本多くんと大鳥さんの小話

17 命以上に大切な君



「死ぬな」
 四稜郭より戻った本多幸七郎は、その腕や足が傷だらけで、まさに満身創痍だった。
 大量の血は撤退の際にかたまり、今は止まっている。
 だが本人の顔色は良くはない。
 四稜郭内の松岡らを無事に撤退させるために、あえて最初に伝習隊を率いて囮まがいに官軍と衝突したとは報告を受けた。
 松岡はさしたる兵の損傷もなく無事に五稜郭に撤退したが、その分、本多の方はボロボロになって戻ってきた。
 大鳥は息が止まるかと思ったほどだ。
 目の前に立った本多は、ただ目を開けているだけで、何一つ人としての機能をしていないかに思えた。
 ただ体だけが帰ってきたかのように思えて、大鳥は本多の体を力いっぱい抱きとめた。
「………幸七、死なないでくれ」
 すると本多の目はようやく現を認めたかのように大鳥を見る。
「……大鳥さん」
「本多……」
「申し訳ありません。私の体たらくでお預かりしている兵を……」
「なにを言っている。ちゃんと連れて戻ってきたじゃないか」
 その場に力なく崩れた本多の頭を、大鳥はくしゃくしゃと撫ぜた。
「よく生きて帰ってきた。……死なないでくれた」
「………」
「いつも言っている通り死ぬな。ちゃんと戻ってこい。おまえが居なくなったら、俺は……生きてはいられないんだからな」
 陸軍奉行としてではなく、一人の人間として大鳥は大切な副官を抱きとめる。
 命の鼓動が伝わる。優しいぬくもりに包まれて香る血の匂いに、この副官は今の今まで死地にあったことを思い知らされた。
「傷の手当てをしてもらえ。……もう、出るな」
「いいえ。私も連隊長です。伝習隊を預かる身です。私が出ないと……」
「滝川がだいぶ傷を負った。しばらくは動けん。士官隊の方も……無残な有様だ。大川も同様。おまえも……とても動ける状態ではないだろう」
「まだ行けます」
「本多……伝習隊は俺の誇りだ。その総督のおまえは俺の最高の傑作だと思っている」
「………」
「そのおまえがむざむざ死ににいってどうする? 伝習隊の総督なら伝習隊の合言葉に従え。生きろ。むやみに死に急ぐな」
 大鳥が数日前に「死にに急ぐな」と叫んだ陸軍奉行並土方歳三は、その言葉に背を向けて自分の生きざまを貫いて逝った。
 最期の最期まで彼らしく笑って逝ったとのことだ。
 彼は……いまわの際まで、生きることへの活路を何一つ見いださなかった。
 それが大鳥に言わせれば悔しい。
 あの分からずやの頑固者で、だが優しく頼もしい男が、どうして死にに急がねばならなかったのか。
「幸七、傷を見せろ」
 本多は柱に寄りかかったまま、大鳥の為すがままとなっている。
 四稜郭より撤退の最中、相当に肉体的にも精神的にも追い詰められたのだろう。
 死を恐れる男でないだけに大鳥は心配であった。むしろ兵を鼓舞するためならば、自らが先陣を駆ける男ゆえに……心配が耐えぬ。
 よく見ると伝習隊の隊服も陣羽織もボロボロだ。刀傷に銃弾がかすった痕。
 宇都宮で背中に受けた銃弾よりはまだひどくはないが、それでもたいそうな傷を受けている。
「……死ぬなよ」
 もはや口癖となっている言葉を、大鳥は繰り返す。
「死なないでくれ」
 本多は荒く呼吸を繰り返していたが、ふと何か気でもふれたかのようにその場で笑い始めた。
「……本多」
「私が死のうが生きようが何一つ変わりはないのです。けれど……」
「なにを言うんだ。おまえが死んだら……俺はどうなる」
「………」
「おまえが居なくなったら、俺は……この世に何の光を見いだせばいい。おまえという存在が唯一だ。唯一の……光だ」
「………」
「……俺のためにも生きろ」
 そのまま本多は呼吸を繰り返し、しばしの後、すでに気力では体を支えられないらしく、その場にぐらりと倒れた。
 真っ青な顔色だが、呼吸はきちんとしている。大丈夫だ。神仏はこの手から一番に大切なものは奪いはしない。
「もう……戦に出ることはない」
 ゆっくりと休めばいい。
 すでに大勢は決した。官軍の責任者たる黒田よりは降伏勧告が時期に知らされるだろう。
 無益な殺生は好むまい。ましてやこの五稜郭には、どれほどの若きものがいるか知れぬ。
「………」
 眠る本多の頭を、そっと撫ぜる。
 殺したくはない。
 陸軍を預かったものとしてこの命は明日をも知れぬが、
 大鳥は死のその寸前まで生を希求することを疑いはしない。
 明日を、生きる。またその次の明日をも生きる。
「……おまえと一緒にどこまでも……」
 生きたい、と大鳥は思う。
 この世でいちばんに大切と思える存在と、明日をその次の明日をともに生きたい、と願う。
 目を閉じれば、数日前に颯爽と駆けた土方の姿が浮かび、
 その後ろ姿に「阿呆が」と叫んで、大鳥は医者を呼ぶために起ちあがった。
 皆、死にに急ぐ。
 命以上に大切なものを貫いて、死にに行く。
 そんな世の中は間違っているのではないか。
 命より大切なものがあるならば、
 その大切なものを守るために生きるそんな世の中であらねばならない。
「……俺は、守るよ」
 命以上に大切なおまえを守るために……生きれるだけ生きて見せる。



