逝く者、いくもの

11章

 おりしも土方は、宮古湾出征の際の医者の手配を頼みに箱館病院を訪れていた。
 高松に軍医以外の医者の手配と、負傷して戻るだろう人員を箱館病院をはじめとし分院にも運び込む手はずを相談しおえると、
「ちょうど大野くんが来ているよ」
 と、高松より聞かされ、あぁ、と土方は嫌な予感がした。
 おそらく玉置の見舞に来たのだろうが、よりによって大野だ。小五郎が昔、会したことがあるという事実が土方にとって不安の種となっていた。
 院長室を出、大野と小五郎を探したが、どこにも見当たらない。どうしたものか、と考えあぐねていると、廊下の向こう側より当の大野がゆっくりと歩いてくるではないか。
「大野」
 佐幕派の唐津藩主小笠原長行が榎本艦隊とともに蝦夷下りを決断。その随行を唐津藩士の身分では許されなかったため、あえて新選組隊士となった男は、どこか痛みに耐えるかのような顔をして土方の前に立った。
「どうした」
「……土方先生は、なぜ……」
「なんだ」
「あの死にたがり屋を殺してやらないんですか」
 小五郎のことだ、とすぐに察した。
「あんな生きるのが辛げで、死ぬことばかりを考えている奴など……いっそ殺してやればいい」

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「殺す大義名分がなくなったからな。あの京都でならばそれは殺せただろう。だが今は……アレは殺す価値もない。ただの死にたがり屋の労咳患者だ」
「だが……あの人は……それは新政府にとっては高く売れる」
「俺はな」
 土方は一つ吐息をこぼし、
「昔はあの人と友だった。長じて知らぬ間に敵になった。今は……よく分からんが敵とは思ってはいない」
「土方先生も人がいい」
「そうでもないぞ。俺はあの人が死にたがっていることをよくよく承知している。だからな、死なせてやるつもりはない」
「………」
「大野、ひとつ命じても良いか」
 大野はその場で姿勢をただし、あえて敬礼をもって土方に答える。
「あの人を守れ」
「………」
「おまえがどういう繋がりであの人を知っているのかは聞かん。これもよしみだ。守れ」
「それは困るな、先生。あの人、俺なんかより計りしれんくらい強いんだ」
「あれで全回復したら、正攻法では俺もかなわんだろうよ」
「その人間を守れ、ですか」
「なに、単に生かしてこの蝦夷を出してくれればいい。この俺があの人に死んでもらいたくはないだけだ。あんだけ死に焦がれている。それを生かすことが俺の意趣返しだ」
「土方先生らしくもない」

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 やれやれといった顔をした大野は、ふと振り返り、妙にすがすがしい顔をして、笑った。
「昔、あの人の幼馴染に散々に聞かされてきたんだ。これもよしみというものなら、友が命をかけた人間。どんな形にしろ生きてこの蝦夷地を出してやる」
「頼む」
「承知」
 大野はニタリと笑い、
「土方先生。軍艦強奪作戦。俺もつれていってもらえませんか」
 話題を百八十度変えてきた。
「連れていくのは相馬と野村だ。おまえと安富は俺の変わりに仕事に埋もれていろ」
「面白くない」
「おまえはここがあるから、戦よりも書類に埋もれている方が似合うぞ」
 と頭を人差し指で叩き、土方はそのままどこか遠い目をした。
「生きるのが幸せとは思わんが、それでも生きねばならぬ人間というものは決まって……そんな役割を定められているものだ」


 宮古湾出撃を前にして、大鳥が負傷兵の配置等を高松に相談するために自ら箱館病院を訪ねてきた。
 大鳥は宮古湾に出征はしない。指揮は主に海軍に任され、海軍奉行の荒井郁之助と旗艦回天の艦長甲賀源吾が取る。陸軍からは、土方が少数精鋭を連れ出征するとその時に聞かされた。
 箱館病院は、のどかなものだ。敵が宮古湾や青森に集結していると聞かされても、どこか遠いところの話に聞こえる。

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 小五郎も宮古湾への艦隊出撃は、何を目的にしたものか、なにひとつ知らずにいた。
 話は終わったらしく院長室より出てきた大鳥は、
「やぁ小五郎殿」
 と、いつも通り笑う。
 妙なもので陸軍の大元締めだというのに、この彼を見ると戦争というものが、どこかとても遠いものに感じるのだ。
「これから少し厄介なことになるのでね。負傷してきたものの手当てなどを君にもお願いしたい」
「私には簡単な応急処置と薬を煎じることしかできませんが」
「十分だよ」
 本日は大部屋で薬を煎じている小五郎の横に、大鳥はちょこんと座した。
 傍らに座すとよくわかる。小柄で本当に背丈が小さな人だ。しかも童顔が際立ち、その軍服姿が時折「七五三」の衣装に見えたりもする。
 一瞬だが、この箱館を攻撃する事実上の総大将参謀山田市之允を思い出した。
 山田と大鳥は並ぶと同じくらいの背丈になるだろうか。しかも両者ともに恐ろしいほどに童顔という共通点まである。
「……宮古湾で戦ですか」
「俺や五稜郭の仲間たちには、戦って勝ち取りたいものがあるんだよ」
「……そうですか」
「君にはないのかい」
 小五郎は手を止め、見上げるように大鳥の顔を見た。
「……何一つございません」

