5章
……その輝きは天地を照らし、その光は「真」を映し出す。
時雨は朝日を鏡面にあて、「聖鏡」をジッと見つめていた。
多くの古文書にその名が記されている「聖鏡」
言い伝えによれば聖王君より上宮家に伝えられ、家の最たる「宝」として大切に扱われてきた鏡である。
時雨は朝日によりさらに輝く鏡を見つめながら、ふと思ったことがあった。
どの古文書にも聖鏡が二対あるとは記されてはいない。
昭和二十年の上宮家には確かに二対存在した鏡。それが意味することは何なのだろうか。
真なる鏡は一対なのではないのか。それが「時渡り」の恵し子により時代を移動して、あの時点では二対そろっていたのだとしたら。
聖王君より伝わるという言い伝えは、室町中期あたりの書物に付け足されていた一文である。だが、ここに時雨自身が鏡を持ち込んだことに由来するのかもしれない。
(どの古文書にも、どの時代の上宮家にも鏡は一対と記されている)
それが昭和の一時二対そろっていた意味。
時雨は目を閉ざす。
これは時が定めた運命なのか。それとも必然といわねばならないのか。
夏の終わりを告げる風が、わずかに涼を含んで時雨の髪を撫でる。夏の訪れとともにこの地に降り立ち、もう秋を迎えようとしていた。
時雨の髪もわずかに伸びて、今は肩に届いている。髪を切るに切れず、伸ばし放題になっているが、前髪は目にかかりいささか邪魔と言えた。
人がその土地の風習になれるのは、さして時を必要としないのかもしれない。
ふと、あの昭和という年代に在ったことが、どこまでも遠くなりつつあることに気付いた。
自分は確かにあの「昭和」で生きていた。空襲警報も聞いた。戦争という醜くも哀しい足音が、あの田舎ともいえる上宮村にも確かに存在した。だが従兄弟の誰に赤紙が来ようとも、誰が戦死しようとも、どこまでも時雨には遠くとおく……。
今、大きく息を吸ってみる。
清涼なる空気を吸い込んで、あぁ自分はここにある、と時雨には思えた。
生まれ育った「昭和」の上宮家ではなく、この場所。この大和朝廷が国を統治していたこの時代。後の上宮王こと聖王君が側にあるこの地が、どうしてか泣きたいほどに「生きている」ことを感じさせてくれる。
日でいちばんに美しく輝く朝日は、鏡を明るく染めつくす。
……その輝きは天地を照らし、その光は「真」を映し出す。
古文書に記されたこの言葉が真だとするならば、いつかこの自分に「真実」を映し出してくれるだろうか。
「……真実?」
時雨は声を出さずに、口元にだけ笑みを刻む。
……私が知りたい真実とは何なのでしょうか。
欲する答えも、真実も、私にはあるのでしょうや。
「時雨?」
ぼんやりとした顔で、厩戸は長い下衣をズルズルと引っ張って姿を現した。
「皇子」
目を必死にこすり、今にも眠りの中に戻りそうな顔をして、見上げてくる黒き烏色の瞳。これは上宮家特有の純血な「黒」だ。
得てして上宮一族の瞳の色は、闇に近い黒である。それは他の一族との婚姻などにより僅かに薄まっていくこともあるが、純血の直系はみな完全なる「黒」だった。
宗家直系の時雨の目も「黒」
祖母はよく「透き通るかのような黒色」とその目を凝視していたことを思い出す。
身もこの目も「上宮直系」の血に彩られようとも、十八年の間「忌み子」としてあり、この身は穢れていることを周囲の暗黙な無視の目でしらしめられてきた時雨には、直系の色は重かった。
「時雨。……目覚めても、おらぬゆえ」
探した、と厩戸はゆっくりと時雨の前に立ち、コテンとその身を倒してくる。
受け止めることに時雨にはもはやためらいがなくなっていた。
始めて厩戸を抱きとめたときなどは、この身の穢れが聖王君にうつってはならぬと躊躇したのだが、今は厩戸が望むならば、この腕をもって抱きとめたいと思うように変わった。
「申し訳ありません、皇子」
