宵ニ咲ク花の如シ

5章

「土方さん、土方さん」
 土方の膝を枕にしてスヤスヤ眠っていた沖田が、唐突にムクッと起き上がった。
「僕、土方さんとお祭りにいきたい。縁日。門前のお祭り」
 早口で喚かれ、土方は「なんだ?」と思ったが、すぐに「あぁ」と思い出す。前回の訪問の際に、今度来たときは祭りに連れて行ってやる、と約束したのを思い出したのだ。
「僕、ずっと楽しみにしていたんですよ。土方さんと縁日」
「そうか。宗次郎は俺と縁日に行くのが楽しみだったか」
 コクコクと思いっきり頷く沖田が可愛くて、土方はつい頭をよしよしと撫ぜてしまった。
「歳……」
 近藤が傍らで「おいおい」という顔をしたが、幼馴染の土方がこんなにも優しげな顔をみせることにいつもながら驚いている。
 客商売で飛びっきりの作り笑いをつくろうとも、横で見ていてもほつれているとしか思えぬ笑顔を見せることはほとんど無い。
 これは沖田に対してのみかもしれない。邪気の無い土方特有の偽りなき笑顔である。
「まだ縁日はやっているな。よし宗次郎、肩車してやろうか」
「本当?」
「歳! 宗次郎の年齢を考えろ。十一だ。十一が肩車ってな」
「俺は宗次郎ならできるぞ」
「土方さんの肩車、肩車」
 沖田は手を叩いてはしゃぎ、そうだ、と突然ニカッと笑った。

宵ニ咲ク花の如シ 5-1

「僕、いっぱいいっぱい繕い物の腕を磨いて、人形作りを覚えてね。そのうち縁日で人形を売るよ」
「それは良い考えだ。宗次郎、これから繕い物頑張るのだぞ」
「はい」
 沖田はギュッと土方の背中に抱きついた。
「いや宗次郎。武家の子供は繕い物など覚えなくていいんだぞ。お前は剣術の稽古と道場の掃除をしてくれればな……」
「勝ちゃん。これからの男は一芸だけでは生きていけん。二芸も三芸もないとならんのだ」
 だがその二芸や三芸に繕い物やら人形作りなどを入れなくても良いのではないのか。
 近藤は頭を抱えたが、まさに大乗り気の土方と沖田を見ているとげんなりとなり、口に出すのも疲れるとやめた。
「よし、行くぞ。もちろん勝ちゃんも行くよな」
「行こう行こう。近藤先生」
 沖田に手を引かれ、土方の行くぞ、というその目は有無を言わさぬものであり、仕方ないとばかりに立ち上がった近藤はやれやれと思う。が、この二人が楽しげな様子を見るのはイヤではない。むしろ心沸くほどに嬉しいとも思える。
「よし飲むぞ。宗次郎は果実水で我慢しておけ。……いくぞ、歳。久々に喚くぞ~」
「勝ちゃん。それを言うなら騒ぐぞ、ではないのか」
「小さいことを言うな、言うな。喚くぞ、行くぞぉ」
 それはまるで出稽古に参上するときの掛け声のようで、沖田が耳をふさいだ。


宵ニ咲ク花の如シ 5-2

 周布に引っ張られ、いまだ酒が抜け切らない小五郎はヨタヨタ歩くしかない。
「小五郎! 大の男が酒などにのまれやがって。よいか、よい男はな。酒は飲んでも飲まれるなというんじゃ」
 周布の大音声に耳を塞ぎたい気分であったが、引っ張られるままに小五郎は歩く。
「これから男の酒の飲み方っちゅうもんを教えてやろう」
「周布さん。藩の政を司る政務役のあなたが、こんなところで喚いていて……それこそ良識ある大人とは思えませんね」
 来原がため息を一つ漏らし、周布に袖を引っ張られるままになっていた小五郎を、どうにか救出した。
「政務役がなんじゃあ。わしはそんなちっさいことなどどうでもよか」
 周布に言わせれば、藩の中枢にありて政を司る「政務役」も小さいものらしい。とてもとても家老方や藩公には聞かせられない言葉だ。
「また謹慎やら逼塞になったら大好きな酒もおおっぴらに飲めないのてすよ。それでも良いのですか」
「そんなもん隠れて飲む。わしより酒を取ったらなにが残るんじゃ」
「そんなことでえばらないで下さい」
「良蔵は少しばかり堅い! そんなんじゃ嫁がこんぞ」
「私の嫁です。放って置いてください」
 そこで来原はジッと小五郎の顔を見てきたので、なにか?、と小五郎は首を傾げる。
「小五郎ほどの美貌の女性がいましたら、嫁にしてもいいですよ」

