松菊探偵事務所―事件ファイル2―

3章

 青木と福地という騒々しい二人も話に加わり、まさに場は賑やかになってしまった。
「公、団子美味しいですよ。さすがは公が選んでくれた団子。僕はもう何個食べたか」
 木戸の傍らに座した青木は、ちらりと井上の傍にある皿に乗った団子を盗み見る。
「ひとりであれだけ食べて、まだ足りないのか。チビガキ」
「うるさいなぁ福地君。僕はただいま育ち盛りなのだよ」
「阿呆が。その年で育ち盛りだと。ははん……やはりその背と童顔そのままにまだまだおまえは子供なんだな、本当は」
「いつまでも若いことはよろしいことかな。……不遜傲慢、年よりかなぁり老けている福地君に比べればいつまでも育ち盛りの僕の方がずっとよいことだと今実感した」
 福地は皿より団子を一本とり、串ごと口にくわえ。
「よりにもよって老けているといいやがったな。チビガキの馬鹿で無能な分際でこの俺に老けているだと。よいか、チビガキ。老けているというのは、そこのだいぶ冷めた茶をいまだにふぅふぅいいながら飲んでいる井上さんとか、この中で一人別空気をまとって平然としている、おそらく赤い血など一滴も流れていない内務卿のことをいうのだぞ」
 すると青木は視線を井上に向け、続けざま大久保を見て、思わずうなずいてしまった。
「傲慢不遜な福地君のわりにはよいことをいう」
「おい。おい、おい、おい」

事件ファイル2- 3-1

 福地の表現のそのままに、吉富がいれた茶をもう何分もふうふうと冷ましている猫舌の井上馨が、声をあげた。
「いいか、俺様は強面やらヤがつくなんとやらとかはいわれるがよ。老けているだと……しかもそこの大久保さんと同じにするなよ」
 どうやら井上は「大久保」と一緒にされたことが、随分と不満らしい。
 当の大久保はまったく顔色ひとつ動かさずに、吉富が入れた八杯目の茶を飲んでいる。
 大久保の無言の気が告げるには、用件があるのは木戸だけであり、この酔狂な探偵事務所などの構成員たちを構うつもりなどない、とあからさまな態度でもある。
「考えたら井上さんもよい年だよね。老けているじゃなくて年相応とか言うんじゃないのか、福地君」
 福地もまじまじと井上の顔を眺め「さもありなん」といった顔をした。
「……勝手に言いやがれ。誰も俺様が桂さんより二歳も年下だといっても目を丸くするだけだからな。いいか、俺様が老けているんじゃないぞ。桂さんがむっかしから童顔なだけだ。ついでに若作りか」
「聞多。私は若作りなどではない。それに……年相応に見られないことを私も気にしているのだから」
「公はこのままでいいのですぅ。いつまでも若々しく、麗しい僕の公」
 傍らにある木戸に思わず感極まって抱きつこうとする青木を、福地が背中を抱き込んで押し留めた。
「邪魔するな福地君。僕は公とスキンシップを」

事件ファイル2- 3-2

「チビガキなどが抱きつこうなどと百万年早い」
「いうね。百万年? ふふん、じゃあ福地君は一億年は僕の公に抱きつけないということだね」
「なんだ、その基準は」
「僕の方が公の寵愛は深いからさ」
「だぁから……その基準はどこからくるチビガキ」
「騒々しいぞ、二人とも」
 井上が「なぜ俺様が止め役に」とか思いつつも、ため息ながらに耳に響きわたる声が不快なためにとめにかかった。
 なぜかこの青木と福地の声の波長は妙に響くのだ。
 今も井上が冷ましている茶は、二人の声の波長から水面に丸い円をつくっている。
「……申し訳ありません、大久保さん。騒々しいでしょう」
 木戸はこの「騒々しい」後輩たちの取り繕いに、わずかに言葉を綴ると、
 大久保はトンと湯飲み茶碗を飯台に置き、木戸以外は誰をもその無機質な瞳には入れず、
「お仲が宜しいことで」
 冷淡な声音のままに呟かれた一言に、その場にある人間たちの動きはピクリと止まった。シーンとした沈黙が刻まれる。
 言葉通りには受け止めず、嫌味ということは先刻承知である。
 福地、青木ともにいいたいことは数多あるが、この大久保に向けて説明するなど疲れるだけだ、と瞬時に頭で判断する。井上に関しては「どう思われようとも構うものか」であろう。
「みな仲が良くて、私は嬉しい限りです」
 だがこの大久保の嫌味を一人だけ、言葉通りに受け止めた木戸はにっこりと笑った。

事件ファイル2- 3-3

 大久保は再び茶を飲み始めたため、この話題はその場で途切れる。
 そして茶を一口含み、この騒々しさに区切りはついたと判断し、
「話を進めてもよろしいでしょうか、木戸さん」
 どこまでも、大久保は木戸しか相手にしようとしていない。


