時空の彼方から ―古の家刀自編― 一ノ章

3章



 夏の日の出は早い。七ツ時(朝四時)にはすでに周囲は明るくなり、鳥の声すら聞こえてくる。
 時雨の目覚めは早朝の清みきった清涼なる風による。初夏であり、昼日中は焼けるほどの暑さをもたらすというのに、早朝は実に涼しい。
 この時代……大和王朝の人々は、まさに日の出とともに目覚め、日の落ちとともに眠りにつく。それはまだ灯りという技術がほとんど発展していないからでもあり、まさに明治の世にランプが普及するまでの間、日の出とともに起き日没とともに眠るという風習は、多少の変化はあろうとも庶民の生活の基本とされた。
 闇を照らす蝋燭はまさに貴重品だ。が、燈台の灯りでは闇を覆い尽くすことなど不可能に等しい。月星がない夜などまさに夜目に慣れた目であろうとも、自分の手も足も見えない真の闇が広がることを知った。
 この池辺雙槻宮で数日を送った。全てが慣れた生活とは違う未知数なものでしかなく、右も左も分からないことばかりだ。それでも、と思える。この館は、あの座敷牢に比較すれば「息吹」を感じられるような……錯覚かもしれないが、そう感じるのだ。
 今までの自分は、どこにいても息を吸っているだけであった。
 どこにあろうとも、この自分には同じであり、「場所」にさして問題は無かった。その心に変化が生じようとしている。
「時雨、母君がこの中のものを着けてみるといいといっている」
 そこへまさに大きな箱に押しつぶされるような体で、厩戸が唐櫃を抱えてもって来た。端を二歳違いの弟の来目皇子が一応は支えている。
 六歳の厩戸の体と同じくらい唐櫃は大きい。時雨はすぐにその唐櫃を厩戸より受け取り、部屋の内部に運んだ。
「重くありませんでしたか」
 申し訳ありません、と来目の汗を布で拭き取っていく。来目も兄厩戸によく似て感情の起伏が激しくなく、仏頂面でジッと時雨を見つめるばかりだ。
 厩戸が唐櫃の蓋を開けた。中より色とりどりの布を手に取り「鮮やか過ぎて時雨にはそぐわぬ」と抑揚のない声でいった。
 そして布をポイッと放り投げ、その布を来目が拾っているという有様の中、どうやら一番下に畳まれていた紺色の布を手に取り、これならば、と厩戸は決めたようだ。
「皇子が手伝うゆえ、あててみよ」
 淡い紺色の上衣は、夏の日差しの中では涼しげに映える。
 「はい」と頷いた時雨を待っていたかのように、不意に来目が時雨の身につけている上衣を引っ張る。だが羽織袴が珍しいらしくジッと見ていたりするが、「脱ぐ脱ぐ」とまた引っ張る。
 下着をつけ、内衣というものを身につける。ズボンと袴の中間のような白袴をはき、袍という上衣を着る。上衣はリボンに似た結び紐で腰周りを結ぶ、また襟の袷部分も結んだ。
 現代の衣服とさして変化はなく、館では羽織袴といった和服に常に慣れていた時雨は動きにくさを感じることはない。ましてや靴は草履よりも多分に履き心地も良く動きやすい。
「似合う、似合う」
 来目がパチパチと手を打ち、はじめてにこりと笑った。
 よくその母穴穂部間人皇女に面差しは似ている。末はさぞや厩戸同様に美しい皇子となろう。
「時雨」
「……はい、皇子」
 特別な時以外は厩戸を「皇子」と時雨は呼ぶことにした。
「そなたは女子ではないのか」
「なんと申されました」
「皇子は時雨は女子と思ったのだが、ちがうのか」
 ジーッと厩戸の烏色の瞳が時雨の瞳を絡め取る。
「……女子の方がお宜しいのですか」
 途端に、時雨はなんとも申し訳ない気持ちとなってしまった。
 聖王君たる厩戸皇子に不快なる思いを抱かせることは、時雨にはとても苦しいことだった。ましてや出生にて「なぜ女子に生まれなかったのか」と幾度も無言の圧力をかけられてきた時雨にとって、この手の話題は胸をしめつけるほどに、哀しい。