18 好きすぎて



「鳥はまた甘えまくっているのか」
 陸軍奉行並土方歳三は、思いっきりげんなりとなった。
 軍の配置について話があったため、五稜郭内を探しに探しまくり、ようやく見つけた。
 自室にもいない。会議場にもいない。総裁のもとにもいない。伝習隊の集会所にもいない。まさか市内に偵察にでも、と思ったが、
 ふと思い至り、覗いた部屋では、大鳥は現在副官と称される男に膝枕をさせ、すやすやとお休み中だった。
「夜に眠ってくださらないので……」
 歩兵頭にして伝習隊総督の本多幸七郎が申し訳なさそうに、言葉をつづる。
 陸軍奉行大鳥圭介は、まさに心地よさそうに、安らかな寝顔を見せていた。
 いっそ蹴飛ばして目覚めさせてやろうか、とも思ったが、大鳥がここ数日夜中まで編成に頭を使い続けていると耳に入っていた。
 およそ戦の差配は不得手だが、知識の泉と称されるその頭には、この箱館で叶うものはない。  官僚系としてはずば抜けた優秀な男で、なぜに陸軍の指揮官になどなった、と土方は怒鳴ったことすらある。
「……君がいれば鳥は……それだけで幸せか」
「……土方さん。大鳥さんには私の代替えなど……多くおりましょう」
「それはないだろうな」
「いいえ。分かりきっています。有能な人間がいるなら、その人が副官に就くべきなのです」
 本多はそこで意を決したかのように土方を見据えてきた。
「奉行添役より誰か……」
「君は……自分という男の価値を知らないのか」
「私にはこれといった特技もありません」
「実直で真面目。なによりも鳥の言葉を理解できる。補佐としても連隊長としても全てそつなくこなす。十分な才能だ」
「……土方さん」
「君が何を悩んでいるか知らないが、君が副官をやめたら、鳥は何を頼みに毎日苦難に耐えるのだろうな」
 なによりも今の大鳥の顔が証だ。
 人前で眠ることをしない男が、副官に全幅の信頼を預けている。膝枕はやり過ぎだが、大鳥が人に甘えるというのは滅多にないことだ。
「……それに鳥は君が好きなのだろう」
 知識の泉と称される大鳥が、何一つ疑念なく信じることができる。それが副官の最たる条件といえた。
「君でないなら……誰でも同じだ。迷うことはない」
 例の箱館政権の幹部を決める際も、いささかこの本多に関しては揉めたのだ。
 先発隊として出した人見と本多。どちらも甲乙つけがたい武人であった。夜襲を冷静に判断し「ただ逃げるだけでは面白くない」と笑いあったという二人。
 松前奉行を人見勝太郎にし、在中の軍として自ら率いていた遊撃隊をつけた。
 この時、もう一つの案としてあったのが、伝習隊総督本多を松前奉行とし、伝習隊を松前に置く。おそらく最前線となろう松前に、薩長を震え上がらせた伝習隊は最適ともいえた。
 伝習隊、遊撃隊ともに武勇は名高い。
 どちらを置くか、の話し合いの際、副総裁となった松平がこう言ったのだ。
「大鳥さんが指揮するのに容易なのは伝習隊。陸軍奉行のおひざ元には、子飼いの集団の方が良いと思います」
 誰もがその案に頷いた。人見を傍に置いたならば、毎日喧嘩では済まない。あの毒舌の唯我独尊。ついでに言えばけんかっ早い人見である。
「人見くんを松前奉行。本多くんを第二烈士満連隊長。それが天秤のつり合いとしてもあいます」