「五日後に行われる英国公使館晩餐ですが」
「大久保卿。卿は先ほどよりなにを聞いていらっしゃるのですか。私は例え外務、内務、正院より依頼状を受けようとも、晩餐に出るつもりはありません」
 いい加減にしてください、と今までの融和な風情は消え去り、木戸はその黒曜石の如し瞳に剣を込めて大久保を見据える。
「逮捕されるならばどうぞお勝手にされますように。ただし私もそれなりに剣を学んだもの。いささか物騒なことになろうとも責任は取りかねる」
 傍らの井上が「大久保に分があり」と思っていたこの騒動に、渾身一撃木戸が巻き返しをはかり始めたと見て思わずニタリとしている。
 大久保はまた茶を飲む。此処では咽喉が渇くのか八杯目ということで茶の飲みすぎでもある。そこで木戸の顔を流し目で見つめて後、「失敬」と言って厠に立った。
 大久保がいなくなった途端に、その場の雰囲気が柔らかくなる。たかが一人の男の存在がここまでに風情をかえる威力があるとは井上をしてわずかに感嘆させる。
「……けどよ、桂さん。いつもにないほど強気だな」

事件ファイル2- 3-4

 久方ぶりに見る木戸の強気に、井上はつい手をぱちぱちと打って感心した。
「国家の権力をちらつかせ、捕縛をもって強制することを私は許すことができないだけだよ」
 木戸は茶をわずかに飲み、口の中を潤わす。
「やるな、桂さんも」
 楽しいとばかりに木戸の肩をぱんぱんと叩く井上に「聞多」と木戸は鋭い眼差しを向けた。
「これは私と大久保さんの食うか食われるかの戦いなのだからね。おまえはどうしてそんな悠長に」
「けどよ、桂さん。アンタ、結局負けるぞ」
「……なにを言うんだい」
「国家の権力をちらつかせるのが気に入らなくともよ。国家のためと大義名分をちらつかされ、アンタ、勝ったことがあるか」
「今回の晩餐は国家を論ずるものではない」
「……そうかな。俺様にはまだまだあの大久保は隠しだまを持っていると思うぞ。わざわざ出向いてきたんだ。確実にアンタを落とす隠しだまがある」
「井上さん。あなたは公の味方なのか。それともあの大久保の味方なのか」
 いまだに襟首を福地に抑えられている青木が、ムッとした顔で井上に詰め寄った。
「あったりまえのことを聞くなよ。この俺様が公然と面白からず思っていると断言する大久保に味方するはずがないじゃないかよ」
「ならば、その大久保を買いかぶる発言はやめてほしいですね。まるであの大久保を認めきっているとしか思えない発言だ」

事件ファイル2- 3-5

「だぁれがあの大久保を! いいか、青木。俺様は、あの大久保を一握たりとも認めていないからな」
「あの冷血漢を認めることはない。あの血はおそらく青いだろう男に比較すれば、井上さんは大人物の様相すらある」
 福地はジタバタ暴れる青木をついに羽交い絞めにし、ふふん、と笑った。
「それは俺様を褒めているのか、福地」
「あくまでもあの大久保と比較したまでのことさ」
 この三人の共通点をあえて見繕うならば、「大久保」が嫌いということではないのか。まさに大久保嫌いの風潮でのみ団結が適うようである。 木戸は先ほどまでの強気が抜けてしまい、やれやれ、とこめかみを抑えたときに、大久保が戻ってきた。
 わずかの時であるというのに、大久保が立つ前と比較して木戸を包む気が見て取れるほどに弱まった。
 すでにお茶係となっている吉富が、四人分の茶と井上には珈琲をいれて、飯台に置いていく。大久保には九杯目の茶だろう。
 福地の羽交い絞めにより、すでにぐうの音も出ないほどに打ちひしがれ倒れている青木をチラリと見て、大久保は木戸の前に座り、
「英国公使夫人は貴公がお気に入りです。この舞踏会にも貴公が参加されると思っておられるようで、貴公がおらねば日英の仲の亀裂になりかねん」
 即座に攻勢に出たのである。
 受ける木戸には先ほどの気概はない。妙に疲れていたが、それでも挑まれれば受けて立たねばならなかった。
 席を立ったのは、強気になった木戸の気を削ぐ策略だったかと思わず疑ってしまうほどだ。

事件ファイル2- 3-6

「大久保さん。そう国事を出せば私が動くと思っておられるのですか」
 迫力に欠ける分は、木戸は壮絶な微笑みをもって補う。思わず青木がむくりと起き上がり「僕の公」とうっとりさせるほどの壮絶な微笑を浮かばせ、
「お帰り願いましょう」
 といった。
「塩をまいてやれ、青木」
 続ける井上はどこまでも飄々とした態度でいい、
「当然のことですよぉ、井上さん」
 青木もニヤリと受けた。
「……此処にはあなたに協力する人間など一人もいない。さっさとお引取り願おう、大久保卿」
 福地も最期をしめるように付け加える。
 さすがにこの三人に場を任せていたら、さらに険悪となり、その三人を大久保は意も介さないために、さらなる険悪が広がっていく。
 これでは悪循環甚だしい。
 仕方なく木戸はこの三人をおさめるために言葉を加えた。
「外交は外務省の役割。公使との交流は政治家の役割。私はたんなる探偵。舞踏会に出る責務はありません」
 そんな堅苦しい場所は好きではありませんし。
 大久保は少しばかり冷めただろう茶を再び口にし「困りましたね」と、全く困ってはいない顔つきで低く告げた。
「それでは」
 大久保は背広の内ポケットに手をやり、そこから一通の書状を木戸の前に差し出す。

