琶をちゃっちゃかやるだろう? 山県の笛は見事だが感情がなさ過ぎて面白味がない。あんたのたまに調和が崩れた琵琶の音の方が面白い」
傍らに並んだ井上の一言に木戸は我に返った。
「私の琵琶は本当に手慰みだけど、狂介の笛は……あれは玄人の域ともいえるからね」
「俺様的には全然アンタの方が素直な音で好きだっていっているんだがな」
「聞多に褒められるのも珍しいこと」
「これでも音芸にはそれなりに造詣があるのさ。受け売りだけどよ」
そして井上は先頭に立ち木戸の肩を抱く形で中央に連なる階段を上っていく。
井上がいると各国の人間との応対が楽になる。
始めに声をかけてきた公使夫人にも、木戸は型どおりの挨拶と、未だに慣れないが手の甲に口付けるだけであとは井上がうまく流した。
「……聞多」
「アンタ上着くらいは脱いで置けよ。一通り庭とか見てきたが、それなりの警備だ。大久保らしい。公使館には仰々しいと笑われぬようにという配慮だが隙は絶対に生まれる。どこでもよ。蟻のはいでる隙間くらいはあるのさ。……臨戦態勢、忘れるなよ」
この英国公使館には警視庁あてに「襲撃予告状」が叩きつけられている。
蝶次という名が木戸にこの度の重大さを忘れがちにさせる。
「天誅」と挑んでくる攘夷志士の姿と蝶次はどうも重ならない。
「気を抜かずに参議として適度にご夫人たちの相手をしていな」
「聞多の服装は、このたびの襲撃に備えてかい?」
瞬間、ずるっと井上はその場に転びそうになった。
「アンタにはこの俺様のお洒落がわからんのかよ」
「……お洒落なんだね。私の知らないお洒落もあるものだね」
「分かればよろしい。招待状が手に入らなかった御用掛の青木と元官僚の福地は外に待機させておいた。一応は名があるからよ。いざとなれば伝令としてあがってこれる」
「ありがとう」
「あとは市中に配下を手配して調査にかかった山県の知らせ待ちだ。当然大久保の方も川路を使ってそれなりのことをしているだろうよ」
給仕が盆に載せて運ぶ飲み物を井上はひょいと手に取る。ついでに別の給仕から料理も手に取った。
「戦争の前の腹ごしらえ。まぁただの脅しで何事もないのが一番だが、俺様の滅多に外れぬ勘が今日はけっこうやばいと反応しているからな。アンタはこれでも食べていな」
井上が手に取ったのはなにやらチーズがふんだんに使われているもので、木戸は首を横に振る。
「山県が来たらにらまれるぞ」
「こんなときまで過保護にしないと思いたい」
「甘いな。あいつの世話好きは根っからのもんだ。昔はアンタと高杉と二つに分かれていたが、今はアンタだけ。いや違ったな。あんたとお裾分けで……市だ」
噂をすれば、と階段を登ってくるでこぼこコンビに井上はフッと笑う。
何を着用しようと七五三に見えてしまう山田顕義は、まさに猫で言うならば毛を逆撫でさせて傍らを歩く山県に今にも食いかかりそうな勢いと不機嫌さがあった。
着用する陸軍の軍服は彼を大人に見せる作用には遠く及ばず、極めつけが傍らを歩く山県の長身と威厳ある風体といえよう。
ともに軍服を着用しているが大人と子どもほどの開きがあるように見えるは、山田の五尺に届かぬ背丈だけが理由ではあるまい。
「横を歩くな、ガタ」
「……気になるならば離れろ」
「なんで僕がわざわざ離れてやらないとならないのさ」
「ならば致し方あるまい」
「おまえのその言い方がむかつく」
相変わらずの二人ではある。
陸軍卿山県の方は軍服に、陸軍卿ゆえに許される床に届くほどに長い黒マントを着用している。
もとより槍にて免許皆伝の資格を得ているほどに武芸者の彼は見事なまでの姿勢の正しさと、歩きはそつなく隙がまるでない。
それは木戸も同様だが、決定的な差は山県の歩調はどこか重さを感じ、一歩一歩が実に謹厳さを物語る。
その歩調にあわせマントが優雅に揺れ、その均衡の取れた見事さについつい見惚れてしまう人間も多い。
「狂介は……格好よいね」
小さい呟きが洩れた。木戸が吐息をもらすほどに山県の姿に見惚れている。
「アンタだって大礼服を着けてマントをすれば、見惚れるほどに美しいぞ」
「……狂介の姿は美しさとかは違うよ。なんというか重い。あれが威厳というものなのかな」
それは参議木戸孝允とは無縁の風体だろう。
木戸は颯爽と優雅に歩行することはできるが、そこに重さは感じられない。彼自身が醸しだす穏やかで優しい気が全身を包み込んでいるからだ。
(昔から山県は重い奴だったしよ)
それに北国の永久凍土を思わせる氷の冷たさと、地獄の深淵を思わせる暗闇を背負った気を放出している男だ。
これで足取りが軽かったならばある意味問題があろう。
「……重い威厳のある男が好きですかな」
大久保がワインを手にし、いつのまにか木戸の傍らに並んでいる。
木戸はハッとすると同時に、黒一色で纏まっている大久保の姿をジーッと見据え、またしても吐息を漏らした。
「貴殿も狂介のようにマントをつければ……きっと様になるでしょうね」
「ほぉぉ。それは褒められていると受け取ってもよろしいのでしょうか」
