本多くんと大鳥さんの小話

19 学習院院長と部下



「院長」
 この仕事を、と部下に差し出される書類を見ながら、大鳥圭介は小さく「本多……」と呟いてしまう。
 これはいつものこと。もはや部下は誰一人気に留めることはない。
「仕事をしていただきたいのですが」
「本多……本多に会いたい」
 これもいつものこと。
「仕事が終わりましたら、鳥居坂に会いにいったらよろしいですよ」
「今すぐ行く~~」
「いけません」
 書類をササっと机の前に置くと、それを見てまた「本多……」とつぶやく。
 この大鳥院長は、それはそれは「仕事の鬼」と言われるほどに有能な男だ。一度集中すると衣食住を忘れて仕事をなす。
 だが、その集中時期と普段の時期の差があまりにありすぎる。
「君、そうは言うけどね。俺は本多がいないとなぁんもしたくないというか……」
「それならさっさと副官にしてください」
「………断られたんだ」
「そうでしたね。井上外相の秘書さんでしたか」
「……憎い」
 と、愛用の鉛筆に力を込めて、芯がパキッと折れた。
「井上馨が憎い」
「はいはい。それを言葉に出してはいけませんよ」
「君は……喋り方だけは本多にすこぉぉしだけ似ている」
「……そうですか」
「ほんの少しだけだ。だから……わずかに癒される」
 大鳥院長の最愛の相手というのは、本多幸七郎という井上外相の私設秘書官の男だ。
 井上を公私にわたって補佐し続け、噂では「井上料理」を中和する才覚に優れていると言われる。
 それはそれは長州閥の重鎮たちに感謝され、「秘書官」として名を馳せているのだが、
 その本多はもうずいぶんと昔だが、この大鳥の副官としてかの蝦夷地に共に渡った仲というのだ。
 何度か顔を合わせたことがあるが、育ちの良さがうかがえる華奢で端整な顔立ちをした優しげな男だった。
 とてもあの箱館の地で、あらくれと評判な伝習隊を率いた総督とは夢にも思えない。
「本多に会いたいなぁ」
「昨日、会われたのではないですか」
「邪魔が入った」
 憎々しげに大鳥が語るところによれば、
 仕事をさっさと済ませ馬車で鳥居坂にその本多を迎えに赴いた大鳥は、運が悪く井上に捕まった。
『たまにはよ。大鳥さんとじっくりと語りたいと思っていてな』
 とかのたまわれ、館に引き込まれた大鳥は、それから二時ばかり延々と料理の話を付き合わされたらしい。
 当の本多はいそいそと大鳥のために料理を作ってくれていたらしいが、
 大鳥に言わせれば、これから二人きりで美味いものを食しに行くつもりでいたというのに、邪魔ものが真ん中に居座り……逃げ出そうにも逃げ出せる雰囲気ではない。
 解放された時には、二人ともにぐったりで、そのまま馬車で互いに帰路についた。
「憎い、井上馨」
「……そうですね」
 自他ともに認められるほどに大鳥は、元副官が大好きである。
 昔のように副官として傍にいてほしい、と事あるごとに勧誘しているようだが、本多は頑として首を縦には降らない。
『私と大鳥さんは、今の距離が適度です』
 と、にべもない元副官を、大鳥は決してあきらめてはいない。
「井上さん、いっそ暗殺されないかなぁ」
「思っていても口にしてはいけないですよ。ついでにあぁいう人は長生きするんです」
「長生き……どこまで俺と本多の仲を邪魔すれば気が済むんだ」
「そう言わずに……。そうだ……お茶でも飲みませんか」
「本多の煎れた茶なら飲む」
 どうしようもない人だ、と思いつつ、部下は茶を入れて大鳥に差し出す。
「……慰霊の旅にでも行ってこようかな」
 いつもの通り何一つ脈絡を感じさせない言葉に、部下はため息をつく。
「学習院院長の立場で長期休暇ですか」
「辞表くらいいつでも書いてやるよ」
「きっと伊藤閣下が取りなして下されて、休暇くらいとれますよ」
「本多はいっしょにいってくれるかな」
「無理ですね」
「……誘ってみよう」
「院長は本当に……好きなのですね」
「本多のことか? 好き過ぎて、どうしようもなくて、本多のためならなんでもできるような気もするし、本多のためならそうだな……。全てをこわしてもいい」
「そんな愛情も時に怖いこともありますけど、本多さんはけっこう幸せかもしれませんね」
「当然だろう」
 にこっ笑った大鳥は、その髪はずいぶんと寂しいものとなったものの、やはり顔の童顔は際立って幼さを醸し出す。
 学習院に努めるものは、皆、大鳥の笑顔が大好きで、そしてこの大鳥の「本多病」をも受け流す。
 この朗らかで、些細なことに気にも留めない院長は、いつも笑っている。怒りの顔など見たこともなく、ただ本多のことになると不甲斐ない男になるがそれも御愛嬌。
「そこまで好きなら、やはり傍に迎えた方がいいですよ。井上外相もアレで人たらしみたいですしね」
「うわぁぁぁ……本多ぁぁぁ」
「はいはい。それでは、この書類を今日中に。あとで甘いものをお持ちしますので」
 本日も学習院には悲痛な叫び声が響く。
「本多~~」
 と叫ぶ大鳥も大鳥だが、その相手たる本多幸七郎も、ここまで思われるなら傍にいて支えて差し上げれば良いのに、と思わなくもない。
 箱館への慰霊の旅が実現するかどうかは知れぬが、
 元敗軍の将が、多くの部下を死なせたその地で、何を思うのか。
 わずかに気になるところではある。
 が、学習院の事務が滞ることは許せはしない。
「院長。今日は早くは帰しませんよ」
 人の目をかいくぐって、さっと学習院を抜けだし、本多のもとに向かう大鳥を捕まえるのが、
 この部下の最たる役目といえた。