「どちらでも良いが。皇子の目は女と見たというに、おかしい」
 六歳の子どもとは思えない理知的な目をし何か考えこむ風情となった厩戸だったが、すぐに「まぁ良い」と考えを打ち切った。
「髪は結えるまで伸ばすように」
「心得ました」
 伸びるままにされている後ろ髪が肩に届く程度であり、とても結える長さではない。結うまでに一年ほどかかりそうだ。
「……時雨」
「はい」
 厩戸はそっと時雨の背後にすわり、コトリと背中にもたれかかってくる。
「慣れてくれ」
 その思いがよく理解できる時雨は、もたれてくる厩戸の重りを受け止めながら「承知しました」と答えた。


「時渡り人か」
 磐余宮に出仕していた館の主橘豊日大兄皇子が三日ぶりに戻り、妻の穴穂部より簡単に事の次第を聞いた。
 豊日皇子は現帝訳語田大王の異母弟にあたる。有力な皇位継承者が名に称する「大兄」を与えられ、蘇我馬子という大豪族が後ろ盾であることから、次の帝位に最も近い人物と目されていた。
 豊日も穴穂部も蘇我家とは近い間柄にある。先にも説明したが、両者に流れる血の半分は蘇我家のものだ。それぞれの母が蘇我馬子の姉ということから、特に馬子とは密接した間柄を築いていた。
「時渡り人は、大王家の家刀自につく。だが……手白香の婆さま以来、家刀自と言わしめる力を持った皇女などおるまいよ」
 現王たる兄の皇女を思い出そうとも、皇家の純血なる直系はいない。先の大后広姫との間には逆登皇女、菟道磯津貝皇女という女子がいたが、どちらも平凡な皇女だ。家刀自の力などあろうはずがない。
「豊日さま。手白香の祖母は私に……わずかに家刀自の力の片鱗がある、と。いずれ私が生む子に家刀自の力は伝わると仰ったのです」
 穴穂部が言いづらそうに語った内容に、少なからず豊日は驚きを面に出した。
「……初耳だ」
 ましてや穴穂部は大王家の純血な皇女ではない。その身に渡来系の蘇我の血が流れるというのに、何ゆえに家刀自の力の片鱗など受け継いだか。
 されど豊日に限らず大王家では、先の家刀自であった手白香皇后の言は絶対に近い効力を持つ言葉であった。それは神がかった言の葉と呼ばれ、父の欽明帝は、平伏して王朝を支える母手白香皇后を崇めていたほどだ。
「私が授かる子に何一つ力がなければ……あの偉大な祖母でも読み違いをしたと思うことができました。されど……」
 その言葉をとってしても、穴穂部が「家刀自」という言葉を良きものとして受け取っていないことは明確である。
「穴穂部、厩戸も来目も皇子ではないかい」
 なにを動揺しておる。落ち着きなさい、と肩を抱く夫の顔を見、自らを落ち着けようとしても、穴穂部の胸騒ぎは一向におさまらない。
「豊日さま。……時渡り人は王朝が揺らぐときに現れ、時の家刀自を助け、この国を安寧に保つものだと伝えられております」
「その通りだ」
「家刀自は王朝を支える礎。…大王が正妃となることが決まり」
「穴穂部」
「……厩戸は皇子。なれど……あの子が三歳の時に予言めいたことをしていなければ……これほどに気に病むことはなかったでしょうに」
 三年前に、厩戸はある舎人を指差し「七日後に仏と成る」と小さくいった。
 その舎人は神道崇拝者で「仏」という意味を悟らなかったが、穴穂部は厩戸を抱きとめて身を震わせたものだ。
 仏教にて「仏となる」というのは、「成仏」を意味する。つまりは「死」を意味するのだ。
 厩戸の言そのままにその舎人は七日後に死した。  水遊び中に舟から落ちての溺死であったと耳に入ったとき、腕の中に抱く我が子がまるで途方もない「神がかった」ものに見えて、抱きとめる腕が震えているのを、あの烏色の瞳はジッと見ていた。
(そういえば……)
