逝く者、いくもの

12章

 三月二十一日に箱館港を出航した回天・蟠龍・高尾の三隻のうち、その五日後の二十六日に無事に寄港したのは回天と蟠龍のみだった。
 続々と病院に搬送されてくる負傷兵のほとんどが銃弾による負傷である。
 小五郎には艦隊戦の知識は全くといってなかったが、かの小倉攻めの際、海上を受け持った亀山社中の坂本龍馬にわずかだが聞いたことがある。
『海では、砲撃が九割』
 それが砲撃による裂傷ではなく、どう見ても銃弾による傷がほとんどである以上、接近戦に及んだのだろう、と推測した。
 兵たちが語るには、回天艦長の甲賀源吾が討ち死にしたとのことだ。回天の甲板で自ら指揮をしていたのを、敵に銃で狙い撃ちされた。甲賀は腕に弾を受けようとも指示を続け、ついには頭を撃たれた。即死だったという。帰路、回天は奉行の荒井が自ら舵を取った。
 蝦夷に渡る際にチラリと見かけただけだが、甲賀は小柄で寡黙な男だった。荒井さん、と海軍奉行の荒井を見て、わずかに微笑んでいたのが目に浮かぶ。
 ここは戦場なのだ、と小五郎の胸は跳ねた。
 身近にいた人が、突如として消えるそんな戦場の只中に……この蝦夷地事態も近いうちに染まるだろう。
「小五郎くん、そちらの負傷兵の手当てを」
「はい」

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 高松の指示により、小五郎も大忙しという状態だ。今は思考にふけるよりも、手を動かさねばならない。それでも、戻った兵たちが口ぐちに興奮した口ぶりで語る「アボルダージュ」という作戦のすさまじさに関心を持ってしまう。
 慶応四年に幕府がアメリカ側と売買契約をした仏蘭西製の艦「甲鉄」は、防御面に優れ、また最新のアームストロング砲が搭載された時代を先取りした軍艦と言われた。
 だがアメリカ側より横浜に運ばれ、いざ引き渡しの際には、すでに幕府側が瓦解しており、かわって新政府が購入したという経緯がある。
 その甲鉄(ストーンウォール)、奪取を仕掛けたというのだ。
 万国法で認められているという「アボルダージュ」
 敵艦に近づくまで、第三国の国旗を掲げ宮古湾に侵入し、作戦決行と同時に日章旗に旗を改めて接舷。甲鉄艦に乗り込んでの肉弾戦とする戦法。騙し討ち同様の戦法が認められていることに首を傾げる。
 だが、その凄まじさに小五郎は体を震わせたが、あの土方ならば我先にと切りかかるだろう、と思った。
「高松先生。松岡艦長の腕がザクッとやられました」
 負傷兵たちに混じってその男が現れた。
 旗艦蟠龍の艦長松岡磐吉。
 宮古湾海戦に出航したものの、途中で回天らとはぐれ、見失った時の取り決め通りに鮫村沖で待機し回天らの到着を待ったが、甲鉄が間違いなく宮古湾にいる、と確かな情報を得た荒井、土方は、回天のみでも突撃することを決め、破れた。帰路の回天と合流し、蟠龍はほぼ無傷で箱館に戻ってきたという。
「今回はツキがなかった」

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 松岡はかのアメリカ航路横断には測量方として参加した経歴を持つ。その後は、咸臨の副艦長ともなり、旧幕府海軍の中でも舟の操舵は随一と勇名を馳せた男だった。
 その松岡が……此処に赴いた理由と言えば、艦から降りた際に運悪く強風で飛んできた木の枝で腕を切ったというものだ。戦闘に加わっていない蟠龍は、悪天候の船出であったため、航路中に多少の負傷や体調を崩したものもいたらしいが、箱館病院に訪れるはめになったのは、この松岡のみである。
 松岡の顔を見た瞬間、小五郎は顔色をわずかだが変えた。


 いつもこの病院は清々しい風が流れている。
 高松の博愛の精神は実に徹底していて、一途だ。松岡としても、そんな高松を慕う。
 五稜郭内は敗戦による重みと落胆。血の匂いが、仲間を失ったものの哀しみが広がっているが、この病院にも負傷兵は多く運ばれてきているというのに、この空気の差はなんなのだろう。
「小五郎くん」
 その高松の横に一人の青年がいる。小五郎という名らしい。
 薬を煎じけが人の治療にあたり、子供たちの頭をよしよしと撫ぜ、穏やかに微笑む青年。年の頃は二十代半ばだろうか。そのあまりにも穏やかさに松岡は和やかさを感じ、小五郎の傍に寄る。
「無傷で戻ってきたのに、木の枝にザクッとやられました。……手当てをしてもらえますか」
 小五郎はほんのわずか驚きの顔をして松岡の顔をジーっと見たが、すぐに元の穏やかな顔に戻った。
「おやぁ、松岡くんじゃないか。またやったのかい」

