逝く者、いくもの

7章

 アレは万延元年長月の半ば。
 幼馴染が東北方面へ遊歴を兼ねた旅に出るその日。所用で外に出ていたため、藩邸で見送ることができなかった小五郎は、一目会いたいと思い単身馬を飛ばした。
 そう、千住に差し掛かる前に、幼馴染の背中を見つけた。
 その際、久坂などの馴染みのものも見送りに来ていたものだ。
『桂さん。ちょいといってくる。大丈夫だ。自分、ちゃあんと土産をかってくる。楽しみにしちょってくれ』
 何がいい? さすがに蟹はそのまま持ってこれんぞ。などとおどけて笑う幼馴染は、不意にギュっと小五郎に抱きついてきた。
『桂さん……見送りに来てくれてうれしかった』
 幼馴染は何度も振り返って大きく手を振って、旅に出た。
 あの時久坂秀三郎が一人の青年を小五郎に引き合わせたのだ。
『あのチビ杉……いえいえ高杉と昌平坂で共に学んだお友達とのことです。高杉とお友達なんて奇特な人ですよね』
 身の丈のあるその青年は、緊張した顔つきで、小五郎の前に進み出、
『唐津藩士大野又七郎です。ご高名は聞き及んでおります。お会いできて光栄です』
 と、にたりと笑ったのだ。
 彼だ、と小五郎は息を吐く。あの幼馴染の学友。旅に出る幼馴染を見送りに来るほどに親しき仲であったのだろう。
 八年ほど前の会合ゆえ、大野はおそらく自分の顔をはっきり覚えてはおるまい。あのときと比較するとずいぶんとやつれ、

宵ニ咲ク花の如シ 7-1

人相も変わったとよく人に言われる。
 手がわずかに震えたのを、土方が目ざとく見つめた。
 そして何かを探るかのように大野を見据えたが、
「無理をさせて済まなかったな。少し……休んでいってくれ」
 と、土方にそのまま抱きあげられ、小五郎は茫然自失だった頭がようやく元に戻った。
「なっ……歳どの。私は歩けます」
「膝がガクガク言っているじゃないかよ。……少し聞きたいこともある」
「古屋さまに言伝と書状を渡すよう頼まれているのですが」
「そうだったな。古屋さんは……館内に入ってしまったようだ。人に伝えられないくらいたいそうな言伝か」
「いいえ。高松先生が病院の方によって欲しい。可愛い弟が待っているから、と」
「なんだ、それは。おい大野。今の言伝を古屋さんに伝えてきてくれ。それから書状」
 未だ何か記憶を手繰り寄せるようにしていた大野も、気持ちを切り替え頷き、小五郎が手渡す書状を受け取ると駆けて行った。
「アンタ……江戸で大野に会ったことがあるのか?」
「………ある」
「思いもよらないところに知人がいるもんだな。だが大野も、気になる程度だったな。記憶を反芻しているんだろう」
「一度しか会ったことはない。だから……」
「……おかしな縁だ。俺も気をつけていたつもりだが、まさか大野が……アレは小笠原公に随順するために隊士になったものだ」
「……幼馴染が……」
「………」

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「友達だった。ただ……それだけ……です」
 未だに手の震えが止まらない。
 この身を知る人物にこの箱館五稜郭で会してしまったという失態と不安と、同時に頭によぎる幼馴染の顔。
『桂さん……』
 忘れてなどいない。この箱館の雪にまみれても、その面影はなおいっそう透き通って小五郎の心に突き刺さる。思わず空に手を伸ばし「晋作」と呼んでしまうほどに、この心は縋っている。
「アンタも……幼馴染か」
 その一声が、土方の胸の中にある思いをも引きずり出してしまったのかもしれない。
 小五郎を横抱きして歩く土方は、目をまっすぐ前のみにむけている。
 昔、あの江戸で良く聞いた。
『俺は幼馴染のかっちゃんを、日の本一の大将にしてみせるぞ』
 目を輝かせて語っていた土方は、あのころは少年の域を出たばかりの若若しい男で。その「かっちゃん」の話を、横で聞いていた小五郎は、いつも楽しかった。
 後にその「かっちゃん」が、新選組局長近藤勇だと知った。
 共にこの手がいちばんに求めた幼馴染は、この世にはいない。


「大丈夫かい、小五郎殿」
 土方の部屋に連れ込まれた小五郎だったが、ヒョイと大鳥と本多が顔を出した。
「土方くんが無理をいったからだよ。病み上がりのしかも労咳患者に剣ってね」