20 伝習隊総督



 伝習隊総督本多幸七郎は、普段は伝習隊の人間たちに囲まれている。
「本多」
 伝習隊歩兵隊隊長の大川正次郎などとは、箱館の市内に繰り出すことや、自室で酒を飲むことが多いらしい。
 もともと、伝習隊は江戸を脱出して以来、隊長の大鳥ではなく、小川町連隊隊長の本多が治めてきたようなものだ。
 江戸を脱出し、集結した旧幕府軍全軍の総督となった大鳥圭介は、すでに子飼いの伝習隊のみを指揮することができなくなっていた。
 そのため本多が細かいところまで見るはめとなったようだが、その本多も宇都宮で背に銃弾が入り、長らく会津で療養の身となっている。
「総督。明日は調練を見てください」
 その華奢な体躯からは思いもよらぬほど腕っ節が強い本多は、伝習隊隊士の憧れに等しい。
 出自からして列記とした三河以来の旗本本多家の当主。元は将軍警護といったエリートコースを行っていた男が、配置換えで歩兵指図役に回され、伝習隊に配属になったという。
 以来、大鳥の右腕として、あの「変人」とも「好奇心の権化」とも言われる大鳥がくりだす奇策に付き合わされ、今では世話女房とまで言われている。
 土方歳三の目から見れば、本多幸七郎という男は「出来過ぎる」
 そして、何か危ういものをいつも感じていた。ただ一言で時に倒れるのではないか、と思わせる危機感と、大鳥の盾になり死すという愚かな崇高が、彼という男をゆがませている。
「土方さん。俺、本多さん、大好きです」
 と、新選組の仲間にすら、伝習隊幹部としては珍しく本多は人気がある。
 もともと土方の上司となった大鳥に対して新選組内部では反感があり。それを抑えようとはせず、それは大鳥子飼いの伝習隊にも向けられていた。
 されど、だ。強いものが好きで絶対的と風習がある新選組である。
 剣術にかけては、土方とほぼ互角にやりあう本多の力量を知って以来、新選組内部では本多に対して憧れを持つものすら出てきた。
 陸軍奉行添役の野村利三郎もその一人らしい。
「野村。その言葉、大鳥さんの前では言うなよ」
「なんでですか。あんなよわっちい鳥などどうでもいいですよ。俺は、本多さんが好きなんだ」
「そのよわっちい鳥……ではなかった。大鳥陸軍奉行はな。本多くんのことになると、信じられないほどに強くなる」
「あのよわっちい鳥が」
「信じられないだろうが、怖いぞ。大鳥さんという人は」
 一生で一番「大切」と、大鳥自身、信じて疑わずにいるほどに……本多を大事にしている。
 それこそ本多の周りにいる人間に、あの男は常に嫉妬してやまぬほどに本多が好きなのだ。
「本多」
 そう、今、大川は明らかにたくらんで本多の肩に腕をかけた。
 と、瞬時後に、だ。
「大川! 俺の幸七に触れるな」
 となる。
 いつもの光景であるが、なんとも大鳥も大人気ない。そしてあえて煽っている大川も同様と言える。
「こりゃあ小さな小さな鳥さんよ。誰の幸七だって」
「俺の、だ」
「とか言っているけどよ。本多伝習隊総督。反論は」
 本多はいつものあきれ顔で、小さく吐息をつき、