事件ファイル2- 3-7

「これでも参らぬとおっしゃいますかな、長州の首魁殿」
 手に取り、木戸は「これが隠しだまか」と思いながら書状に目をやった瞬間、
「公?」
 青木が思わずビクリとなるほどに、木戸の顔色はサァっと血の気が引くかのように青ざめた。
「なんだ、どうした。桂さん、ちょいと見せな」
 井上が木戸より書状を取り上げ、それを目にした瞬間、フッと声をあげて笑い出した。
「やはりアンタの負けだ、桂さん」
 それは乱雑な字でしたためられた「殺人予告状」だった。
 しかも内務省管轄「警視庁」あてに送られてきた「英国公使館舞踏会殺人予告状」に等しい。
「天誅」と「攘夷」が大きく記され、異国人が「日出国」を跋扈することは許しがたいと延々としたためられている。
 だがこの手の書状は、この明治初期にはよくあることで、当日の英国公使館の警備をより一層「無粋」と称されようと厳重にすればいいことだ。
 そのことで我が国は「未だに近代化」ならぬ「野蛮国」と称されようが、それはそれで致し方ないと木戸は割り切ることができるが、昨今の条約改正の話があがる中では、威信をかけた問題ともいえなくもない。
 木戸が血の気を引かすほどの驚愕に陥ったのは、おそらく最期の一文だろう。
 ……桂小五郎殿。
 と宛名があり、差し出し人の名に「人斬り蝶次」とある。
 井上は木戸の肩がわずかに震えていることに気付き、

事件ファイル2- 3-8

書状を福地に放り投げて後、木戸の肩をポンポン叩く。
「……落ち着きな、桂さん」
 耳元で小さく告げた言葉に、木戸の目はようやく我に戻り、自分という存在がなぜ今この場にあるのか。それが不可思議でならないという目をした。木戸は昔から時折こういう目をする。自分で自分が掴むことができず、心がふわりとどこか彷徨うのだ。
「しっかりしな」
 もう一度ポンポンと肩を叩くと、木戸は大丈夫という顔をして、力ない笑みを刻み、衣の上から首より下げているお守りを握り締めた。
 そして呼吸を整え、木戸は大久保に視線を向けた。
 その目には、覚悟が灯っていた。
「大久保さんは、よく私の性格をご承知のようですね」
「出席願えようか」
 隠しだまが見事に成功したというのに、大久保の表情は何一つ変わらずに、泰然自若である。
 そこにわずかに苛立ちを抱いたこともあった。何もかもその掌で動かされているかのような、錯覚すら覚える。
「出ましょう。ですが参議としてではなく、ただの木戸孝允個人でよろしければ」
「参議であろうがなかろうが貴公がいてくださることが大事であり、それ以外はさして意味がない、では当日、お迎えの馬車を寄こします。木戸さん、よろしく頼みます」
「大久保さん、これは依頼ですね。では依頼されるならば、コチラとしてはそれなりの報酬をいただきます」
「いくらでも。内務省からでも外務省からでも、警視庁からも出しましょう。ただし探偵を一時見逃していることをお忘れなく」

事件ファイル2- 3-9

「国家のお金を要求するつもりはありません」
「お間違いなきことを。これはあくまでも私個人ではなく、国家よりの依頼です」
 話は終わったと茶をすべて飲み干し、大久保は立ち上がる。
「多大な要求はされませぬように。国家の参議の辞表はお話になりませんので、ご了承を」
「それはどうでしょうかね」
「……人斬り蝶次」
「………」
「それがいかなる意味があるか、あえてお尋ねいたしません。それでよろしいですね、木戸参議」
 大久保の無機質な瞳と、木戸の黒曜石が互いに互いを探り捕らえるかのように重なる。まさに「天敵」の互いを見る目だった。
「塩をまいてやれ、青木、福地」
 井上がそう号令したときに、また一台探偵事務所前に黒塗りの小さな馬車が止まった。
 中より下りてきたのは、なにやら色々と両腕に積み重ねて持っている陸軍卿山県有朋である。
 大久保は木戸より視線を離し、泰然と玄関先に向かい、山県とすれ違いざまに一言呟いた。
「木戸さんが舞踏会に出られるそうだ。これで陸軍卿も参加せねばなるまい」
 山県は中の木戸らに視線を送ったが、何も答えなかった。
 大久保は黒の外套を翻して、自らの馬車に乗り込んだ。
▼ 松菊探偵事務所―事件ファイル2― 四章へ

事件ファイル2- 3-10

松菊探偵事務所―事件ファイル2― 3