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 大鳥が一人まくしたてるのを土方は視線をそらして、無視している。
「……剣が使えるほどに回復したのか見てみたかったのです。大鳥さん、私は……」
「鳥さんだろう。小五郎殿」
 にこりと笑う大鳥の笑顔は実に素直で無邪気だ。ふと遠き昔に逝った人の笑顔を思い出し、胸に何か鈍いものが突き上げる。
 にこにこと人を和ませる笑顔は実にやさしい。
 戦に敗北してもにこにこと笑って帰ってくるという大鳥にとっては、この笑顔は、最大の魅力なのかもしれない。
「どれどれ」
 と、腕を取られ、軽く脈を診る大鳥は、
「平常。急に激しく動いたからきっと体が驚いたんだよ。体力をつけないと剣術は無理だな」
「歳どのが座興と申されたので。……お見苦しいものを」
「いや……俺は赤穂の町医者出身で剣術なんか全然ダメ。馬にもまともにのれんよ。そんな俺が言うのもなんだが、すごい腕前だった。小五郎殿は相当の遣い手だね。まぁ俺みたいなからっきし腕っ節がないのが陸軍奉行やっているのもなんだか……。そういえば同じ大坂適塾出身にもう一人いるよ。村医者出身の身で、今は大総督府補佐だったかな。村田蔵六……いや大村益次郎」
 極めて顔に出さぬように小五郎は務めるが、その顔をジーっと大鳥は見ていた。
 にこにことしたその笑顔が、心に突き刺さる。
(この人は……)
「上野を平らげた長州の陸の総司令なのだけどね。蘭書の翻訳にかけては師洪庵をしのぐとまで言われていたけど、

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彼もまたただの医者から各藩に請われ、今では官軍の陸の統治者になっている。それは変わり者だ、と仲間たちでよく言っては笑っていたのを思い出すなぁ」
 ズキリと胸に痛みが貫いた。
 現在、軍務官副知事となり軍費の問題などを取りくんでいるだろうかの友の、変わらぬ無表情が思い出される。
「蘭方医となるべく蘭学を学んだことが、時世というもので兵学書読みなどに使われ、俺も大村さんも兵に関わることになってしまった。面白い世の中だけど、なんていうかな。医者はやはり武士にはなれない。さまにはならないよ」
「アンタは開き直りすぎなんだ」
 土方がようやく口を開いた。
「その緊張感のなさが時折無性に腹がたつが、少しはそこにいる本多くんの身になってやれ。アンタのその性根のおかげで、方々からずいぶんと嫌味などを言われている」
「そう……そうなのか、本多」
 途端に弱弱しい顔となり振り返って大鳥は腹心の手を取った。
「いいえ。そのようなことは……」
「はっきり言ってやれよ。伝習隊はいいだろうが、こんな狭い五稜郭だ。なにかと気をもむだろう。ついでに俺のところの連中は大鳥さんに容赦がない」
「あの荒くて無作法で喧嘩っ早い新選組の連中にいじめられているのか、本多」
「なにを言うか。気が荒くてけんかっ早いのはアンタのところの伝習隊だろうが」
 どうもこの二人は顔を合わせると堂々巡りの言いあいをしないと気が済まないようだ。

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 本多が必死に取りなしているが、陸軍奉行と陸軍奉行並の二人はにらみ合ったまま、互いの主張を繰り返している。
 よく議会はまわる、と表現される通り、この二人の堂々巡りが続く評定は、さぞや荒れているだろう。小五郎は茫然と二人を見ていた。
「土方先生。大鳥さん」
 わずかに声を張り上げた本多の一声で、二人ともにぴしゃりと止まった。
「守衛のみなさんにも添役のみなさんにも良くしていただいています。それに大鳥さん。多少の嫌味など私は気にしませんよ。けんかっ早い伝習隊の総督は私ですから」
 と、穏やかに微笑んで、本多は大鳥の肩をポンと叩いた。
 そうだ。この穏やかな青年があの噂に名高い伝習隊の総督なのだ。江戸のけんかっ早いものや博打打ちなどを集め形成したという伝習歩兵隊をまとめてきた男。
 見かけ通りの穏やかさでは到底つとまるまい。
 しかも今の穏やかな微笑みは、なぜか背筋に寒いものをよぎらせる。
「けどな本多」
「それに一番に嫌味やいじめを受けているのは大鳥さんですよ」
「えっ俺? そうなのか」
「鈍い鳥は嫌味を言われていることも気づかない。なんとも平平凡凡としたお気楽な奴だな」
「土方くん、それは少し言い過ぎだと思わないかい」
「なんでアンタなんかを陸軍奉行にしてしまったんだろうな。今からでも誰かと変われ」
「入札で決まったんだから仕方ないじゃないか。

