逝く者、いくもの

5章

 蝦夷は弥生、卯月になろうとも雪が降るという。
 小五郎が好んだサラリとした雪ではなく、多分に水分を含んだものであったが、萩ではこの時期と言えば桜も大方散り、殺風景な木木がわびしく感じる季節なだけに不思議な感覚があった。
 同じ国とは言え、四季の差異はやはりある。しかも北国と西国では季節感も風土も全く違ったものとなるようだ。
 だが春は満遍なく訪れる。この頃、あの肌が凍えるかのような寒さは緩やかになり、春を感じるようにもなった。
「土方くんが風邪を引いたそうだよ。この薬をもっていくかい」
 だがこの風土に慣れず、毎年の季節感で過ごしているものは、たいていは風邪を引く。土方もその仲間入りをしたらしく、小五郎は二つ返事で承諾した。
 市中取締も兼務している土方は、そのほとんどを箱館市内で過ごしている。今は、市内の民家を借りて療養しているらしい。五稜郭内ではないことに、小五郎としては少しばかりホッとした。
 五稜郭内といえば多くの人間がいる。その中に、江戸ないしは京都で自分を見かけたものがいるかもしれない。大まかに土方が調べてくれているが、ここは敵地。最大の警戒を常にしていた方がいい。 だが、どこかで楽観的に見ているところが小五郎にはある。また「死にたい」と願っている人間が「命」を気にするのもおかしい。
 高松に渡された地図を頼りに元町を歩く。周囲は実に坂が多く、八幡坂や基坂を行ったり来たりしてしまった小五郎だったが、どうにか意中の場所にたどり着いた。

宵ニ咲ク花の如シ 5-1

 応対に出てきたのは、田村銀次郎というまだ子どもの域を出ていない少年だった。正式な隊士ではないだろう、と小五郎は思う。
「副長、和田小五郎殿と仰る方がいらっしゃっています」
 ここでは現在の陸軍奉行並も、新選組「副長」でしかないようだ。
「アンタ……こんなところに来ていいのか。労咳は」
「……もう良いのですよ、本当に」
 土方は顔色が全く優れず、看病についている年若い少年たちも見るからに心配げな顔をしている。少年たちは年のころからして、土方付かもしくは総裁付の「小姓」たちだろうか。いや新選組には、年若い見習い隊士が大勢いると聞いている。
「少し話がある」
 少年たちは心得たというかのように、席を外した。
 土方は少しばかり咳き込んで後、わずかに姿勢を正して小五郎を見据えてくる。
「……中島さんがアンタに立ちのくように説得しろ、といってきている」
「半月に一度はそう説得にきますよ」
 やはりこの手の話題か、と小五郎は微笑みを作る余裕すらあった。
「……アンタ……」
 土方の手が小五郎の頬にあたる。
「またこけたな」
「歳どのも」
「労咳なんかにかかりやがって」
「……すみません」

逝く者、いくもの 5-2

「そうやって笑っていつも流すんだよ、あんた」
「そうでしたね」
「……心配しているぞ」
「………」
「昔も、アンタをそれは大勢の人間が血眼になって探していた」
「死に場所をくれるのでしょう、歳どの」
 にっこりと笑うと、その頬をペチッと土方は叩いた。
「酔狂すぎる。アンタは……身上がしれたら牢獄いきだぞ」
「その前に殺してください」
「……残念だな」
「………」
「そんなに死にたいならあの京都で殺してやりたかった」
「あの当時は、死にたくはありませんでしたよ」
「なんで今は死にたい」
「……大切な人たちがみないなくなりました。国もなった。政府も樹立されました。それに死にたいのは一緒でしょう、歳どの」
 土方はその暗闇の目に何一つ「感情」を刻まず、
「だが俺はアンタに生きて欲しい」
「……それはわがままです」
「そういうな。アンタがつくる国ならあの雲の上から見ていてやってもいい」
「歳どのは、私をいちばんに殺したいと思っていたはずですが」
「それもすべてあの京都で終わったんだ」
 そこへ一人の少年が障子越しに「先生」と呼びかけてきた。
「奉行が参られています」
「……鳥か。アンタ……大鳥圭介とは面識あるか」
「先日、お会いしました」