「それだけの重さがあるといっているだけです。あしからず」
木戸は果実酒を受け取りにその場から離れた。
いつ襲撃か実行されるか知れないため酒を入れることはできず、だが咽喉は渇いたため何か飲み物が欲しかった。身体に影響はないのは見渡す限り……果実酒くらいだろう。
「木戸さん」
先ほどまで山県の傍で不機嫌きわまりない顔をしていた山田が寄ってくる。
「ここには伊藤さんとガタにいって牛乳を置いてもらうことになったんだよ。木戸さんも飲む?」
願ってもないことだ。つい木戸は微笑んでしまう。山田よりグラスに入った牛乳を受け取った。
少しばかり牛乳は苦手ではあったが、酒を飲むよりはましだろう。
壁際に寄り、山田と他愛もない話をしながら、周囲に気を配る。
「……政治家の目じゃなく剣士の目をしているよ」
懐の中の短刀がズシリと身に重く感じた。
「そうだね、市。今の私はとても政治家にはなれない。もし襲撃があったとしても、政治家は第一に命を優先すべきだけど、今の私は無理だから」
参議の辞表を出しておいてよかった。
日本の政治家としてあるまじきことを、今から木戸はしなければならない。襲撃が実行されたならば……。
「でも僕はそんな目をする木戸さんの方が好きだったりするよ」
ゴクゴクと山田は牛乳を飲んでいく。
「昔、高杉さんが言っていたよ。平和の世になれば、木戸さんは私塾でも開いて子どもたちと戯れ、古書の中に浸って平和惚けをしていつもにこにこ笑っている。まだ平穏でなければ、一瞬にして剣士の目に戻るだろうって。……今はまだ平穏とは縁遠いから……誰をも寄せ付けぬ剣士の目をしている木戸さんでいてほしい」
「……市」
「真の意味で平穏になったらもうそんな目は二度としないで、いつまでも平和惚けしていていいから……今だけは」
「分かっている」
明治に入り世情の乱れも無視し、世は治まったと平和惚けしているは国家の政治家と官僚、または上流階級の人間の一部だけだろう。
実際は江戸の昔よりも遥かに生活に貧窮しているものが多い。
この国はまだ平穏などとは無縁だ。攘夷も天誅も過去の遺物として葬り去るには……まだ国が整ってはいない。
「木戸さん」
傍らで牛乳を飲む山田も、昔の志士同様の目をしている。
周囲を見渡せば、事情を知る井上は一切の隙を見せず、山県はくまなく舞踏会を巡回している。
外からは警視庁・陸軍省の精鋭の殺気走った気が伝わるほどだ。
……臨戦態勢。
ゴクリと木戸が唾を飲み込むと、どこからか平和惚けした婦人の声が響き渡る。
「あの……あそこにいる男。陸軍卿とかいう肩書きですけど、もとは足軽以下の中間の出だというではありません」
「ご維新になってから成り上がり者が、上流の社交の場まで顔を出すようになって……」
「あぁ嫌だ。コチラにはこないで欲しいわ」
「舞踏会に出ても円舞の一曲も踊れないでしょうに。礼儀も作法も知らないわ」
あちゃあ……と山田は声を出す。
その声には「きっと近い将来何らかの形で報復されるよ」という意味が込められていたが、
「……市」
傍らの木戸は牛乳を飲み干し、その目を先ほどの婦人たちに向けた。
「気にしないほうがいいよ、木戸さん。いつもあの人たちはあぁだから。あぁいうのを平和惚け。ついでに自分の力で今の地位にいるわけでもないのに……ね」
「……私は許せない」
「木戸さん。いつものことだから……そんなに怒らなくても。木戸さん」
木戸は颯爽と歩き出す。
例のヒソヒソ話をしている婦人たちの前を通ると、女たちはすぐに口をつぐみ、甘い声で一曲と誘ってくるが、返す木戸の瞳にいつもの穏やかさはなかった。
無言で婦人たちを静かに睨みすえ、静かな気迫に婦人たちは飲まれたのか。ぶるぶると震えるものすらいた。
「うわぁぁぁ。木戸さんを本気で怒らせたよ」
山田の声はその場に小さくこだましたが、すぐに消えていった。木戸はゆっくりと足音を立て、巡回している山県の目の前に立つ。
「いかがされた」
山県の重い軍靴の音は、周囲に響き渡っていた。この音が止まれば、急に管弦ののどかな音色が場を包み込む。
「狂介」
「何か食べられたか? 空腹では万が一の場合力が入らぬ。あそこにパンがあるゆえ持ってこよう」
「今はそれどころではないのだよ」
「平常のおりよりほどよい食を体内に入れておくことは心得だ。よろしいか……」
「そういうことではなくて……。今はおまえの説教は聴いていられない。十分に臨戦態勢だとは分かっているけど……それでもね」
分かっているが、木戸にもこの舞踏会で譲れないものはある。
「……木戸さん」
木戸はスッと右手を山県に差し出し、恭しくその場に礼を取った。
「私と踊っていただけませんか、山県陸軍卿」
一声はその場に静寂を到来させる。
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松菊探偵事務所―事件ファイル2― 11
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