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なんなら釜次郎に抗議して君がやれ」
「嫌に決まっている。その膨大な書類仕事。見るだけで頭が痛くなるぞ」
「そんなに難しいことじゃないよ」
「アンタは実にそういう方面が向いている」
「……ほめてくれているのかい」
「一応な」
 すると実にうれしげに大鳥が笑うので、面喰ったらしい土方はフイッと視線をそらした。
「小五郎さんはどこで剣を学ばれたのですか」
 この雰囲気を変えるために本多が発した一声に、大鳥と土方はなぜか難しい顔で本多を見据えた。
「……新陰流を学んで後、神道無念流を少しばかり。私の剣は我流がほとんどです」
「いいえ。見事なまでに基本が身に付いた型です。そうですか。神道無念流ですか……やはり」
 あえて小五郎は流派を隠さなかった。剣を学んでいるものにはわかるものだ。ここで隠す方が怪しまれるだろう。
「小五郎殿はそれは強くてな。俺は昔、道場破りをしていたんだが、この人に出会ってからは軽く剣筋を見てもらっていたんだ」
「土方くんは、何だっけ。流派……」
「天然理心流。田舎剣法さ。しかも昔はちゃんと門弟にもならずに薬を売っていたんだ。いわば土方歳三流。……そういえばアンタは打ち身ばかりでな。初めて会った日に酒で石田散薬を飲ませたら倒れたな」
「私は酒などあの当時は全く飲んでいなかったですからね。初と言われてよくからかわれたものです」

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 懐かしい。未だペリーが浦賀に現れる前の話だ。
 あの頃は小五郎も神道無念流練兵館の一寄宿生でしかなく、よく師範代の斎藤歓之助に打ちこまれたものである。
「そんな昔からの知り合いなのかい、土方くんは」
「……あぁそうだが」
「それじゃあ仕方ないね」
 大鳥は小さくつぶやいて、一人で納得している。
 土方としては少し昔のことを喋りすぎたか、とばつの悪げな顔をし、また視線をそらしている。
「君の腕はとても頼もしいけど、高松が意地でも離さないね。俺もそれでいいと思っている。死にたがり屋の小五郎殿」
 大鳥はなにを思ったのか、小五郎の両手を掴み、その掌を見る。
「しばらく剣も持っていない手だね。少し荒れているけど……きれいな手だ」
 ……アンタの手だけはきれいにしておかないとならん。
 不意にこみあげてきた思いに、小五郎は耐えられなくなり、無意識に大鳥の手を振り払っていた。同時に目に熱いものがよぎり、自らの理性でどうにか感情を押しこめる。
 この手で人を斬ることを厭い、人を守ることを願い……そしてこの手がどれだけの人を死地に赴かせたのだろうか。
 そうこの手だ。この手により認められる書状にて、小五郎はどれだけの人の命を失わせたか知れない。
(自分が殺した)
 時に叫びたい心を必死に抑え込んできた……。
「小五郎殿」
 見据える大鳥の目が、和やかなその瞳が、怖い、と思った。

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 素知らぬ振りをしているが、この知識の泉と称される大鳥圭介の頭の中には、自分という男の本当の「名」を探り当てているのではないか。
 知ってなお放置し、和やかに笑いながら、いったい何を考えているのだろうか。
 そんなことを思わず考えてしまう。
 底が知れぬ恐怖と不安が胸によぎって消えてはくれない。
「今日はここに泊っていくといいよ。そうだ、夜に将棋でもうとうか」
「この鳥が。この人はそんな暇じゃないんだ。高松先生が待っているんだろう……。落ち着いたら……誰かにおくらせる」
 不器用な気の遣い方に小五郎は頭が下がる。
「大丈夫ですよ。日が落ちる前に病院に戻ります。…と……鳥さん。将棋の一局はそのうちに」
「小五郎殿……あなたは良い人だね」
「………」
「今度会うときは、もう少し死にたがり屋をやめていてくれるとうれしいよ」
 大鳥はまたしてもにこにこと笑い、俺も疲れた、と部屋にしつらえられている簡易ベッドに横になった。
 そして瞬く間に寝息をかき始める。
「おい、寝るなら自分の部屋で寝ろ。おい……」
「大鳥さん」
 二人に呼ばれても、寝顔がニッと笑うばかりで、ごろっと寝がえりを打つ。狸寝入りだろうか、大鳥は。
 大鳥に対して底知れない恐怖が心に寝付き、早々に小五郎は部屋を後にした。

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 あの茶褐色のつぶらな瞳の奥の奥に、大鳥圭介という男の神髄が潜んでいる。何重もの笑顔に隠されたその奥に、思わず悪寒が走った。
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逝く者、いくもの 7-10

逝く者、いくもの 7章

  • 【初出】 2010年5月30日
  • 【改定版】 2011年6月15日   【修正版】 2012年12月21日(金)  【第二次修正版】 2017年1月25日(水)
  • 【備考】―新政府(長閥中心)登場人物紹介
  • 桂と土方が友人設定。