時空の彼方から ―古の家刀自編― 一ノ章

1章



 飛鳥池辺雙槻宮。
 朝から降りだした雨は、シトシトと音を立てる。初夏の雨は生ぬるいこともあれば、今だ春を思わせる肌に絡みつく冷たさを思わせることすらある。だが庭に咲きはじめた藤の花には、やんわりと包み込むかのような雨は……花を引き立てさせるものだ。
 この雙槻宮の第一皇子の名は厩戸皇子。
 その名が示す通り、厩で生まれた皇子である。母穴穂部間人皇女が、臨月を間近にしながらも邸内を散歩している時に唐突に産気づき、近くの厩で出産となった。そこから厩戸という名がついた。正式名称は厩戸豊聡耳皇子。現大王敏達の異母弟豊日大兄皇子の嫡子となる。
 その厩戸皇子は当年六歳となった。
 この年頃の子供としては、醒めた目で大人を見る子だった。
 幼い時より他の子供と比較すると格段とお頭がよく、大叔父たる蘇我馬子が運んでくる仏教の経典を読むためだけに、文字すらもあっさりと習得したという恐るべき皇子として「神童」と称された。
『仏より授かった我が皇子』
 馬子は自らの知識をこの皇子にすべて注ぎ込み、皇子も水を得た魚のようにそれを習得していった。
 そんな我が子が頼もしく誇らしく、されど母穴穂部皇女は当に母の膝で甘えようとはしなくなったこの醒めた皇子が悲しくてならなかった。
(厩戸は……まだ六つだというのに)
 勉学や異国の情勢、またこの国の基礎となる国家の枠組みにしか興味がない我が子。せめて同い年の子供と駒をまわしたりすごろくで遊んでくれればと思うが、厩戸がたしなむ遊びと言えば「碁」くらいである。
(この皇子は一角の人間になろうとも決して幸せにはならない)
 そんな危惧を母が抱くのも当然なほどに、厩戸は子供らしくない子供だった。
「厩戸や。庭に咲く藤を一厘、母がために手折ってくれないか」
 次子来目皇子をその膝に抱きつつ、今日は母の傍で経典を読む我が子に声をかけてみた。
 スッと言葉なく立ち上がる厩戸のその優雅で洗練された姿を見つつ、あぁこの子は祖母にどことなく似ているのだ、と訳もなく思ったのだが。
「母君」
 いつからか大叔父蘇我馬子以外とは滅多に口を聞かない厩戸が驚いた声を響かせた。
「庭に……聖人がいる」
 何事か、と我が子の言葉の表現に疑問を持ちながらも立ち上がった穴穂部は、ようやく厩戸が雨の庭に裸足で降り立ったのに気付き、 「風邪を引かせては」と来目を采女に預け、厩戸の背を追いかけた。
 その厩戸は……藤の中にぼんやりと目の焦点もなく座す青年を見つめ、何を思ってか。何を感じてか。その幼い両腕を精一杯に広げ、そっと抱きしめた。
「皇子の……この厩戸の聖人」
 穴穂部は絶句する。
 とてもこの大和の衣とも、また百済や新羅または唐などの異国の衣とも思えぬ衣服をまとった青年は、抱きとめる厩戸に気づくこともなく、雨の水滴とは思えぬ涙を一滴流した。
 薄幸という言葉がよぎる。風情に重さと、人離れした悟りのようなものが見受けられた。だが人としての感情を超越し、包む気は無と表現できる。容姿は透き通るまでにきれいで、人間とは思えぬほどに儚げではあるが……これは人だ。
 かつて祖父が昔語りに語ってくれた一説が思い浮かぶ。
「時空の彼方から彼方をめぐり、我がもとにたどり着きし時渡り人」
 その一言に今まで焦点なく彷徨っていた瞳が、穴穂部を見た。
「あなたは……大王家の危機を救いたまう時渡り人か」
 青年は言葉なく、ただ穴穂部だけを見つめ、
 そして厩戸が抱きとめる中で、身を倒した。
 全身に雨が打つ。意識を失い目を閉ざした青年は、目を閉ざしてなお風情ははかなく目に映った。
「誰かありますか。誰か」
 そして、今なお青年に抱きついたまま離れない我が子を見て、穴穂部の鼓動がドクリと鳴った。
