逝く者、いくもの

8章

 五稜郭の門前に出ると、ゆっくりと馬をすすめてくる壮年の男が二人、数人の兵士を連れて門内に入ってくるところだった。
 小五郎はとりあえず頭を下げ、右側に移動する。
「小五郎くんじゃないか」
 聞き知ったその声に顔を上げてみる。
 すると中島三郎助の心配そうな顔が真上にあった。
「こんなところにどうしたんだい」
 奉行所ではかち合わなかった中島と、まさか五稜郭で会することになろうとは。小五郎はとりあえず曖昧に笑って会釈をし、
「高松先生に頼まれまして」
「君は今は体を休めなければならない身のはずだよ。本当に大丈夫かね。今、誰かに送らせよう」
「大丈夫です。もう病も本当に良いのですよ。心配のしすぎではありませんか」
「血を吐いたと聞かされては、心配しないはずがないだろう」
 中島の目に少しだけ怒りがよぎったのを見て、小五郎はわずかに頭を下げる。
 そして中島の横にいる男に目を向けた。
 初老に差し掛かっているが、馬上のその姿は威風堂々としている。髪などは白いものが四分の一ほど混じり、わずかに蓄えた髭にも白が見えた。
 だがその男の目をジっと見ていると、妙な記憶が頭によぎる。
「お主、もしかして……勝のところにいた小五郎か」
 と、その男が記憶を反芻する目で、小五郎を見た。

宵ニ咲ク花の如シ 8-1

 同時に記憶が怒涛のごとく湧き上がり、あの飄々とした食わせもので、いつも人を「子ども扱い」した勝麟太郎の顔とともに、その壮年の男の十数年前の顔がおぼろげに目の前によぎった。
 覚えがある、どころではない。嫌な記憶だ。記憶が逆流し、つい小五郎は声を張り上げてしまった。
「岩おじさん」
 昔のままの呼び名が飛んだ。
「なんだその言い方は。おじさんはないだろうが、おじさんは」
 黒船来航の前、小五郎はなぜか勝麟太郎にたいそう気にいられ、よく引っ張られて赤坂田町の塾や邸宅の方に連れ込まれた。何度か土方も一緒だったと記憶している。
 その田町の塾で、だ。目の前のこの男と何度か会い、初対面の時に言われた言葉はというと、
『年の割にはしっかりとしている顔つきだ』
 というもので、小五郎はガクリとその場で力が抜けたのをありありと覚えている。
 あの時、小五郎は二十歳。間違いなくこの男は小五郎の年をおさなく勘定していたのだろう。
「こ……小五郎くん。この方と顔なじみなのかね」
 どこか慌てている中島の目が、今すぐここから離れろ、と暗に告げている。
 ふと先ほど箱館奉行所を訪ねた際に、中島は永井奉行と所用で出ている、と聞いたことを思い出した。
 そして今、中島と馬を並べて進めている壮年の男。小五郎は「岩おじさん」としか覚えておらず、正式な名は思い出せない。これは万が一の可能性がある。
「岩さんが箱館奉行の永井さまで」

逝く者、いくもの 8-2

「おぅ。勝のところの塾生がこんなところでなぁにしているんだ」
 別に塾生になった覚えはない。つい居ついていた時期があるので、永井は勘違いしているようだ。
 小五郎は、一瞬でこの世の絶望的なめぐりあわせというものを感じ取った。
 赤坂田町で勝麟太郎のところで出会った折、この男は三十代半ば。旗本の養子となったらしいが未だに部屋住みで「岩之丞」と名乗ったことを覚えている。
 だが号の「介堂」で通しており、あの勝を「おい」と呼び、顎で使っていたのが印象深かった。
「相変わらずの幼さだな、小五郎よ。ぬし、今、いくつだ」
「…………」
「あの折は、おさない幼いと頭を撫ぜてやったな。それでぬしは怒り心頭だったが、その見かけじゃまだ二十歳の半ばか。相変わらず……年の割にはしっかりとした顔つきだ」
「……記憶力がいいですね」
「おぅ。そうか……ぬしも旗本だったか。確か勝が剣術を学んでいるとは言っていたな。伝習士官隊か遊撃隊にでも入ったか」
「いいえ」
「……じゃあなんでこんなところにいる」
 小五郎はまっすぐ永井尚志を見た。今の今まで、永井の顔を知らずに心の中でわずかな憎しみを抱いて生きてきた。
 まさか遠き昔に出会い、「若いもんは食べんとな」と料亭で食事をごちそうになった「岩さん」が、永井とは夢にも考えたことはない。
 運命や宿命を多少煙たいものと思い始めた。