 あの時から、と不覚にも今となって穴穂部は気付かされた。
 厩戸が極端に大人び、穴穂部の腕に抱かれることもなく、豊日の膝に甘えることもなくなったのはあの予見からだ。
 来目が生まれたために「兄」として遠慮してのものと思いはかっていたのだが、もっときちんと考えねばならないことだった。
 来目を育てることに必死で、また厩戸も母の傍におりまだにこりとした笑みを見せてくれていたので安心もしていた。
(あの無垢な笑みを見せなくなったのは……いつでしたか)
 今ではあの落ち着き払い無表情で時に冷笑まで浮かばす表情と、子どもらしさなど微塵も伺わせない洗練され優雅な物腰ばかりが目に付く。
 その姿がさらに穴穂部に不安を抱かせるのだ。あまりにも祖母手白香皇后の姿が思い浮かんで……居たたまれない。
「……厩戸は我々よりも手白香の祖母に似ていると思われませんか。あの優雅にして毅然とある……とても六歳とは思えない利発すぎる頭脳。私は……不安でなりませぬ。男の家刀自など前代未聞なれど……時渡り人まで現れたのですから」
 上宮時雨の存在が穴穂部の不安を増長させる決定打となった。
 肩を小刻みに震わす穴穂部を、わずかに瞳を細めて豊日はそっと引き寄せる。そして穴穂部の腹を撫でた。
「身ごもっている子が家刀自たる女子かもしれぬな」
「豊日さま」
 途端に頬を僅かに染めた穴穂部は、穏やかな母としての顔と艶やかな女の色合いを均衡に表した。
 豊日は妻の頭をやさしく撫でつつ、愛しくてならない妻であり異母妹の頬にも触れた。
「懸念いたすことは無い。厩戸は蘇我という異国の血をも持つ。なによりも皇子。家刀自などありえようはずがない」
 気に病むことなく、丈夫な子を誕生させることだけを考えるといい、と豊日はできるだけ優しく言い、頬を撫でる。
 自然と立ち上がり、開け放たれた蔀より庭に出た。
 厩戸は館内で経文に目を通し勉学に励むか、夏になると庭に下り、藤棚をジッと眺めていることを好む子どもである。
 大王家の皇子皇女の中で一の神童と称えられ、豊日の実姉である額田部女王(欽明の皇后)が「可愛い甥」、と特に目をかけているほどだ。
 そう誰もに羨ましがられる才色兼備の池辺宮の嫡子。
 ……厩戸は我々よりも手白香の祖母に似ていると思われませんか。
 穴穂部が声を震わせ叫んだこの一言は、豊日の胸にも波紋を投げつけた。
 王朝の系統を守り抜いた皇后として、燦燦たる史に名を刻む豊日の祖母にもあたる女性。少年の時分に亡くなったが、年老いても優雅と毅然さを失わず、まさに颯爽としていた女性は誰もに敬われる真実の皇后(大后)であった。
 確かに物腰も風情も、あの理知的な烏色の瞳も、手白香皇后に似通っているところは多い。だが、時折見せる子どもらしい顔は愛らしいまでに穴穂部に似ていることを、妻も厩戸も知らぬのだろうか。
 豊日は歩を進めながら、 今なお崇め奉られる祖母を思い出し、その面差しが似通っている我が子を思った。
 そして……その厩戸の前に現れた時渡り人を……。
 穴穂部の不安とは反対に、豊日は高揚とした思いを胸に宿す。
 神童と称される我が子の厩戸が、大王家の秘宝たる家刀自ならばそれはそれで良い。男子である以上皇后に立つことが無理ならば……。
(いっそ……)
 それは次なる王位を確固たるものとしている豊日ゆえの思いだった。
 自らが凡才で王者の素質は備えていないことを十二分に承知した上で、せめて我が子をあの手白香皇后のように歴史に燦然と輝く「王者」としてみたいという、哀しいまでの父親の心からの思いがよぎった。
「厩戸、来目」
 興奮を僅かに込めた声音で二人の息子を呼ぶ。
 藤棚の下で、来目を膝に座らせている厩戸の姿が目に移った。来目はこの表情に乏しい兄がお気に入りのようで、この頃はよく付きまとっていると聞く。