宵ニ咲ク花の如シ 5-3

「おまえなぁ。どれだけ小五郎が好みか知らんが、小五郎似の女などいるか。異母姉の捨子さんとて目が似ているくらいだったからな。ん? 小五郎よ。おまえ、妹がいなかったか」
 周布もまたジーッと見てきたので、小五郎は少しばかりドキリとした。
 姉捨子の姿を覚えている周布は、自分の顔を見るとき、その面差しを追っているのではないか、と気になる。
「妹がいたのかい、小五郎。君に似ているかい?」
「えっ……あの……そうですね。治子はとても可愛くて、あと二、三年もすればきっとそれこそ花のような美女になるとは」
「兄馬鹿じゃな、小五郎も」
「ほんとうに可愛らしいのですよ。本当に…花のような私の妹」
 ……兄様、ハルを置いていってしまわれるの。ハルを一人残して……。
 江戸に留学が決まった際、この袖に縋って泣いた五歳年下の妹の姿が脳裏によぎる。
 瓜二つとは思えない。時折、近所の幼馴染が「ハルちゃんは桂さんににちょる。笑うと少しだけにちょる」といっていたが、治子はその面差しを 「薄幸な美女」と言わしめた母清子に似ていると小五郎は思う。母は小五郎が十六の歳に胸の病で逝った。穏やかに微笑むきれいな人だった。
 父母ともに無い実家和田家には、家を継いだ長姉捨子の夫文譲が、今では後妻となった女性と、姉が残した三人の男の子とともに過ごしている。
 そこに自分は治子を置いてきた。
 義兄はそれなりに治子を可愛がってくれているが、義兄の妻香夏は、小姑ともいえる治子を疎んじているという。

宵ニ咲ク花の如シ 5-4

(少しでも早く戻らねば。ハルにどれほど心労をかけているか)
 ……いかないで、兄さま。ハルを一人残していかないで。
 あの悲痛な声が、耳を離れたことはない。
「そんなに可愛い妹なのかい。……来月に私は一度萩に戻るからお顔を拝見しにいこう」
「良蔵さん」
「小五郎も心配ではないのかね。手紙など……そう容易くは出せるものではないのだから」
 この時代、手紙は飛脚に持たせるが、一度につき五両ほどかかる。今で言うとざっと三十万ほどだろうか。
 例え親の遺産があるとはいえ、毎度毎度のこと手紙を出せるほどゆとりは小五郎にはない。
 二月に一度、和田家に便りを出す。そこに五通ほど入れ、それぞれに配ってもらうようにはしていた。
「良蔵さん、治子におかしなことをしましたら許しませんよ」
「怖い顔をするね、小五郎。君の御妹に私がおかしなことをすると思うかい? ちゃんと君に交際の許しを得てからそういうことはするつもりだよ」
「そう……そういうことって」
「良蔵。おまえさんも言葉を選べ。小五郎が倒れそうじゃぞ」
「私は良識ある付き合いをしますよ。それに小五郎。私は妹君よりも君に興味があるからね」
「……良蔵さん……」
「良蔵よ。口説くのはべっぴんな女子にしとけ。小五郎はべっぴんだが男じゃ。しかも……もはや縁談がわしのところに数々と」
 周布は空になった徳利を実に名残惜しげに見ている。ひょいと反対にして出てくる一滴を舌で舐めた。

宵ニ咲ク花の如シ 5-5

「男でも女性でもきれいなものはきれいなもの。私の描く美というものは、小五郎がいちばんに理想に近いと思いますよ」
 男前の来原に優しく囁かれると、ついドキッとしてしまう小五郎である。いけないいけない、と思いつつも、まさに男がほれる良い男だ、来原は。友人として鼻が高い。
「いいか、良蔵よ。ついでに小五郎もようけん聞け。そういうものは女に言うものじゃ。男に言おうと一滴の酒にもならん」
「それはどういう理念ですか、周布さん」
「女ならばつい気を良くして酒が出てくることもあるんじゃ」
「私は酒など欲しくもありませんね」
「良蔵は酒のよさというものを知らん」
「酒におぼれる周布さんの気持など分かりませんね」
 公衆の面前で堂々と大声で言い張るこの二人には、周囲より目がちらちらと注がれている。
 小五郎は周囲をそっと見回した。
 周布はともかく来原は良い男だ。女性がチラチラと見るのも頷けるが、その視線が時折自分に注がれるのが意味がわからない。
 こういうところが周布に言わせれば「初な坊や」というところなのだろう。
「おうおう、賑やかにやっているな。わしは屋台で酒さえ飲めればよいんじゃがな」
 祭りの灯りに周布はにたぁと笑った。まさに酒にありつけるという喜びの笑顔だ。
「周布さんに付き合うことは無いですからね。君は私と」
「なにをぬかす。小五郎はわしと今宵は飲み明かすんじゃ」
 と、今度は周布に引き寄せられ、小五郎は「およよ」となってしまった。