四歳の年から、父母と離れて東の対で一人で眠る皇子だった。母穴穂部は、そのことを哀しく思って「側でお眠りなさい」と何度も勧めているのだが、皇子は頑としてそれを拒む。おそらくは弟の来目を気遣ってのことなのだろうが、甘えてくれない我が子を穴穂部は寂しく思っているようだ。
その皇子が、今では眠るときは必ず時雨に添い寝を望む。
一つの褥で体を寄せ合って眠ることも多い。
眠っている間に時雨が消えるのではないかと思うと怖い、と厩戸は眠りの間も時雨の袖を握りしめて離さないでいた。
聖王君と一つの褥で抱きとめて眠ることに、時雨としては躊躇いがそれこそ多分にあったが、今ではそれも慣れが解決したといえる。
今日は、夜明け前に目が覚めてしまい、そっと褥を抜け出してきたのだが、かえって厩戸を不安にさせたようだ。
「もう少しお眠り下さい」
子どもは朝の体温が平熱よりいささか高い。今の厩戸の体は温かなぬくもりに包まれ、抱いている時雨の体をも温める。
「時雨も一緒に」
「はい」
そっと厩戸を抱き上げ、東の対に戻るために立ち上がる。
朝の小鳥の囀りが聞こえてくる。先ほどまでは清涼な風情だった館に、ささやかだが人の活気が覆い始めた。
空を見れば、雲ひとつのない天候。今日も残暑の猛暑が襲ってきそうである。
上宮家は朝食は家族そろって頂くことにしているようだ。これは他の皇族でも豪族でも稀なることで、家族の仲の良さを物語っている。
穴穂部が来目をそっと膝に抱き、その傍らに厩戸が座す。中央には父たる豊日が座り、時折我が子の姿を見て顔を綻ばせた。
時雨は朝食は与えられている自室で取る。この西の対に与えられた一室で一日を過ごすことはほとんどないが、一応は自分の部屋だ。
だが、ここにある時は一人の時。一人で物を考え、一人で息を吸うとき。それが妙に物悲しいのは、厩戸の側にあることが「当然」となってしまったからといえた。
夜明け前に目覚め、ふと思い立ってこの部屋に戻った理由も、一人で「聖鏡」について考えたいことがあったからだった。
今、時雨の手元にある聖鏡。そして、遠き時空を超えて「昭和」という年代にあるもう一つの聖鏡。
この意味が、気になり続け頭から離れてはくれない。
真実を映し出す「聖鏡」は、何を意味するのだろうか。
(私はなんのために……ここに在るのでしょうか)
時空を超えた以上は、自分はおそらく「恵し子」なのだろう。上宮の宝に等しい唯一高貴にして絶対なる存在と記されたモノ。だが時雨は逆縁の子として生まれながらに幽閉され、物心つくころから忌み子といわれてきた。
忌み子と真逆にある「恵し子」……その存在は、生まれながらにして当代の巫女により判じられるという。
そう巫女がその子の定めを生まれながらにして読み、記録の「恵し子」と照らし合わせて名をつける。
過去に時空を渡った「恵し子」の記述も、紙が少しずつ普及されるようになり、上宮村が成立した奈良時代からは如実に記されている。
いちばん最初に記録に記される恵し子の名は「上宮海人」
上宮家の血を繋ぐ最たる働きをした恵し子といわれる。また先祖がえりに等しい聖力を有し、その力は聖王君に勝らずとも劣らぬものであったといわれる。が、その海人の記録はほとんど上宮家に残されてはいない。
ならばその前の記録は……どうなっているのか。
その海人が時をわたるのは大化の改新の数年前であったと記録している。かの山背大兄王と大王家の争いの前だ。そのおり上宮家の子を救い、その血が繋がって「上宮家」が成立した。
だがその後どこにも海人の記録は記されていない。
海人を支えた人物として名を記されるのが、中臣鎌足。かの大化の改新の折の功労者だ。
幽閉され自由になるのは書物を読むことだけだった時雨は、古文書から歴史書まで多くの本を読んだ。祖母がせめて歴史を学び、上宮の歴史をまとめるために役立ててはどうか、と勧めたこともあったが、時雨はどうやら生まれつき書物が好きであり、そして歴史が好きなようだ。何一つ苦もなく、自然と知識が頭に入っていった。
そのため上宮の歴史には、巫女たる祖母と同等に等しい知識を有している。