 近寄ると、来目が駆けてきて豊日の足下に抱きついてきた。にこりと笑うこの子どもの無垢な姿がいとおしく抱き上げ、続いてただ視線を向けて会釈を返してくる厩戸の礼儀正しさと洗練された物腰に、父として「誇り」を抱く。
 豊日にとってどちらも可愛い息子に変わりはなかった。
 一通り息子たちを眺めた次に、その目は厩戸の背後で頭を下げる一人の青年に注がれる。
「時渡り人よ。顔をあげられるといい」
 大王家と血が繋がる後の子たる時渡り人には、最大限の敬意をもって接しなくてはならない特別な存在とされる。
 家刀自同様に大王家の「秘宝」
 古では時渡り人が現れることにより、王朝が危機に面することもあれば揺らぐと思われていたこともあった。そのため「不吉」といわれる時分もあったが、今では「王朝を救う」得がたい存在として「崇拝」をもって迎える存在と位置づけられている。
 豊日の静かな声音に、その青年時雨はゆっくりと面をあげた。
(……なんと)
 清涼な風情を宿し、その顔はたおやかで男に用いるのはそぐわないが綺麗という言葉が十二分に当てはまるほどだ。
 ましてや気がなんともはかなげで、不意に消えてしまいそうな悲しみまで背負っている。存在感が希薄。一歩前に立つ厩戸とは対照で、二人の不均衡がさらなる美となり人は魅入られる。
 だが豊日が息を呑んだ理由は他にあった。誰も気付かないのか。それともあえて気付かぬ振りをしているのか。
「……似ている」
 小さく呟いた声に、抱き上げていた来目が「にている?」と小さく繰り返す。
「父君?」
 怪訝な思いを声に潜めた厩戸の無感情な問いかけに、豊日はさらに歩を進め、厩戸の目の前に立ち、ジッとただ時雨の顔を見据えた。
 その衣服から男子と分かるというのに、もしも女用の裳をつけたならばそれも女と認識しそうだ、と頭の中で思った。そう、どことなく中性的香がある青年に、ついその手を伸ばし、
「似ている」
 その髪を一房掴んで、豊日は吐息をついた。
「厩戸。気づかれぬか。この時渡り人はよく穴穂部に似ているではないか」
 ハッと息を呑んだのは時雨の方だった。
 厩戸は何も動じず、静かな目を父に向けるのみだ。
「……母君より時雨の方が綺麗だと思われますが」
「これ厩戸。そのようなこと穴穂部に言ってみよ。化粧に磨きがかかったならば如何する」
 母となってからは公的な場に出るとき以外、念入りな化粧や着飾った服装を身につけない地味な風情の穴穂部である。
 訳語田大王の皇后であるあの実姉額田部女王とはまさに正反対で、並べば対照的な色合いを見せてそれなりに面白い。
 実弟の豊日をまさに猫かわいがりし、また甥である厩戸を早くも自分の娘の婿にと考えているあの姉額田部は、どこまでも威厳があり毅然と女王然を揺るがさない女性だ。手白香皇后の気質を一に受け継いだとまで言わしめていた。
(審美眼はわが息子ながら……確かだ)
 実に的を得た表現だった。
 穴穂部よりも、この儚げな青年の方が受ける印象から「綺麗」といえる。どことなく儚げな風情や存在の希薄さが「保護欲」を擽り、ついつい手を伸ばしたくなるほどだ。
「女子であったならば……」
 心の声が思わず言葉となってもれたとき、厩戸の無感情に等しい瞳に一瞬だけ宿された激しさを豊日は見逃さなかった。
 そうか……この目を穴穂部は警戒しているのか。
 仏典と大陸の法など学問以外に何一つ興味を示さなかった厩戸が、その烏色の無の瞳に宿す激情。
 今、そっと後ろ側に片手は回され、その手はギュッと時雨の袖を握ったことが見えた。
 厩戸のはじめての「人」に対する感情は、ただ一人に注がれたようだ。それは執着に等しい強さを宿している。