宵ニ咲ク花の如シ 5-6

「駄目ですよ。小五郎は私と……ほら、そこにいますから。用事があるのですよ」
 縁日の賑わいが広がる門前に、一人の青年が手を振ってこちらを見ている。
「桂くん、良蔵くん」
 灯りの灯火ではその人の顔は見えぬが、その穏やかでやさしい声ですぐに小五郎は察した。横の来原を少しばかり見上げる。
「良蔵さん……これは」
「何度誘おうと小五郎は寅に会いにはいかないだろう? こうなれば強行突破だと寅と打ち合わせをしてね」
 すまない、と片目をつぶった来原を、少しばかり恨めしげに見てしまう。
「なんじゃ? わしにも内密でおまえ、計画を練っていたんか」
「周布さんにいうと、小五郎を連れ出す前に酒の勢いで言ってしまうでしょうが」
「おまえ、わしを全く信用しておらんな」
「……お互い様です」
 二人して立ち止り睨みつくす有様に、「二人とも」と、どうにか治めようとするが、全くといって小五郎の言葉など聞いてはいない。
 呆れ半分諦め半分。小五郎は吐息をはき、二人から離れ、門前にいる人の前に進む。
 吉田寅次郎。号は松陰。現在、江戸に遊学中のこの人は、三歳年上で、一時期明倫館兵学指南役として小五郎も教わったことがある。
 目前の小五郎の顔を見て、駆け足で寄ってきた。
「桂くん、桂くん」

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 声を精一杯張り上げ、満面の笑みを見せてくれるこの人と、会うのが怖かった。
 萩で共に山々を駆け巡った日日。凧揚げが大好きだったこの人。野山に寝転がり、流れ行く雲を飽きることも無く見つめていた……無邪気な寅次郎。
 江戸というこの都市が、この人の無邪気さを変えたのではないかと思うと、会いに行く勇気が出せなかった。
「桂くん、久しぶりだね。とても会いたかったのだよ」
 顔を合わすと同時に、小五郎の両手を掴み、握り締めてぶんぶん振り回す寅次郎。
「お久しぶりです、寅次郎さん。ご無沙汰しました」
「君は相変わらず剣術なのだね。この手を見ればすぐにわかる。とても……よく学んでいることがね」
 すでに手まめすら潰して久しいその手を、愛しげに触れてくれるこの人は、満面な邪気のない笑顔を見せてくれた。
「えぇ。寅次郎さんの方も」
「僕はいろいろと思うところがある。でもね、君と萩の野山を駆け巡ったあの頃がいちばんに楽しく、この頃は懐かしい」
 そう言って少しばかり遠い目をした寅次郎に、ドキリと嫌な思いが小五郎の胸に宿った。
 こんな目をする男ではなかった。いつでも物事の「楽しさ」を追う好奇心に満ちた男が、今、その目に宿した思いは、
 間違いなく憂いだった。
「でも今日はそんなことは忘れよう。さぁいくよ、桂くん。さぁさぁ。あそこに射的が、あっちには輪投げ」
「えっ……寅次郎さん」
「輪投げには、僕がとっても欲しい人形やこけしがあるのだよ。

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こういうのは僕は駄目でね。器用な君ならば……もしかしたら」
「私も苦手ですよ」
「そういわずに……ほらほら。美味しいおでんの屋台も出ているよ。それから籤に……」
「寅次郎さん」
 小五郎同様に体格は華奢で、まさに学者然とした寅次郎が、力強く「ほらほら」と引っ張ってくれる。
 輪投げ、射的、と子供のようにはしゃぐ姿は、小五郎が知っている寅次郎そのもので、少しばかり安心したが、先ほどの憂慮に満ちたあの目が、心のどこかに重い影を投げかけていた。
「やい、良蔵。おまえ、もしかしたら、あの寅のお守りに小五郎を連れ出したんじゃないだろうな」
「ひどいひとですね、周布さん。私が可愛い小五郎をそのようにつかうとお思いですか。単に、寅が会いたがっていましたし。 なかなか小五郎も踏み切れなさそうでしたからね。良い機会だと思いましたよ。それから……あの寅のはしゃぎようについていけるのは、やはり小五郎だけかと」
「つかっちょるだろうが」
「人聞きの悪い」
 などと周布と来原が相変わらず言い合いをしつつ、後ろから付かず離れずでついてくる。
 あいにくと小五郎の場所まではその声は届かなかった。祭りの喧騒は宵になろうとするこの時間でも、にぎわいを奏でている。
「ほら、桂くん。輪投げであの人形をとっておくれよ。ほら、あのにっこりと笑っている女の子の……」
 寅次郎に付き合わされる時が、どうやら始まったようだ。