「大鳥さん。先ほどお渡ししました書類には目を通してくれましたか」
「……そんなのは後回しだ」
「後回しはダメです」
 と、本多は上官の背広の襟首をつかみ、そのまま持ちあげて仕事部屋に放り込みに行く。
 その時間、わずか数秒。本多は上官の扱いに何よりも長けていると言われるが、襟首を掴んで「っぽい」は、普通の部下ならば決してしないことだろう。
「かっこういい」
 さらに野村は目を輝かせているが、野村と本多では、おそらく本多の方が年は下であろう。
 公的には二十七歳と届け出ているが、それは幕府旗本によくみられる「サバを読んだ」届け出である可能性が高い。どう見ても二十三、四歳くらいにしか見えず、
 現在二十五歳の野村と比較すれば数段と落ち着き冷静な彼だが、時にみせるあどけなさは、野村よりも年下に完全に見えた。
「本多ぁぁ。仕事はちゃんとするから、傍にいてくれないか」
「却下です。私はこれから箱館市内に巡察に出ます」
「なら、俺も」
「大鳥さんはお仕事でしょう」
「五分待っていろ。五分で仕上げて見せる」
「待ちません」
「待て」
「………嫌です」
「じゃあ命令」
「上官の横暴な命令は聞けません。大川、行くよ」
 と、大鳥を放って本多が館内より出て、およそ三分の後。仕事を終えたのか、なにやらとんでもない素早さでその後を追っていく大鳥の姿を目にした。
「は……早い」
 走る速度が常人とは思えぬ速さである。
 興味津津の野村が大鳥を追いかけたため、ため息を一つ落として土方もその後を追う。
 馬小屋より愛馬の手綱を引いていた本多は、大鳥の出現を予想していたらしく、吐息ひとつこぼしたが、何も言わず自分の馬に大鳥をヒョイと乗せた。
 そして手綱を片手に、大鳥を抱きかかえる形で箱館市内に向けて馬を走らせる。
 にたぁと満足そうに笑う大鳥の姿を、確かに見た。
「本多くんのことになると、大鳥さんは信じられない能力を発揮するんだよ」
 あの走る速度は、土方が全力疾走しても追い付くものではなかった。
「格好いいなぁ」
「……野村。あまり本多くんを追いまわすなよ。あの二人は持ちつ持たれつ、だ」
「あの鳥に本多さんはもったいねぇ。よし、新選組に勧誘するか」
「……おまえな」
「俺は諦めねぇぞ、本多さん」
 それ以降、時間がある限り、野村は本多を追いかける。
 人の世話を焼くのが好きらしい本多は「弟」を見るかのように野村を見つめ、時に剣の鍛錬を付き合い、時に二人で市内に出て行くのを見かけるようになった。
 さぁ大変だ。
 土方は頭痛を覚える。
 大鳥の嫉妬深さの片りんを知る土方としては、野村がこの後、大鳥よりどんな仕返しを受けることになるか。
 気が気でならなかったりした。


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本多くんと大鳥さんの小話 -10

本多くんと大鳥さんの小話10

  • 【初出】 2011年ごろ
  • 【修正版】 2012年12月23日(日)
  • 【備考】 19~20話収録