 厩戸の烏色の瞳に、確たる感情がよぎる。それは母としてはじめて見る人に思いいれを持った目だった。

 穴穂部は当年四歳の第二子来目皇子を抱きながら、この年頃のおり上の厩戸はまだ母の傍におり時折にこりと笑ってくれたことを思い出していた。
 それがたったの二年。子どもとはなんと成長が早いものよ。今ではにこりと笑うこともなければ、大人でも読めぬ経典に夢中になっている我が子。あまりにも理解能力が卓越していることに、この頃は蘇我馬子すら舌を巻いている。
 蘇我家の流れを汲む穴穂部とて仏教には信心深い方だと思う。異国より伝わる経典の教えに心を安らがせ、仏像を毎日のように拝み国の平穏を祈る。それは今朝廷が「神道か仏道か」と宗教を政治の道具としあい争う豪族の目論見とは違い、小さな平穏を祈る母の「願い」に等しい信仰ともいえた。
 時に現王朝においては政教分離が為されておらず、現在の朝廷の政治的駆け引きといえば、もっぱら異国より伝わった仏教という新しい宗教を国は受け入れるか如何かの争いがほとんどである。まさか「仏教」が政治的駆け引きの道具になろうとは伝来当初は思いも寄らなかっただろう。
 仏教推進派の蘇我、秦などの有力豪族と、神道を重んじ仏教を批判する物部、中臣の諸豪族が、皇族を巻き込んで激しく争いだした。
 豪族に急きたてられるかのように、朝廷の名のある皇族は、あるものは蘇我について次なる王位を望み、あるものは物部と組んで蘇我打倒をもくろむ。そして両者に組みせず高見の見物の人間は、ジッと目を凝らして自らが這い出る隙を狙っている。
 穴穂部の母は蘇我稲目の二女にして、馬子の姉小姉君である。
 今となっては一昔前の話となるが、皇族と蘇我家の結びつきを強くするために、稲目は二人の娘を時の大王欽明帝の夫人とした。稲目の長女堅塩きたし姫は、欽明帝との間に七男六女とあるが成人した子どもは少なく、上の額田部皇女は現帝訳語田おさだ大王の大后(正式には後妻)となり、下の皇子が厩戸の父豊日大兄となる。
 そしてその堅塩姫の同母の妹の小姉君と欽明帝との間の子どもが穴穂部となるから、夫豊日大兄と穴穂部は父方の血統でいけば異母兄妹であり、母方の血統を辿れば従兄妹となる。この時代の皇族間の婚姻は、血の濃さを尊ぶところがあり、異母兄弟の婚姻は禁忌とはされていなかった。一昔前では同母兄弟姉妹間の婚姻も平然と為されていたほどである。
 豊日大兄も穴穂部も母は蘇我家の出であることから、仏教には小さいころからそれとなく信仰があった。二人が幼いころはまだ「異端」であり「邪道」ともいわれるものであったが、叔父の馬子が経典など熱心に語るのでその熱意に引きこまれる感も無きにしも非ずだが、「大兄」という時期大王の有力候補の一人皇太子を意味する称号を持つ豊日大兄皇子としては、叔父蘇我馬子の力を背景にして「大王」位を得る算段ではあるようだ。
「来目や。おまえは……のびのびとお育ち。学がなくとも良い。神童などでなくとも良い。来目や……」
 そうして笑ってくれれば、母はとても安心する。
 穴穂部の膝にちょこんと座しながら、来目は庭の風情をジッと静かに見つめ、時に小鳥の姿を見ては手を叩く。
 犬やネコや馬といった風に、来目は生き物に興味があり恐れずに触れたがるが……普段は大人しい子供である。今、自室で経典を「時渡り人」に読み聞かせている兄の厩戸とどうしてこうも違うのか。
「時空の彼方から彼方をめぐり、我がもとにたどり着きし時渡り人」
 それは穴穂部の祖母たる手白香たしらか皇后の口癖であった。
 詳細は未だに謎だが、人昔前王朝は滅亡の危機に面したことがある。