「恵し子は……大王家の家刀自を護り助け尽くすもの」
そう記述されている。
かつては家刀自は大王家の皇女に限られていたようだが、神代との縁が徐々に薄れていくにつれ、家刀自という一種の神がかった力を持つのは皇女に限らなくなったともある。
自分が恵し子ならば、助けるべき家刀自は誰なのだろうか。
……時空の彼方から彼方まで、廻り廻りて参られよ。時に愛され、時に誘われし、稀代の恵し子。時雨、聖王をお頼みします。
(お婆さま)
あなたは何を知り、何を隠し続けたのでしょうや。
奈良時代前の「恵し子」の記述も、また大王家の「家刀自」の記録も定かでないため、家刀自を護らねばならない「恵し子」が、誰をして家刀自か分からない現状といえた。だが記録には、
時渡り人となった恵し子は、当代の家刀自と自然と惹かれあう。共に在ることを定められている、とある。
(私は誰がためにある時渡り人なのでしょうか)
あの時……。聖王を、と祖母は言った。
上宮家の祖たる「聖王君」厩戸皇子こそ、この時代の家刀自ということで良いのだろうか。そうでなくとも祖たる聖王君を守るのは、当然のことであり、時雨の心をして「護りたい」と思う。
(私が知らない記録……私に見せられていない書物は、多くあるのですね)
いつかその疑問を、この真実を映す鏡が教えてくれるような、そんな期待を抱く心。すべてはいつか明らかになるとこの血が教えてくれているような気がする。
「聖鏡よ」
この思いを乗せて、かの昭和の時に運んでくれまいか。
帰りたいと思う心はない。されど知りたいと思う心はとめられない。
ただ一つ。
この地に、この時に、自分はあるべくして在る存在といえようか。
「きれいな鏡ですね」
不意に耳に届いた声に、無意識なのだが時雨は鏡を庇うようにして抱きとめてしまった。
「なにも奪ったりはいたしませんよ。ただ……その鏡は八咫の鏡に似ていると思いましてね」
その少年は庭より館にあがった。時雨の傍らに座り、やさしく優雅な微笑みを刻む。
「知っておられましょう。天岩戸伝説を」
時雨にはこの少年に対して得体の知れなさはあったが、不思議と何一つ警戒する心はない。それを「なぜ」と思うこともなく、総じて分かるのはこの人物に「蘇我の血」を感じないことといえた。
時に穴穂部や豊日からも蘇我の純血ではない血が感じられ、胸騒ぎがすることすらある。厩戸にも蘇我の血は確かに感じるのだが、その血は不思議なことに浄化されているらしく、時雨の心を騒がすことはない。
この少年からは一滴たりとも蘇我の血を感じられず、むしろ時雨の体中の血は、この存在をしっくりと受け入れているのだ。
「天照大神のお話ならば、言い伝えまでに」
数多くの皇室由来の神話が書かれる古事記、日本書紀の原文を本で読んだということは口にできない。
ましてや記紀は、奈良時代に刑部、舎人親王や藤原不比等という未だこの地に生まれてはいない存在により記されたものだ。
「言い伝えは語り部により伝えられます。……語り部は皇族以外に言い伝えを明らかにしてはいけない決まりなのですよ」
少年はあくまでも穏やかに微笑む。
「でもあなたは知っている。なぜかをあてましょうか? それはあなたが時渡り人だからでしょう」
ドキリと時雨の胸はふるえたが、それを賢明にも顔には出さなかった。
穏やかに品のよい笑みを少年は浮かばす。
「豊日さまは未だ表沙汰になされるつもりはないようですが、朝廷では時渡り人が降臨したと囁かれています。時渡り人の存在はヤタ烏が帝に告げるとの言い伝えですが……私には真偽は分かりません。ただ……この池辺宮のことは、朝廷には筒抜けですから」
暗に内通者や監視者がいるとほのめかす少年を、時雨は不快にならぬ程度に凝視する。
烏帽子をつけているところからして、元服を終えているのだろう。時雨は人の年を測る眼力は有していないが、おおよそ十五歳ほどかと見当をつけた。間違いなくこの自分よりは年下と判じられる。