「本多くんが圭介の副官という訳か」
 榎本が頷き、決した。
 後に人見より、本多を「副官」たる松前奉行並に欲しい、と言われ、松平がにっこりと笑って拒否している。
 江差奉行を本多でも良いという案もあったが、江差に伝習隊を置くことには大鳥が大反対であった。
 大鳥の子飼いの部下たる伝習隊。
 それを率いる総督は、誰が見ても優男でスラリとした背丈の温和な青年。人に好かれる男である。
「……土方さん」
「なんだ」
「私は幾日か五稜郭を離れることになりました。江差から木古内にかけての偵察にまいります。……大鳥さんのことをお願いします」
「……君が、か」
「はい」
「君は五稜郭守備の責任者だろう」
「自分の目で見ておかねばならないこともあります。総裁には許可をとりましたが……」
「鳥には行っていないのか」
「……どうも言いにくいことで」
「自分の上司に言えないことはよした方がいい。心配する」
 本多は曖昧に笑い、すやすやと眠る大鳥の顔を見る。
「……この人は私を心配し過ぎます」
「それは君が好きだからだろう」
 またかの宇都宮で背中にななめに銃弾がかすった際のことを、大鳥は忘れられぬのだろう。
 あの時、致命傷ではなかったが、意識が戻らぬ本多の傍らで、大鳥はいつもの生気ある顔をしてはいなかった。
 幽鬼のように真っ青で、ひたすらに冷えて行く本多の体を温めようと抱きとめていた。
「……時折、それが苦しく辛くなりますよ。土方さん、いざとなったら土方さんが許可したことにしておいてください」
「………」
「大鳥さんではなく、私が見ておかねばならないところが多々あると思います。私は……」
「君は死ぬつもりか」
「………」
「それもやめておけ。君はいなくなるだけで、鳥はいつも真っ青にになる。ここまで好かれ大切にされているんだ。生きてやれ」
「……………」
「君は死ななくていいんだ。君は生きろ」
「土方さんこそ生きてください」
「……俺は、な。いいんだよ。俺はもういい。だが君には未来がある。大鳥さんの身代わりになって死のうなど考えるな」
 陸軍奉行たる大鳥のただ一人の副官。前々よりの子飼いの伝習隊を率いてきた部下。
 敗北が多い大鳥に対して批判がそれなりにはある。
 軍略家としては優秀すぎるが実戦には不向きな大鳥。
 それを嫌というほどに承知している本多は、むしろ大鳥の盾になり、または批判をそらす意味も兼ねて……命を捨てるのではないのか。
 大鳥の代わりに死ぬ。無償ともいえる愛情ではあるが、土方には受け入れられない。
「君には大切にしてくれる上官がいる。大切にしてやれよ。早死にだけはするな。残される身がどれほどに苦しいか。哀しいか」
「土方さんは本当に良い人ですね」
「なんだと」
「大鳥さんを支えてあげてください。私にはできないことを土方さんはできるから」
 だから……お願いします。どうか死なないでください。
 本多のその一言は土方の胸にズキリとした痛みを与えた。
 かつてどれだけの人間をこの手により直接的、間接的に葬ってきたか知れない。
 だがその中にも、土方は願った命があった。「死なないでくれ」と叫んだ命すらある。
 死なないでください。それは残酷な言葉。
 死なないで……。されど人の心に突き刺さり、一歩後ろを振りむかさせる不思議な言葉。