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「それは少しさびしいね」
「……鳥さん」
「うん」
「時折、私はあなたのその両目は、すべてを見透かしているのではないか、ととても怖くなります。私の知られたくない過去も思いも」
「俺が知っていることは、目の前にいる小五郎殿がどうしようもないほど死にたがり屋だということだけだよ」
 それ以上はいらないね、とあえて笑うところからして、たとえ承知していたとしても、それを表に出す気がないことがうかがえた。
「ここには過去のそれはそれは傷を持つ人間がたんといるのでね。どんな人間がまぎれていても、それほど重要なことではないよ。それに君は実に役に立ってくれているし」
「私にできることなどたかが知れています」
「それでも……実にありがたいよ」
 と、大鳥は小五郎が煎じていた薬を手に取った。
「昔はこうして薬を煎じ、患者を診、ただの一人の町医者で終わると思っていたのに、世の中は実に面白くてね」
「鳥さんは……」
「因果が面白くまわる。町医者の倅が陸軍奉行。そしてこの蝦夷を攻め込む事実上の総指揮者の片割れは、可愛い教え子」
「………」
「正直ね。小五郎殿。俺は……了介を目の前にして、刃を向けられるかと問われれば、無理だなぁと思う。武士ならばたとえ親兄弟でも敵ならば、と悲壮に満ちた覚悟があるだろうが、俺はダメだな。やっぱり医者の倅なんだろうね。

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戦の差配をしていてもね。やはり人を殺したくない。大切な人を失いたくないと思うんだ」
 新政府軍の薩摩側の征討軍参謀は黒田了介。江川塾で大鳥がその手で指導した教え子である。
 小五郎もよく顔を知る男だ。
「……私も実家が医者でしたから、人を殺すことも、戦の大義にもやはりなれません」
「それでいいのだよ、小五郎殿はそれでいい」
「………」
「そのままでいなさい。この蝦夷の戦で流されてはいけない。迷ってもいいから、戦で大義を見失うことはないように」
「………」
「俺らも敵さんも大義をかけている。戦わねば守れぬものもあるんだ。……それでいい。そう思わないとやってられん」
 大鳥は楽しげに薬草を煎じ、手慣れた手つきでひとまとめにして、そして立ちあがった。
「それじゃあ治療を頼むね。また様子を見にくるよ」
 と、どこまでも明るく手を振って五稜郭に戻って行った。
「とんでもない大物なのか、それともたんなる楽観主義者か」
「先生」
 高松が今は白衣を着けずに、小五郎の傍らに立つ。
「でも私はあぁいう人が好きだね。思い詰めた人間は辛気臭くていかんが、大鳥さんはいつも笑っていて見ていて飽きることがない」
「……私にできることはありますか」
「手当てと薬を煎じること。無理をしないこと。土方くんにあまり心配をかけるんじゃないよ」

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「……先生」
「あぁ中島さんにも、かい」
「……申し訳ありません」
「よぉく覚えておきな。その死にたがりが治るまで、俺は君を傍に置くつもりだ。せっかく俺が手ずから診て治した命。簡単に捨てられてたまるものかよ」
 頬にコツンと手をあてられ、小五郎はただ下を向いた。
 労咳を発症して後、親身になって診てくれた高松だ。時に高熱にさいなまれ、この命もここで尽きるのか……と思う中、励まし、叱り、そして握りしめてくれたその手。
『大丈夫だ』
 耳元でささやかれたその声に、小五郎は泣きたくなるほど、せつない気持ちに襲われた。
 言葉ひとつで「生きるんだ」と暗に言われているようで。医者とは言葉一つで患者に生きる意味を知らしめている。
 その日、小五郎は夢を見た。
 箱館に咲き始めた桜の下で、かつての仲間たちが、皆集まって桜見をしている光景だった。
 酒を飲み、騒ぎ、歌を歌い、時には踊って。
 その中で三味線を気分よく弾いている幼馴染が、にんまりと笑って、
「そんなに早く、こっちにこんくてもいいんじゃ」
 そう呟いた。
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逝く者、いくもの 11章

  • 【初出】 2010年8月2日
  • 【改定版】 2011年6月18日   【修正版】 2012年12月21日(金)  【第二次修正版】 2017年1月31日(火)
  • 【備考】―新政府(長閥中心)登場人物紹介
  • 桂と土方が友人設定。