 思えば穴穂部が子守歌代わりに厩戸に話していた「時渡り人遥」の話に、厩戸の幼い瞳は興味津々といった体でジッと聞き入っていたものだ。
「時雨と申すか。この後は厩戸の守りとして此処におられるといい。身の安全、生活などは全て池辺宮が保障いたす。なれど時渡り人ということはしばらくは伏せることを承知してもらいたい」
 大々的に宣伝しても良いとすら思ったが、
 ふと豊日の頭に「王朝の危機に現れる」という言葉が滲み、ことさらに大王家を揺らがすことは今は得策ではないと判じた。
 時期大王に近いものとしての自重と、体調面が優れない大王への配慮も心にはある。
 さらに一時に比較すれば収まったものの、未だに神仏闘争が磐余宮では親仏派の蘇我一族と崇神派の物部を中心に議論されている。「仏教」を受け入れるべきか、廃物すべきか。
 先の大王であり豊日の父欽明帝は見事なまでの中立派であったが、現帝の訳語田大王は仏教に関心をほとんど示さない。そればかりか先の皇后広姫との間に儲けた嫡子彦人大兄皇子には、かたく神道を守ることを言いつけているほどだ。
 蘇我と拮抗するもう一方の有力豪族大連物部守屋は、この彦人大兄皇子を崇神派として担ぎ、次の大王とすることを考えていようが、未だに彦人は若年。大王となるには一人、間に誰かいるだろう。そこで誰を守屋が押すか。そこが注目すべきところでもある。
 時雨は全てを承知しているという落ち着き払った無の目をし、深々と頭を下げるのみだ。
 もしもその顔に柔らかな笑みが刻まれたならば、
 その口元に朗らかな優しさが滲むとなれば、
 男子としての逞しさや厳しさ、強さを一切宿さぬこの時雨は、まさに中性的でドキリとさせられる。
(目の毒だ……)
 かつての大王安閑帝(勾皇子)も、時渡り人遥に思い入れるあまり温厚な心を揺らがしたと聞いている。
 時渡り人の存在は確かに大王家の秘宝だろう。揺らぐ王朝を救うとなれば、これほどに大切な存在はいない。
 だがもう一方で人の心を惑わすほどに歴代の時渡り人は、美しさを宿す存在だったと伝わる。この時雨を見ているとその伝承もあながち間違っていないのでは、と実感してしまうほどだ。 均衡を崩す「魅惑」というものを醸し出す存在にも成りえる。
 踵を返すと、来目が「降りる」と肩を叩く。だがあの二人の中にこの無垢な子を戻したくないと思い、豊日は抱きしめたまま歩を進めた。
 肩をさらにたたく来目の頭をそっと撫で、
「あの二人はなぜか……二人そろうと他を圧倒する」
 あの二人の間には何人も入れぬと思わせる「絆」が見えた。
 思わず息を飲ます勢いの、不均衡ゆえの調和された美と、もう一つは「気」だ。
 各々一人ずつならば気に留めることはなかろう。
 もとより厩戸には他を拒絶する冷ややかな風情があった。
 あの儚げで希薄な存在感の時雨は、全てが幻影といえるほどに形もたない風情が見受ける。
 だが二人手を取り合いそろうと、厩戸の拒絶と冷たさが途端に柔らかくなり、時雨を匂わす幻影も消え去る。そして新たに現れるは、他を「圧倒」し穏やかに包み込む「気」だ。
 その気は誰をも引き付けてやまぬ力をも有する。
 魅惑と圧倒。
 あの二人はこの後のこの国で、何か吉とも凶とも判ぜぬ大きなことを為すのではないか、と豊日は無自覚に戦慄し、
「来目よ。そちはただ平凡に育て」
 などとついつい口にしてしまった。
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時空の彼方から 古の家刀自編一ノ章 3章

古の家刀自編一ノ章 3章

  • 【初出】 2007年ごろ
  • 【改訂版】 2013年1月22日(火)
  • 【備考】 横書きパージョン
  • 登場人物紹介