「五日のみだ。それ以上は鳥は止められない」
「ありがとうございます」
 本多はわずかに微笑み、そのまま大鳥の顔をジッと見つめる。
 穏やかに……慈しみを込めて。やさしく優しく……。
 互いに互いを思い過ぎてすれ違う二人の心。
 どちらも生かしたい。こんなところで死んではならない命だ。
「鳥がうるさく言うぞ。君がいないとこの鳥はひな鳥より始末に負えん。さっさと帰ってこい」
 土方の言葉通り、自分に無断で偵察に出た本多について、大鳥は毎日毎日嘆く。
「なんで俺に断りを入れない」
「アンタにいったら、ゆるさんだろうが」
 愚痴に付き合わされる土方は、うんざりしていた。
「当たり前だ。単騎で偵察など……。一師団でもまだ危険だ」
「アンタ……本多くんのことになると本当に盲目だな」
「……なにを言っているんだい。俺は、この世で一番本多のことが好きなだけだ」
「それを人に簡単に言えるところがアンタのすごいところかもしれんな」
 饅頭を食べることで気を紛らわしているらしいが、
「本多ぁぁぁぁ」
 ふと立ち上がり、雄たけびあげて、おいおい泣く。
 松平副総裁が断言する通り、本当に本多がいないと大鳥はひな鳥同様になる。
「アンタは本多くんがいる限り死なんな。いや……本多くんがいなくとも大丈夫か」
 すると大鳥は何を思ったのか、饅頭を土方の口にねじ込んできた。
「ふが……はが(何をする)」
 土方は甘いものがそれほど好きではないのだが、とりあえずは口の中で咀嚼を始めた。
「俺は本多がいないと生きられない。生きていたとしても、そこに何一つ楽しみも慶びもない。いっそ一緒に死ねたら良いのに、といつも思っていたりする」
「………」
「強くないんだ、俺は。強くなりたいとは思わない。本多がいないことになれる強さなど……いらないよ」
 土方にもそういう相手はかつていた。
 その人が生きていることが幸せであり、喜びであり、いきがいでもあり……。
 置いて逝かれて気づかされる。
 いかに自分がいかされてきたか。
 いかに自分が支えられてきたか。
「早く帰ってくるといいな、本多くん」
「本多~~早く帰ってこい。帰ってきたらげんこつだ。俺に黙って偵察とは何事だ。俺もつれて行け」
 本多が単身で偵察に赴いた理由が、無性に土方は納得した。
「アンタ……本当に本多くんが好きなんだな」
 つくづく認めてしまう事実。
「当たり前のことを言わないでくれよ。好き過ぎて好きが強すぎて、これでも一応は抑えているんだ」
「冗談だろう」
 これで抑えていると言えるのか。
 とてもとてもこの男の「天然さ」には適いそうにない。
 こういう男は強い。一人に固執する人間は、その一人が傍にある限り強く生きられる。
 だが、本多を失った時、大鳥はきっと強くあることをやめるだろう。
「アンタがこのままであるためにも、本多くんを大事にしろ。自分に自信が持てぬあの副官を……もっと大事にしてやれよ」


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本多くんと大鳥さんの小話 -9

本多くんと大鳥さんの小話9

  • 【初出】 2011年ごろ
  • 【修正版】 2012年12月23日(日)
  • 【備考】 17~18話収録