逝く者、いくもの 5-3

 その名の人と随分昔に「江川塾」で会ってはいるが、おそらく覚えては居るまい。また土方にあえて言うこともないと思った。
「ならばいい。通せ」
 先日「迷子」で箱館病院に現れた男は、ヒョイと顔を覗かせ、にこりと笑う。
「やぁ土方くん」
「………」
 見るからに土方の表情が厳しくなり、ジロリと大鳥を睨んだ。
「追い出さないでくれよ。こう見えて俺は医学の心得がある。君をちゃあんと看病にきたんだから」
 土方は何かに耐えるかのように、プイッと体を横向きにし、あからさまに大鳥を避けた。
「おや、小五郎殿。君もきてたのかい」
「高松先生より薬を預かってまいりました」
「そうかい。君は……土方くんと知り合いだったのだね」
「俺の古くからの友人だ。……大鳥さん、煩い、邪魔だ。さっさと帰りやがれ」
「ひどいな、君は。俺はこうして酒をもって……」
「病人に酒だと……。しかも、俺は下戸だ」
 思わず小五郎は噴き出した。
「私に酒の飲み方を教えてくれたのは歳どのでしたが、確かに酒よりは甘酒の方が好きでしたね」
「小五郎殿」
 わずかに語気が強くなった。大鳥には知られたくはなかったようだ。
「そうか、甘酒か。次は甘酒を持ってくるよ」
「二度と来るな」

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「……どうしていつもいつもこう冷たいんだい」
「見ていると苛立つからだ」
「ひどいなぁ、それ」
「うるさい」
 土方がこれほどまでに「ムキ」になり、まるで戯れか甘えているかのように、人と会話をするのは始めてみたような気がする。
 昔から人に対しては見事なまでの「作り笑い」とそつのなさを身につけていたが、大鳥に対してはこれが地なのだろう。
「それにこの方向音痴が。本多くんが迎えに来なければ……五稜郭に戻れんだろうに、一人で出歩いてきやがった。いいか、良く知っているだろうが、もう一度いっておく。うちの奴らは大鳥さんアンタを好いちゃいない。道案内など誰もせんぞ」
「………」
 新選組隊士がこの「常敗将軍」と異名を取る大鳥が、土方の上の「陸軍奉行」たることを面白くはおもっていないという噂は本当らしい。
「……本多くんが哀れだ。歩兵頭が、いつもこんな鳥奉行の面倒を……」
「土方くん」
 大鳥は少しばかり不安げな顔で、土方の顔を見据える。
「あまり無理をするでないよ」
「………なんだ」
「そんなに喋って……本当は疲れているはずだよ。それに……君の顔には死相がついている。そこの小五郎殿などはっきりといって死神がついているよ。死にたがりには、死にたがりの同類が寄ってくるのかな」
「大鳥さん! アンタは何を言いやがるんだ」

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「土方くん。俺は生きているのに一生懸命生きずに死にたがる人間が大嫌いでね。生きているのだから、最後の瞬間まで生きる方策を考えるのが人というものではないのかい」
「アンタにとやかく言われる筋合いはない。俺の生き方だ」
「どれだけの人が君を心配しているか考えて欲しい。そこの死神を自ら招いている小五郎殿も」
 小五郎はあえて目を閉ざした。
 この身を案じている人間たちの顔が浮かんでは消えて行く。
 それは捨ててきたものだ、と心に納得させているというのに、どこまで我が身は身勝手なのか。
 この年まで生きてきて培ってきたものを、そう簡単に捨てられるほど自分は諦観の域に達してはいないのだ。この身がある限り、仲間たちの顔に声音に自らは苦しみ、泣くだろう。
『ごめんね』
 と、言い続ける。
「説教はここまでにしておこうかな。少しは生きる顔になって、俺の前に顔を出しなよ、土方くん」
 土方は、死に場所を求めてこの箱館に降り立った。
 親友である幼馴染近藤勇を亡くしてまで戦い続けるのは、彼の信条であり、死すならば「戦い続けて」後と言外に言い続けている。
「アンタは死なんな、大鳥さん」
 すると大鳥はペチッと土方の頬を軽く叩き、
「死ぬつもりで戦いはしないよ。俺も……この海を渡った場所にいる敵さんたちも」
「………アンタ」
「あの陸には俺の旧知のものもたんといるんだ」