逝く者、いくもの 8-3

「私は戦いに来たのです」
「おい中島。この小五郎とおまえも知り合いのようだな」
 どこか冷や冷や顔の中島はとりあえずは「はい」とだけ答えた。
「おまえは勝と共に長崎海軍伝習所にいたな。その頃の知り合いか」
「まぁ……そうですが。永井奉行がなぜに小五郎くんと」
「一応幕臣で面白い奴がいるって佐久間が言うのでな。暇だったから、見に行ったときだ。今にしてみればそれが勝だ。そこで一際幼いが、いっぱしの口を聞くのがこの小五郎だった。可愛い顔していてな。わしが飴をやったら、喜んで舐めておったぞ。いやはや幼い。可愛い。頭を撫ぜると怒ってな」
「そう……でしたか」
 中島の目が「君の交友関係はどうなっているのだ」と言っているが、小五郎とて今の今までこの永井と知り合いだったなど夢にも思っていなかったのである。
 本当は顔を合わせるのも声を聞くのも厭った男だ。
 永井とて目の前にいるのが、かの長州征討にて指名手配をかけた桂小五郎とは夢にも思っていないだろう。
「小五郎。そういえば小五郎としか名前を知らんかったな。姓はなんていう」
「和田です。和田小五郎と言います」
 間髪入れずに小五郎ははっきりと答えた。
「なんでこんな蝦夷にまで来た。あの当時、勝がそれはぬしを気にいっていただろう。そういえば、あれから姿をみんかったな」
「剣術に励んでおりましたので」
「あぁぁぁ剣術はいかんいかん。土方といい死にたがりが多くて

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……小五郎。ぬしも、まさか」
「………?」
「死にに来たとか言うんか。あぁ! 今すぐ勝のもとに熨斗をつけて送り返してやりたいな」
「私は戦うために来たのです」
 珍しく小五郎としてはムキになった。
「……なんのためだ」
「……こたえねばなりませんか」
「小五郎。ぬし……十数年ぶりだっていうのにずいぶんな口のきき方じゃないか、えぇ! あの当時はそれは可愛がってやったというのによ」
「いいえ。勝さんと一緒に私をいじめていただけです。……失礼します」
 そのまま小五郎は去ろうとしたが、永井は馬首を返して追ってくる。中島が「早く逃げなさい」と遠くから生温かい視線を送ってきていた。
「今はどこにいる」
「……箱館病院です」
「血を吐いたってか」
「もうほぼ回復しています。今日は永井さまに高松院長より書状を届けるように言われて御役所に行きました。部下の方に渡してありますので、ご確認を」
「おい、小五郎」
「なんでしょうか」
「なに苛立っているんだ。わしが永井だと、ぬしに何かいただけないことでもあるのか」
 ハッとして小五郎は顔を上げた。

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 そしてとりあえずは穏やかに微笑んで見せた。
「岩さんと馴染んでいた方が、実は幕府若年寄の永井さまと今、初めて知ったのです。驚いているだけですよ」
「長崎でな。勝にお主のことを何度も聞いたんだがな。アレは剣術家で剣で生きているとしか言わんかったんだ」
 今、この時、長年の付き合いである勝麟太郎に対し、はじめて小五郎は感謝をした。勝の性格から考えられるに単に面倒だったので、適当にごまかしたというのが真相だろうが。
「ということで小五郎。少し俺のところに寄っていけ。その顔色の悪さは異常だ。なんかうまいものをくわしてやるよ」
「……永井様。ご厚意だけいただきます。早く戻らねば高松先生が心配するので」
「なにが心配だ。もう病はいいんだろう。それに幼子でもあるまいし。……ほら、来い来い。それともな、小五郎よ。そんなにわしと親交を温めたくないって言うのか」
「そんなことは言っていません」
 できれば温めたくなどない。勝同様にこの永井にもさしてよき思い出などないのだ。
 間違いなく二十歳であった自分を、勝と同じようにに十五ほどの子供と見ていた疑いがある。もしかするとそれ以上に幼く勘定していたかもしれない。
 だが、現在は二十代半ばで通している小五郎には、あの折のことを否定することは決してできない。むしろその勘違いをありがたいと思うなど、なんと情けないことか。
「まぁそういうな。ほれ、中島。本日の酒の相手を一人捕まえたぞ~~。小五郎、飲むぞ」
 昔からの知り合いなど、だから嫌いだ、と心の中で叫んだが、

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あまり執拗に断っては疑われかねない。
「永井さま。小五郎くんには無理は禁物ですよ。酒などもってのほかで。永井さま」
 中島が血相を変えて忠告をしているが、永井は耳から耳にと流している。
 馬上より差し出してくる永井のその手は、よく見ると苦労した手だ。荒れ放題。左指など少しだけ曲がっている。
「ほれ小五郎。馬に乗れ」
 できれば永遠に触れたくはなかったその手に、小五郎は心を封じて手を差し出した。
 ……私は桂小五郎なのですよ。
 長州征討にて外交の全権を有した永井だ。この名を聞けば、おそらく自分を生かしてはおくまい。
 ……あなたが首を差し出せといった……桂……です。
 苦しみに舌を噛みながら、永井の後ろにまたがり、小五郎は身をゆだねた。
 中島が「君は……」とため息をついているのが見える。小五郎とて思いっきりため息をつきたい気分だ。
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逝く者、いくもの 8-7

逝く者、いくもの 8章

  • 【初出】 2010年6月12日
  • 【改定版】 2011年6月18日   【修正版】 2012年12月21日(金)  【第二次修正版】 2017年1月26日(木)
  • 【備考】―新政府(長閥中心)登場人物紹介
  • 桂と土方が友人設定。