上下ともに絹しつらえの衣を羽織り、袍は紫色で銀糸で織られていた。この時代は紫はいちばんに高貴なる色を表すことから、この少年の身分は「皇族」と検討がつく。蘇我一族の惣領息子たる毛人ですら黒の袍を着ていたのだから、紫の袍を身につけられるなど皇族……それも位が高いものなのだろう。
「その天岩戸伝説で、伊斯許理度売命(イシコリドメノミコト)により作られ天照のお顔を映した八咫鏡は今でも朝廷の宝物庫にある、といわれています。語り部は熱田の社に祀られたままだといいますが……私は、子どものころに父君に一度だけ見せていただいていますから。アレがまごうことなき八咫鏡なら、今なお宝物庫にあるのでしょう。……その鏡とよく似ています」
にこにこと微笑まれるので、時雨もつられるようにして口元に笑みをつくってしまう。
「どうして似ているのか。気になりませんか」
クスクスと少年は笑い、時雨の耳元に口を寄せ、
「もともとは八咫鏡は二対。双子鏡だったからですよ」
ハッと顔をあげその少年の瞳を凝視すると、優雅で上品な笑みだけを刻んで少年は時雨から離れた。際立って端正な容貌とはいえないが品よく整い、その柔らかさは不思議と人の警戒を解く効力があるようだ。
「一対は宝物庫にあり、一対は時渡り人に渡され遠き先に渡った」
「あなたさまはなぜ……それは本当のことなのでしょうか」
「さぁ……私は知りません。ただ門外不出の言い伝えですが、この一文を誰も信じないので語り部がしょげていたことを思い出したのです」
面白い記述ですよね。まことにこの伝承が本当ならば、天照大神のお顔を映し興味を引くために作られた鏡が、どうして二対なのでしょう。
時雨の心拍数は徐々にあがっていった。
鏡はもとは二対あり、もう一対は時渡り人に渡され遠き先に渡った。
その衝撃的な話しとともに、時雨の頭には何ゆえにこの少年がそのようなことを知っているのか、という疑問が脳裏に浮かぶ。
「鏡については、かの岩戸隠れの際に、天照に鏡を差し出した天児屋命(あめのこやねのみこと)を祖とする中臣一族が詳しいですよ」
あの一族は代々神と人との仲介者たる「祭祀人」ですから。
少年はそのまま縁より庭におり、時雨に一礼をした。
名を聞くのを忘れた、と時雨が庭に下りたときには、すでに人の気配はない。
(八咫鏡に似ている……)
不意に現れ、新たな謎を時雨に突きつけ不意に消えたその少年は、いったい何を言いたかったのだろう。
「時雨」
朝食を終えたらしい厩戸は、今日は来目の手を引いて足早にかけてきた。
「皇子、お食事はおすみになりましたか」
「すんだ。ちょうど父君に客が訪れたので、来目を連れて退散してきた」
にこりと笑った厩戸と、その厩戸の手をしっかりと握り締めている来目。
「お客様ですか」
「そう、誰かは知れないが、おそらく幸玉宮からだろう」
それは大王訳語田大王が住まう宮であり、政治の中心たる場を意味する。
厩戸は時雨の傍らに座し、その膝に来目を乗せる。意外と弟思いで、この頃は来目と一緒にいることが多くなってきた。
「皇子、先ほどここにもお客さまがおこしになりましたよ」
「時雨に客が?」
「えぇ、誰とも知れません。この鏡を見ていかれただけですから」
そうか、と何一つ興味を抱かず、厩戸はコテンと時雨の肩にもたれかかる。
「時雨」
「はい」
「……どこにもいくでないぞ」
烏色の瞳を閉じて、呟かれた淡々とした声音。
「時雨は、どこにもいくところがありません」
……こうして皇子のお側におります。
残暑の風が今は最期の夏の名残を伴って、少しばかり強く吹いた。
されど二人こうして寄り合っていても、暑さは感じられない。
むしろ厩戸の体温は時雨に心地よさだけを与える。
……一対は宝物庫にあり、一対は時渡り人に渡され遠き先に渡った。
真偽不明のその言葉は、時雨の胸に波紋をにじます。
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時空の彼方から 古の家刀自編一ノ章 5章