 穴穂部の祖母手白香皇后の弟小泊瀬稚鷦鷯尊おばつせわかさざきのみこと(二十五代武烈帝)は、若くして死去した。この時、帝は後継を一切口にしておらず、また子どももなかったという。  王朝の危機と判じた大連大伴金村が、誉田天皇(十五代応神帝)の玄孫にあたる彦主人王の子どもたる大迹王おおどのおおきみ(二十六代継体帝)を越前に訪ね、大王となることを求めた。だが皇族の血も薄い帝であり、大迹王の血筋には疑問視されるところから、その皇后には金村は武烈帝の姉の手白香皇女を押したという。
『わらわは、弟の死を悼み喪に服しているときに、大連が唐突に大后(皇后)となることを半ば命じた。二十歳を過ぎていたわらわには既に許婚もあったというに、大迹王の王朝を正当化するためには皇后には皇家の折り目正しい血筋が必要だったのだろう』
 手白香は、億計おけのすめらみこと天皇(二十四代仁賢帝)と、その皇后春日大娘皇女(二十一代雄略帝の皇女)との間に生まれた三女である。
 穴穂部を膝に抱えながら、年老いた祖母手白香皇后は、よく昔話をしたものである。当然幼い穴穂部にはほとんど理解することはできなかった。
『夫となる人は五十を超えた男性。しかもすでに多くの子がおり、勾大兄皇子(二十七代安閑帝)はわらわより二十歳以上年上であったぞ』
『おばあさま……。そのような方を夫にすることはお嫌ではなかったの』
『当然、嫌であった』
 祖母はフッと寂しげに、だが威厳と優雅さを持つ笑みを見せた。年老いたとはいえ常に気品を備えた祖母の姿は、今思えば厩戸に重なるところが多い。
『嫌でのう。散々に大連を困らせた。大連もはじめは皇女としての責務やらを必死に説いていたが、わらわの頑固さにほとほと嫌気がさしたようじゃ。妹の橘を皇后にするかとまで考えたようじゃが、これがのう。悪いことに勾大兄皇子の弟檜隈高田ひのくまのたかた皇子(二十八代宣化帝)に見初められていてな』
 新たに大王となる大迹王には、尾張目子媛との間に多くの子があった。その子どもたちは大迹王が大王となれば当然皇子皇女となる。父として大迹王は息子たちにも皇族として後ろ指を刺されぬようにと、正妃には由緒ある皇女を立てることを命じた。
 長男で皇太子を意味する大兄の位を授かった勾皇子は、仁賢帝が夫人との間に儲けた春日山田皇女を正妃とし、その同母弟たる檜隈高田皇子は、まだ少女の橘皇女を正妃に望んでいたというわけである。
『……わらわは皇后などなりたくはなかった。傍系の年頃見合った王に嫁いで気ままに生きられればよかったのじゃよ。じゃが、わらわの前に摩訶不思議な女が不意に空から落ちてきたときに全てが一変した』
 ここから穴穂部は興味が惹かれ、ジッと黙って祖母の話を聞き始めた。
『まだ乙女であった頃わらわには僅かだが先を視る力があった』
 当代にただ一人、大王家の正当なる直系の皇女は「家刀自」と呼ばれ、神がかった「力」を常に宿しているといわれる。
 遥か昔の大王孝霊帝(七代)の皇女にして「家刀自」倭迹迹日百襲媛命やまとととひももそひめのみことは、その類稀なる力により三輪の神たる大物主神の妻となるが、神を怒らせ非業の死を遂げている。この後も当代に一人だけ神がかりの皇女が誕生し、家刀自と呼ばれた。それは王朝の宝として門外不出の秘事とされている。
 そして当代の王朝では、仁賢帝の皇女である手白香が、この「力」を宿して生まれた。
『しばしの間、家刀自に相応しき力を宿す皇女は生まれなかったが、運悪くわらわが久方ぶりの家刀自であったらしい。先を言い当てるわらわを父は嬉しげに見ていたものぞ。王家の家刀自として、そちはこの王朝を支える礎となる』
 そしてそなたは、大王の皇后とならねばならない。
 家刀自の力を有する皇女は、大王の皇后となる決まりが幾世代前から暗黙のうちに定められていた。
 だが大王位は実弟武烈帝が継ぎ、武烈が皇太子と為す実弟もいなければ近しい親族にも皇子がない中では、家刀自としての手白香の役目も有名無実となった。有力な豪族となった傍系の王と許婚の仲となり、手白香も地方に埋もれるのも悪くはないと考えていた矢先のことである。