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「歳、やはりな。宗次郎の肩車は……」
 近藤は傍らの二人を見るたびにため息がこぼれ落ちる。
 土方は端麗な顔つきであり、また体も見かけはだいぶ華奢に見える。だが柳の葉のようにしなやかなその体格は、まさに幼少からの剣術の稽古により培われてきた。
 だが傍目から見れば、年よりも幼く見える宗次郎だが、肩車など言語道断。肩に担ぐだけで骨などはボキッといくのではないか、と通りすぎる人間はチラリと見ていく。
 その目が近藤には痛い。この二人の保護者にでも見られているのか。非難の目は欠かさず近藤に向けられる。
「どうだ、宗次郎。遠くが見えるか」
「土方さん。飴が食べたい」
「いいぞ」
 仲睦ましい兄弟に見えなくもないが、ますます土方が沖田におぼれていくように思え、近藤の胃はキリッと痛んだ。
「あっ……人形だ。でも僕がつくるものの方がきっと可愛くて上手で本物そっくりだよ」
 沖田が指を差した先を土方が見る。
「もちろんだ。宗次郎は器用だからな。まさに本物そっくりに作るぞ」
「そうだよね、土方さん。本物そっくりに作ってそこに髪とか入れたら形代になったり」
「今、流行の呪いの形代か」
「うんうん。とっても売れているんだよね。僕も見たけど、たいしたことないよ。僕の方がうまく作れる」
「そうかそうか」
「一般向けする人形は屋台とかでも売れるけど、こういう形代は

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やっぱり秘密取引じゃないと駄目かな。藁人形だってこっそりと神社の境内で取引しているの見ちゃったし。よく五寸釘で打たれている木にでも張り紙しようかな。藁人形より効果あり。精巧な形代販売中とか」
「うまい。宗次郎には商売の才能もあるぞ」
「わぁぃ」
 時折この二人の会話がとてつもなく遠くに感じる近藤である。
「僕、頑張るよ。土方さん、見ていてね。そうだ、第一号は土方さんの人形にするよ」
「おいおい。俺をのろうなよ」
「横で抱きしめて、土方さん、早く来てねって願掛けをするんだ」
 それはある意味呪いの言葉と同様であろう。
「宗次郎。おまえってどうしてこんなに可愛いんだ」
 とてもとても聞いていられない。
 吐息をつくと、目の前からは徳利を片手に顔を赤らめて歩いてくる男がいた。青年というには少しばかり年をいっているだろうか。三十代前半のまさに体格は剣術か何かで鍛えているのだろう頑健で、端正な顔をした気風のよさげな男が歩いてくる。
 一見酔いを見せているが、その足の運びは実に隙がなく、横切る男をサッと俊敏に避けているところからして、ただものではない。
「ちょいとごめんよ」
 と、男は近藤たちの横を通り過ぎようとして、ふと土方と沖田を見て、ニッと笑った。
「仲が良いご兄弟だな」
「兄弟ではないです。僕は土方さんの世話女房です」

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 エヘンと胸をはる沖田にフッと笑ってみせる。
「そうかいそうかい世話女房か。それはいいねぇ」
 男はその視線をスッと土方に向け、「じゃあな」と通り過ぎていく。
 一度見たならば忘れられぬ端正な顔のまさに「男前」だった。土方のように柔和で一見女のような「端麗さ」ではなく、男が見ても「よい男」と思える顔に体格ともいえた。
 どこからか「勝先生、逃げないで下さい」とその男の背を追っていく声も聞こえてくる。
 勝、という姓の男か、と記憶のどこかでとどめたが、
「土方さんの方がずっと良い男だよ」
 沖田が何かと張り合うようにむきになった声を出し、土方が快活に笑った。
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宵ニ咲ク花の如シ 5-12

宵ニ咲ク花の如シ 5章

  • 【初出】 2008年10月6日
  • 【修正版】 2011年12月19日(水)
  • 【備考】―幕末長州登場人物紹介
  • 桂と土方が友人設定。