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 高松が目ざとく松岡の姿を見て取り、声をかけてくる。
「また、はないんじゃないか、先生」
「なんていうか、君は本当に怪我をするな。哀れだな。海に落ちてサメに腕を噛まれるは、今回は枝に攻撃されたか」
「………あのサメは銛で突いて、食べました。枝はその場で切り刻んだ」
 二カっと松岡は笑い、目の前の小五郎をとらえる。
 おそらく自分よりははるかに年下の医者見習いだろうか、と思ったのだが、まっすぐむけられたその黒曜の瞳に思わず息をのんだ。
(……似ている)
 いや似ているどころではない。
 思わず凝視するほどにマジマジと見つめ、小五郎も決して視線を離さずに見つめ返してくる。
「……腕を治療します」
 その耳に優しく響く声音。差し出された手にまぎれもなく「剣士」たる証を見いだし、叫びだしたくなる身を松岡は必死にこらえた。
 単なる他人の空似か。およそ十年前、自分が見知っていた人間は、すでに三十半ば。かの人としては、年が若すぎる。
「はははは……」
 思わず笑ってしまった。
「失礼。あまりにも昔の知人に似すぎているから、おかしな勘繰りをしてしまったよ。小五郎くんというのかい。俺は松岡盤吉。あの方は君よりずいぶんと年上で、しかも……こんなところにいるはずがない」
「………」

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 言葉を返さずに黙々と治療にあたり、傷口に薬を塗っていく手慣れたその動作。松岡が知っている「あの方」より、かなり華奢で小柄さが目につく。頬あたりなどこけており、前髪を全ておろしているその姿は、若さが全面より匂った。
 どう見ても二十歳半ば。ましてや松岡が始めて「あの方」と会った時よりも、むしろ若々しさを感じる。
 それにこの生気のなさは何か。儚いまでにたゆたい、立つ位置すら定まらぬおぼろげな感じは何か。
(塾頭……桂さん……)
 あなたならば、そんな顔はしない。そんな儚さを全面にたゆたわせはしないだろう。
 松岡はかの江川太郎左衛門の筆頭手代の家の生まれだ。長じては江川について学び、江川の死後は長崎の海軍伝習所で測量術を学んだ。
 勝麟太郎を艦長として太平洋横断を敢行した使節団にも、随行している。
「俺は昔、練兵館で剣術を学んでいた」
 師の江川と練兵館の斎藤弥九郎が旧知の仲という縁により、松岡も練兵館で剣術を学び、免許皆伝を得ている。その折、練兵館の塾頭だったのは桂小五郎という長州藩士だった。
「奇遇です。私も昔、神道無念流を学びました」
 スッとあげられたその黒曜の瞳が、松岡の胸を刺す。
 これほどまでに澄み渡り美しき黒曜の瞳を、桂以外に見たことがない。いや桂と比較すると多分に憂いと儚さが込められているが、その瞳の奥の奥は静謐と底の知れぬ湖水をたたえる。
(……桂さん)
 間違いないのか。

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 なら、なぜにここにいる。
 長州藩の首魁として新政府の首班に立ち、国家の政治に関わる男が、なぜこんな箱館などに。
「松岡くん。その小五郎くんに手を出したら、土方くんに絞め殺されるよ」
「……土方さん? なんでですか」
「土方くんの大切な友人とのことだからさ」
「………意味がわからん」
 思いっきり頭を抱えているうちに、小五郎は傷の手当てを負え、薬の煎じを再開してしまった。
 桂小五郎が新選組の副長であった土方と友人など、松岡でなくとも頭を抱えるに違いない。
 どこでどう繋がっているのか。それとも単なる松岡の気の迷いか。
 視線を感じてか顔をあげた小五郎は、わずかに苦笑し、唇に人差し指を当て、微笑む。
 ……黙しておくれ、松岡。
 声が聞こえた。
 なぜここにいる。何のために敵の陣地にいるのか。
 聞いてみたいことが多々あったが、松岡はさして細かいことには気にしない性格だ。
 憧れ慕った剣士が目の前にある。
「今度、蟠龍に乗りに来ないか」
 とりあえずは誘ってみた。
 どのような理由にあろうと敵の真っ只中にあるのだ。
 政府にとっては「人質」に成りえる男だが、昔、世話になった松岡としてはそんな意思はさらさらない。

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 松岡自身が多大な恩義のある江川も斎藤も、この小五郎を実の子供のように可愛がっていたのだ。
「ぜひともに」
 そして小五郎がこの箱館にいるならば、この場にとどまっていると言うならば、
 それがこの戦争の最期の「切り札」となるのではないか。
 黙して語らず、を松岡は決めた。
「治療、ありがとう。あなたは怪我の手当てが上手だ」
 昔、よく練兵館でもこうして怪我をした門下生たちを診ていた。
「医者の息子ですから」
 ようやく優しく微笑んだその顔は、昔と何一つ変わってはいない。
 妙にホッとするが、同時に自分以外にも小五郎の正体を知るものがいるのか気にかかった。土方は当然知っているだろう。
「なにかあったら蟠龍に乗り込むといいさ。……俺はきっとあなたの役に立つ」
 小五郎は黙って会釈をするだけだったが、
 その目によぎった揺るがぬ覚悟が「死」をにおわせ、松岡はやるせない思いにさいなまれる。
 ……なぜここにいる?
 それが答えのような気がした。
(死にに来たのかい……貴方ほどのお人が)
 高松と負傷兵のことをわずかに話し、松岡は外に出る。
 今、この場で見たこと。知ったこと。すべて胸におさめて深呼吸を繰り返した。
 自分のこの「知った」ことが役に立つとするなら、それはまだ先のこと。

逝く者、いくもの 12-7

 いざという時、自分はきっと貴方を救う、とこの日、決めた。
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逝く者、いくもの 12章

  • 【初出】 2010年10月17日
  • 【改定版】 2011年6月18日   【修正版】 2012年12月21日(金)  【第二次修正版】 2017年1月31日(火)
  • 【備考】―新政府(長閥中心)登場人物紹介
  • 桂と土方が友人設定。