『じゃがな。昔よりわらわはよく夢を見た。予見か夢か判断に窮するものじゃが……一人の少女がいつかわらわの前に現れる。それはのう。よく覚えておくといい穴穂部。王家の家刀自の伝承でのう。 この国がこの王朝が危機に面するおり、それを救う時渡り人というものが現れ、必ずや家刀自を助け国を救う。言い伝えじゃとばかり思っていたが、夢でも何度も見た。みたことがない衣に身を覆われた少女がわらわの前に立つ夢をのう。 そして皇后を断り続ける中で、夢にも見た少女が空から落ちてきたのじゃ。……懐かしいのう、もう数十年も昔のことじゃ。その少女上宮遥は……後の後の血筋の子。哀れなことに目が見えんかった』
 時渡り人が目の前に現れたときに、手白香はこれが王朝の危機たることを如実に知った。伝承と思っていたことが今目の前に事実として突きつけられ、現れた時渡り人は庇護を必要とする非力な目が見えない少女でしかなかったのだ。
『なぜかこの子を守らねばならないと思った。ただの皇女たるわらわには人の子一人守る力もないというに守りたいと思った。この国のためこの王朝がため親しい友とも父母兄弟姉妹とも別れ、一生あいまみえることが適わぬ国に渡らねばならなかった少女に比べれば、 この身はいかに? 大王の皇后となることで国がおさまるならばぜひも無しと心境になった』
 こうして手白香は皇后となり、その傍らにはいつも目の見えぬ采女の遥の姿があった。
『父と一つしか違わぬ男に触れられるのはおぞましいものであったぞ。これは穴穂部にはまだ分からぬことかも知れぬが』
 手白香の皇后たる意味は、現王朝の血に連なる「直系」の皇子を一刻も早く誕生させることにある。
 大連の金村には急かされ、閨に侍るのはできるだけ避けたい心境の手白香は、心を殺して情を通じ合っていない夫と「未来の大王」たる子を産むために毎夜のように情交を繰り返した。
『その中でわらわの僅かに残っている予知の力は消え失せた。消え失せるのと同時に腹に宿ったのがそなたの父の志帰嶋しきしま(三十二代欽明帝)じゃ』
 祖母は穴穂部の頭をやさしく撫ぜ、見上げる穴穂部の瞳をジッと見つめる。
『わらわより遥に志帰嶋は懐いてのう。楽しげに志帰嶋をあやす遥は儚いながらも実に美しく……美しすぎた。夫の皇子たちが心奪われるまでに美しすぎて……目が見えぬゆえに哀れでのう。誰か遥を幸せにしてくれる男はいないかと探したが、その間に強引に勾大兄皇子に陵辱され……皇子を儲けたが、その子もすぐに亡くし悲嘆のあまりに体を壊して……』
 よく泣いた。帰りたい……と。
 見知らぬ歌を繰り返すように囀っては、その閉じられた瞳からは無数の透明な涙が落ちた。
 家刀自たる力には「時戻しの力」というものがある。時渡り人をもとの時間軸に戻す力だが、当代の家刀自たる手白香は乙女でなくなったときに力は消え失せ、遥を時に戻すことは適わなくなっていた。
『おばあさま。その時渡りの遥はどうしたの?』
『国の正当なる跡継ぎたる志帰嶋は、二人の異母兄と仲がとにかく悪くてよく争った。兄が帝位につこうとも、臣たちがそれを認めずまだ少年の志帰嶋を立て……王朝が二つ存在する憂き目を見てのう。臣たちは少年ながらも正当な血筋たる志帰嶋につき……勾皇子も檜隈高田皇子も有力豪族に担がれ一時は御位に就いたが、まもなく二人ともが幽閉された。勾は……最期まで遥にこだわってのう』
 幽閉されてなお、「朕は大王なり」と主張し、「大王の妃」として幽閉場に遥を強引に連れていった。もとは温厚でやさしげなところもある大王だったが、御位を剥奪されたときから意識が尋常ではなくなったように見受けられた。
『遥は……勾が好きだったのかのう。それとも憎んでいたのか……。父とかわらぬ年ほどの男と……ともに逝った。勾を一人で逝かすわけにはいかぬと儚げに笑って共にいった』