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「………」
「それでも信条をかけて戦わねばならないときもある。俺に言わせれば、たんなる兄弟喧嘩だが、それに身を徹しないとならんときもあるのだよ」
 そして大鳥はその場にゴロリと横になった。
「敵の大将さんもこの国の行く末を思っているとは思うけど、俺たちもこの国を思う」
 もしも蝦夷の自治を、新政府が認めてくれるならば、この蝦夷地を、西欧のオランダに見立てた楽園にしてみたい。農業や酪農を広げ、広大なこの地を開拓し、人が住みやすい場所に。
 大鳥には大鳥としての夢も希望もある。
 一方の小五郎には、すでに夢も希望も一筋の光すらない。
 榎本は新政府に蝦夷地を咀嚼したい旨を書面にして送っていたが、岩倉具視が「国体に反する」と烈火の如き怒りを見せているらしい。
 箱館に領事館がある諸外国も認めた「箱館政権(蝦夷共和国)」だが、国に二つの政府は必要なしとする中央には、受け入れがたいものでしかない。
「自治がなった後のことを考えておきなね、二人とも。戦争ではなく友好。この蝦夷という国でどう生きるか」
 死ではなく生きる望みを。痛いほど大鳥の言いたいことは理解できたが、小五郎はあえて耳を塞ぐ。
 あの新政府が自治を認めるはずはない。万に一つの確率で認めたとして……結果は同じだ。小五郎は「死」を求めてこの場に渡ったのであり、未開の地で新天地を開くためではない。
「小五郎殿は、昔から子供が好きだ。よく言っていたじゃないか。国に戻ったら塾を開きたいってな」

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 それは遠き日に置いてきた小五郎の夢だった。練兵館にて目録をもらい、国に戻って私塾を開き生きよう、と願った。
「アンタなら生きていける」
「そういう歳どのも武士になって……幼馴染の……」
「かっちゃんを大将に担ぎ上げて、俺はその横でのらりくらりと生きて……。それはもうかなわん夢さ」
 土方は遠い目をしたが、
 ふと横を見ると大鳥圭介が、スヤスヤと寝息を立てて、眠っているではないか。
「また鳥は居眠りか。これだから本多くんは実に苦労するな」
 と、軽く毛布を大鳥にかけてやり、土方はまた遠い目をする。
「生き残るのはこういう図太い奴だな」
「大鳥さんは実に有能で……」
「次世代を担える男だ。それを……」
 土方は今度は鋭い目で小五郎を見据えた。
「生きろよ。アンタは生きろ」
「………」
「今の死んだ目をしているのは、俺が共にお江戸を歩いた小五郎殿じゃない」
 小五郎は無理に笑って、そっと立ち上がる。
 そろそろ病院に戻らねばならない。土方の元気な顔を見たので、少しだけ安心した。
「……小五郎殿」
「死に場所を……探します」
 生きねばならぬ人間がいっぱいいる。
 生きたいと強く願う人もいる。
 その中で、死に焦がれてたださまよう自分はまるで異邦人だ。

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「アンタも頑固だな」
「歳どのも変わらずに」
 大鳥の顔を最後に見て、小五郎は部屋を出た。
 盥をもって一人の男がずっと外で待っている。寒いだろうに、と思い、そっと自分が羽織っていたものを若者にかけた。
 驚いた顔をする若者に笑いかけて、小五郎は外に出る。
 おそらく剣術で鍛えたのだろう。引き締まった体躯に清清しい風情を宿し、凛々しい顔をした男だった。
 その男の名が野村利三郎ということを、後に知る。
 三月に起きた宮古湾海戦で、戦死した新選組隊士の一人だった。
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逝く者、いくもの 5-9

逝く者、いくもの 5章

  • 【初出】 2010年4月24日
  • 【改定版】 2011年6月15日   【修正版】 2012年12月21日(金)  【第二次修正版】 2017年1月24日(火)
  • 【備考】―新政府(長閥中心)登場人物紹介
  • 桂と土方が友人設定。