 手白香の目は遠く遠くを見つめるように揺らぐ。
 狂気と身を覆った病のため病死した安閑帝は、最期の最期まで遥の手を握り締め、そして帝が息を引き取ると同時に、やさしく儚くそれはまるで菩薩の如し笑みを見せた遥は、自ら毒をもって命を終わらせた。
『かわいそう。おばあさま……かわいそう。時渡り人は……しあわせではなかったの』
『幸か不幸かは本人しか知れぬ。わらわも志帰嶋もどれだけ悲しんだかはもう昔の話じゃが……未だに忘れられなくてのう』
 昔語りは終わりだとばかりに祖母は、やさしくやさしく穴穂部の髪をなでつつ、
『そちは遥によう似ている。なぜじゃろうな。こうまで似ていると……生まれ変わりを信じたくもなる。……穴穂部、よう覚えておくといい。そちには家刀自の力の片鱗がある。残念なことに家刀自の力は有さなかったが、わらわの消えた力の一部は志帰嶋を得てそちに伝わり、いずれそちから生まれいずる子に、家刀自の力は伝わっていくだろう』
 確たることは言えぬが、そちはおそらく皇后となる。
 そして、家刀自の力を有するそちの子は、この国の基盤を造り、この国に隆盛をもたらす主となろう。
 それから間もなく祖母は逝った。
 穴穂部には不確かな「家刀自」の伝承だけが残され、以降時折思い出しては自らが生む子が「家刀自」たる力を有することを恐れ続けた。
 すでに伝承となり、手白香皇后亡き後は「家刀自」の地位も役割も有名無実化している。天照に仕える「斎宮」に、皇女にて純潔なる乙女が選ばれるが、そこに「力」などもとめられなくなった。
 ましてや穴穂部が生んだのは二人続けて男子。きっと祖母の見当外れだ……と言い聞かせながらも、厩戸を見ていると、不意にまさかと思わずにはいられず居たたまれない。
 ……年を重ねるたびにあの毅然とあり優雅で流麗だった祖母に、厩戸は似ていく。だが厩戸は男子だ。どのように有能で神童であろうと……厩戸は皇子である。大王家の「家刀自」は代々直系の皇女に受け継がれてきている。蘇我家の血が濃いだろう厩戸に「家刀自」の力が受け継がれるはずがない。
 だが、と穴穂部は苦しみの顔を刻み、来目をギュッと抱きしめた。
(……アレは三歳のときに予見をした)
 七日後の人の死を如実に伝え、時に天候を予見し、天変地異を知らせる力を……穴穂部は「偶然」と片付けたかった。
「おばあさま……厩戸はまさにあなた様の生まれ変わりの如しでございます」
 空を見つめながら声を震わせ穴穂部は呟いた。
 そして今、厩戸のもとに不意に現れた「時渡り人」の存在が、穴穂部に不安を抱かせる。
「時空の彼方から彼方をめぐり、我がもとにたどり着きし……」
 時渡り人が現れたということは、今が「王朝の危機」なのか。そして時渡り人が手助けと為るべし「家刀自」は……やはり我が子厩戸なのか。
 穴穂部が「家刀自」という地位に嫌悪感を示す理由の一つに、祖母をはじめ歴代の家刀自は敬われる稀有なる存在であると同時に、誰もが幸福たる一生を得ていないという共通点があるところである。
 どちらにしろ十五の成人の年までは確たることは分からぬ。そう厩戸はまだ六歳。まだ判じるには早すぎる。
「家刀自に時渡り人。もしも厩戸が家刀自の力を得ているならば何かの吉兆か、不吉か。男の家刀自など前代未聞」
 これから先、何かよからぬことが起きるのではないかと穴穂部はすでにこの時より予感を全身で感じている。
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時空の彼方から 古の家刀自編一ノ章 1章

古の家刀自編一ノ章 1章

  • 【初出】 2007年ごろ
  • 【改訂版】 2013年1月21日(月)
  • 【備考】 横書きパージョン
  • 登場人物紹介